ななサポに引っ越ししたゆたかな文庫、新しい蔵書のご案内
こんばんは。ここさんぽの中川です。
山形の母が色づきはじめた棗やクルミを持ってきてくれました。
いよいよ映画上映会が明日になりました。楽しみにしています。
映画上映会の際には、中川のお気に入りの本を集めた文庫「ゆたかな文庫」の本の貸出をしたいと思います!
色んな方に素敵な本を読んでもらえたら嬉しいです。
今年1月から9月まで草加市のさいかちどブンコさんで行っていた私設図書館
を個人でやってみる感じですね。
・1人3冊まで1か月貸出可能です。無料です。
・本を借りたい人は、借りたい本をもって受付にお声がけください。
・返却は、次回以降の映画上映会で手渡しや、越谷市市民活動支援センター(通称ななサポ)のメールボックスNo.3のここさんぽのポストまでお願いします。
「さんぽの3」と覚えると覚えやすいですね。
・メールボックスは、ななサポの開館時間ならいつでも本を返却できます。
また、ななサポの「ここさんぽ」宛てに郵送して返却していただくことも可能です。
ななサポは年末年始を除く9:00~21:30まで開館しています。ただ、10月下旬から来年1月まで改修工事で閉館しています。工事中でも、メールボックスに届ける際は職員さんに声をかければ入館できます。
・本の貸出期間を延長したい場合は、ここさんぽ宛てにメールか、問い合わせフォームでご連絡ください。
新しく蔵書に追加する本のご紹介です。
①「パパラギ 児童書版」岡崎照男 訳 Gakken
100年前に南太平洋のサモア島の族長、ツイアビが、ヨーロッパを旅して感じたこと、考えたことをサモア島の人びとに語ったことをまとめた本です。
「パパラギ」はヨーロッパ人のことを指しています。
ツイアビは、ヨーロッパのパパラギが服を着て体を隠すのが変だと感じます。
現代日本でもそうですが、男性のビジネスシーンや冠婚葬祭の服は、長袖長ズボンのスーツに革靴等が一般的です。
100年前の西洋では、女性が足を出すこともご法度とされ、長いスカートが一般的でした。
半ズボンやサンダルを履くのは気が抜けている、だらしない、マナーに反するので、きっちりした服で身を包むという習慣があります。
パパラギは、頭だけが洗練されていて、肉体は卑しいと考え、頭と手以外の部分を見せるのは行儀が悪いと言っています。
しかし、ツイアビは、生きるために必要な体を悪いものと考えるのはおかしい、日が美しく輝くとき、手や足やお腹、体全体で太陽の光を楽しむことの方がずっと大切だと考えています。
素足で過ごすサモアの島の人びとは、足で物をつかむことができるし、椰子の木に登ったり、馬のように早く走ることができます。
ツイアビは、パパラギが不自然な文化を尊重することで、大切なことを見失っていないかと警告しています。
また、パパラギが自然がつくった物を自分の所有物と考えるおかしさ、自分がたくさん物を持っていても、持たない者に分けないどころか、持っていないことでその人を責めたりする非情さ、自分の物を手放そうとしない強欲さを指摘しています。
「仲間が悲しんでいるのを見てうれしそうにしていられる、パパラギのような心を持たないようにしよう」とサモアの仲間に呼びかけています。
ツイアビは
「私が馬で村を駆けぬける。たしかに早く行ける。
けれども、ぶらぶら歩いて行くとすれば、いろいろなものを見られる。
友だちが私に声をかけて、家に呼んでくれるかもしれない。
目的地に早く着くことが、たいして得になるわけではない。
得というのは、そんなものではない。」
と言います。
パパラギの機械は目的を早く達成するためのものですが、早く目的が終わったところで、すぐに次の目的に向かって走り始めるので、パパラギは一生走り続けることになります。
たしかに目的地に早く着くことだけを目標としたのでは、行く道を楽しむ余裕や、思いがけない巡り合わせに応じることはできませんね。
達成した結果だけたくさん積みあがっても、自分の気持ちを置き去りにしていては虚しいかもしれません。
休んだり、遊んだりするゆとりをもってのんびり行きたいなと思います。
また、ツイアビは、パパラギが時計で時間を切り刻むことで、時間が足りない感覚に陥っていると指摘しています。
ツイアビは自分の年齢を知りません。
年齢を知ることは、自分の寿命を考えることになり、悲観的になってしまうからです。
ツイアビは、日の出から日の入りまで、一人の人間には使いきれないほどたくさんの時間があると言います。
時計を持たず、自然の中で太陽の動きを追いながら過ごすのであれば、たしかに時間が足りないということはなさそうです。
時間が足りない、時間に追われているという感覚を持ちがちな私ですが、ツイアビのようにゆったりとした時間の過ごし方をしたいなと思います。
こんなふうに、ツイアビは、パパラギが讃え、常識としている服、住居、都市、人工物・工業製品、所有の概念、お金、機械、職業、時間、映画や新聞、研究・知識・本・教育について、鋭い視点で疑問を投げかけ、サモア島の人びとに西洋文化の流入を警戒するように言っています。
児童書版では、原書のメッセージはそのままに、のびのびして鮮やかな挿絵がイメージを搔き立て、とても読みやすくなっています。
現代に生きる日本人もパパラギと同じ、100年前のパパラギよりもさらに不自然に張り詰めた、息苦しい状況なので、ツイアビの警告を意識しながら生きていきたいです。
②「増補改訂版 懐かしい未来 ラダックから学ぶ」ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ
ラダックはチベットの近くの高山地帯にあり、山は岩肌に覆われ、冬は氷点下40度にもなり、年間4か月しか作物を栽培できる期間がありません。
それでも人びとは、自然の限界を受け入れ、お互いの基本的なニーズを尊重して、満ち足りて幸せに過ごしてきました。
岩を切り開いて作った棚田には、車輪も入らないので、家から棚田まで片道1時間の道を住民たちで歌いながら歩いて行きます。
遠く険しい道でも、信頼できる仲間と楽しんで歩いていくことで喜びになります。
ラダックの人たちは、麦を収穫するとき、豆の脱穀をするとき、家畜の世話をするとき、歌を歌います。作業に合わせて様々な伝統の歌があります。
作業はのんびりしたペースで行われ、老人も小さな子供も参加して手伝うことができます。仕事と遊びの間には境がありません。
ラダックの人びとが一生懸命働くのは4か月で、耕作できない冬の間は毎週お祭りやパーティーを行います。
ラダックでは、お金を稼ぐことよりも隣人と良い関係を保つことを優先します。
争いが起こったら通りかかった第三者が調停に入り、双方の言い分をよく聞き、争うことより平和でいることがよっぽどいいとと思い出させてくれます。
著者は、ラダックが平和であることについて、価値観や宗教と同じくらい、社会の規模が重要であることに気が付きました。
ラダックは100戸未満の村が多く、そのような規模だと、相互依存の関係を実感でき、全体像が掴め、自分の行動の影響がわかり、責任を感じることができるそうです。
また、村の中には互いに助け合う4~12世帯の集団があり、誕生、結婚、死のとき協力し合います。
葬式の際には1週間の仕事がありますが、家族が余計な苦痛を感じないよう、集団の他の人たちが葬式の準備や運営を一切執り行うそうです。
ラダックでは、1人子どもが生まれたら、自分が育てる気でいる大人が10人待ち構えていると言われていて、集団で子育てをするものとして子どもを温かく迎え、育んでいます。
子どもを隔離して敵視する現代社会とは大きな違いがあります。
著者のヘレナは、言語学者としてラダック語の研究のために1975年からラダックで過ごし、西洋文明が流入する前のラダックから、グローバル化の波に飲まれ、急激に西洋文明に染まったラダックの変化を観てきました。
著者がラダックに滞在し始めた当初、ラダックの老人は「私たちの中に貧困はない」と語っていました。
ところが、西洋文化が流れ込んできた後、同じ老人が「私たちは貧しい。私たちには支援が必要だ」とまるで逆のことを言うようになります。
1970年代にラダックが観光地として開放されたことで、西洋人がラダックに滞在することになります。
西洋人はラダックでは働かずに観光し、ラダックの人が1年間に使うのと同額のお金を、たった1日で使います。
これを見て、ラダックの人たちは、西洋人はみんな億万長者で、決して働くことはないという誤解をして、西洋に憧れを持つようになります。
実際は、西洋人も自国では労働しています。
ラダックでは村のネットワークの中でお金を使わずに手に入る衣食住やエネルギー、隣人の手助けなどがあります。
西洋ではこれらすべてがお金を払わなければ得られず、生きていけないのですが、この点は観光に来た西洋人を見るだけでは見えてきません。
食料の輸入が増え、自給が少なくなり、映画や広告やテレビ等のメディアで西洋文化への憧れ、渇望が煽られます。
メディアで西洋の魅力的な面は伝えられますが、西洋社会のストレスや孤独、環境破壊、インフレ、失業の問題は見えてきません。
グローバリゼーションで物やお金、テクノロジーの物質的な変化が大きいです。
しかし、何よりも人の心への影響が大きく、あんなにも豊かだったラダックの人びとがわずか数年で自分たちを貧しく劣っていると考えるようになってしまったことを著者は残念に思っています。
開発の中で、GNP(国民総生産)を指標とする国民経済に、著者は疑問を投げかけています。
お金の持ち主が変わるたびにGNPが加算されるという仕組みで、どういう理由でお金が動いたか、環境や社会にマイナスがなかったかどうかは勘案されません。
このため、犯罪が増えて盗まれた車を買い直すこと、きれいだった水が汚染されてペットボトル入りの水を購入するようになることは、GNPに加算され、経済成長と計測されます。
著者はラダックの文化への素晴らしさを再認識してもらうために、ラダックで仲間と演劇を行うようになりました。
劇では、ラダックの若者が古い伝統文化を拒否し、現代の西洋人に近づくようにタバコ、バイク、ジーンズ、サングラス、ディスコを楽しんでいました。
彼の祖父が病気になったので西洋で学んだ医者を連れてきたら、医者は「アメリカでは進歩的な人たちは白いパンではなく、ラダックのように全粒粉のパンを食べていて、その方が値段が高い。進歩的な人たちはコンクリートではなく自然素材で家を建てている。ポリエステルの服を着るのは貧しい人で、進歩的な人は天然素材を好む。」といいます。
このことから、アメリカの先端の暮らしはラダックの伝統的な生活にとても近いことがわかり、若者はラダックに生まれたことが幸運だったと感じることができました。
このように、著者はラダックの仲間と協力しながら、ラダックの誇りと伝統文化、地域内での循環を取り戻す活動を通して、ラダックの本来の豊かさを保つ取り組みをしています。
また、ラダックの文明を守る取り組みを世界に発信することで、各地が固有の文化、社会を取り戻す運動に広げていて、グローバルな「ローカリゼーション」のネットワークを作っています。
巻末の解題では、地域内でお金を使う場合と地域外にお金が流出する場合の比較をしています。
8割を地域の店、2割をグローバルチェーンで使った場合、2割を地域の店、8割をグローバルチェーンで使った場合に比べ、地域内での循環回数は8倍、循環総額は4倍になるといいます。
ローカリゼーションには地産地消と地域内循環が重要です。
買い物の際はチェーン店ではなく、できれば歩いていける距離の個人店を選びたいですね。
グローバリゼーションがもたらした影を克明に描き、ローカリゼーションに希望があることを伝えています。
明日の上映会で貸出図書に加えるので、ぜひお手に取ってご覧ください。
遊んで学んで休みたい!ここさんぽ
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