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アメリカ大統領選挙についての雑感
ポリティカル・コレクトネスか、露悪な本音主義か
2024年のアメリカ大統領選挙でトランプが勝利した。
ぼくは政治にはあかるくない。「なんとなく、リベラル」ぐらいの立場だと思っている。なんでトランプが勝利したのか詳しく知らないし、トランプが勝利したことによって世の中がどう変わるのか知らない。だからいつも通りイメージで語らせてもらう。
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このトランプ支持者が語るように、民主党やリベラルが語る言葉に嘘くささ、非人間的なものが漂うっていると思う。ポリティカル・コレクトネスとか、SGDsとか、彼らが語る言葉は圧倒的に正しい、正論だ。しかし、例えば「差別は良くない」「戦争は良くない」という言葉には、差別、戦争をしてしまう心性、歪みを抱えてしまう人間についてすべて無効化され、無機質な情報へと変換されてしまうように感じてしまう。
だからポリティカル・コレクトネスが進行していく世界で、暴言をはくトランプに支持が集まるのはわかってしまう。しかし、ぼくはトランプ的な本音主義にベットする事はできない。トランプが分断を招いてるように、本音主義の世界では他者と闘争し続けるしかないのだ。
この対立は、リベラルのポリティカル・コレクトネスか、保守の露悪な本音主義というのだろう。リベラル側は人間の歪みを取り込んだ上での言葉を紡ぐことはできるのだろうか。
ぼくは「正しさ」について以前、以下の記事を書いた。
記事では「正しさ」につきまとう息苦さから、「正しさ」を回避する形で言葉を紡ぐことができないか、加藤典洋、村上春樹を参照しながら考えてみた。それはぼくにとって、この現実にいかに抵抗していくか、考えることと同義であった。しかし、人はどうしても「正しさ」への欲望に抗えないのではという結論で終わった。
今「正しさ」に対して「露悪な本音主義」という一つの回答案が提出されたが、それでほんとに良いのだろうか。「露悪な本音主義」について今一度考えてみたいと思った。
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