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「白いクマについて考えない」
先に投稿した「例外なき法則はあるか」の続きです。
「白いクマについて考えない」という心理実験がある。
「白いクマを考えて下さい」と「決して白いクマを考えないで下さい」と人にお願いして比較したところ、「決して考えないで下さい」とお願いしたほうが皮肉にも白いクマについて考える人が多かったという結果だった。
皮肉過程理論と言われている。
白いクマについて考えないためには、白いクマについて定義しなくてはならない。
白いクマについて考えていることに気付くには、白いくまのことを知っていないといけないというわけだ。そうでなければ、白いクマについて考えていない事を保証できない。
これを監視過程と言う。
「白いクマについて決して考えないで下さい」という言葉の運用プロセスにおいて監視過程は避けられない。
ということは、「白いクマについて考えない」とは監視過程の無限ループによって言葉自体が成立しないのだ。永遠に未確定のまま彷徨う。
「不幸な事実を考えない」という言葉によって無限ループに苦しめられている人は多い。
それは不幸によって苦しんでいるだけでなく、言葉の無限ループによって傷口に塩を塗り込んでいるのだ。
ここにも言葉の不完全性がある。
他にもある。
自己言及のパラドックスで有名な言葉を紹介する。
「これは偽の文である」
〜であると断定しているが、その意味が成立した途端、言葉そのものが断定を打ち消している。
これも言葉の崩壊である。
また別の言葉も。
「クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言った」
も成立しない。
ということは、
「人間は絶対ではないと人間が言った」
も成立しないのではないか。
これは「例外なき法則はあるか」のエッセイで指摘したとおりだ。
はあ〜。言葉ってやつは、、、、、。絶句しかない。
だから、物言わぬ花は私にとっての癒やしなのだ。言葉を重ねるほどに、言葉の不完全性が絡まっていく。私は上手く言葉を使えていない。
あらゆる生命は文章を書かない。
言葉を使わない。
まるで禁止されているかのようだ。
なぜ人間だけが、、、、。
知性の問題か?
しかし人間の言葉の運用を見れば、
知性の問題故に言葉を使えていない。
言葉を使っているつもりでいるだけだ。
もしかして、盗んだ?
絶対を前提とする神だけが矛盾なく言葉を使える。
「神(絶対)はある」
「神(絶対)のことを考える」
本来、言葉は揺るぎなく、美しい。
神様はいいなあ。絶対を前提にできるから。
だからこそ言葉は神のものなのだ。
神を定義する魂があれば、言葉は上手く使えるかも知れない。
しかし、今度は魂が問われる。
人間は本当に神を定義できるのか?
「言葉は真実しか語り得ない。」
池田晶子氏の言う言葉が体に染み込んでいく。
他の言葉は矛盾によって焼き尽くされる。
あるいは、
矛盾がなくても、偽の神を掴まされる。
クリシュナムルティ氏の言葉が体に染み込んでいく。
あ~なんか白いクマが神様に見えてきた。
「白いクマを考える」
それしか語り得ないのだ。