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8/20 早朝読者会『家長の心配』フランツ・カフカ レポ

読書会をやってみて

フランツ・カフカの『家長の心配』の読書会を4名でやりました。
最初にこの作品を全員で段落ごとに輪読し、その後、感想の共有をしました。まず「オドラデク」とはなにか?という話から、題名にある「家長」とはどんな存在なのか?作者はどんな精神状態なのか?などなどの話に広がりました。
初回の読書会ということと、自分で考えた形式の読書会だったので、やる前は手探りなところもありましたが、特に問題なく運用できたかな?と思います。
読書会をやってみてよかったことは、やっぱり自分と違う経験をした他者の意見を聞けるということが面白かったです。主催することで自分が話すことより、どう他の人に話してもらいやすい空間を作るかに重きを置くようになりました。そうすることで、より鮮明に他の人の意見が入ってくるようになったように思います。
次回以降もっと参加者が話しやすい空間を作れるよう注力したいと思います。

ご参加頂いた方の感想

やすふみさん
長編の本を一冊読んで準備をして臨むようなタイプの読書会ではなく、その場で短い作品を朗読してじっくり深読みをしていく読書会というのもあり得るのだなと思い、とても充実した時間になりました。今回扱ったカフカの「家長の心配」は多様な解釈の余地を残す作品でしたが、他の参加者の方々と感想を共有するなかでいろいろな想像を巡らせることが出来て、小品ながら深く印象に残る作品になりました。ゆっくり本を読む会は今回が初回とのことでしたが、貴重な機会をつくってくださり有り難うございます。次回以降もぜひ参加させていただきたいと思います。

タマキさん
朗読から始められたのがよかった。また、参加者の意見・感想をきくごとに作品から読み取れるものが広く、深まっていくことを感じた。

今回取り扱った作品に対する主催者の考え

この『家長の心配』の「家長」とは精神分析で言うところの「父」として読みました。内田樹『寝ながら学べる構造主義』によると、精神分析の「父」は子供が言語を使用するようになること、母親との癒着を父親によって切断されること、この二つを意味しています。なにか鋭利な刃物のようなものを用いて、ぐちゃぐちゃ癒着したものに鮮やかに切れ目を入れていくこと、これが「父」の仕事です。この「父」の仕事によって僕らは母と癒着せず、またものに名前があるということを知ります。ものに名前があることで僕らはそれを認識しますが、世界は分節され分類され別れていること同時に知ります。それが「父」=「家長」の役割です。また、この「父」は権力ともシステムとも読み替えることができるでしょう。
対して、「オドラデク」とは分節、分類されることができない存在です。最初「オドラデク」の語源がわからないという話から始まり、それが人為的に作られたようなものであることがわかり、しかしその用途は不明で、また動き回り、しゃべり、目的がなく死にはしないようだ、という話です。「オドラデク」その言語、ものとしてもどこにも何も繋がりがなく、用途も目的も不明、「父」=「家長」はそんな分節、分類できない存在に対して不安を覚える、そんなふうに読みました。
また、下記に引用する文が印象的でした。

死ぬものはみな、あらかじめ一種の目的、一種の活動というものをもっていたからこそ、それで身をすりへらして死んでいくのだ。このことはオドラデクにはあてはまらない。
『家長の心配』フランツ・カフカ

この文章から、般若心経の〈不生不滅、不垢不浄、不増不減〉(生まれもせず、衰えもせず、綺麗でもなく、汚くもなく、成長もせず、死滅することもしない)を想起しました。すべてのもの生まれ、時間がすすむことによって、成長し、衰え、死滅するそんな風にぼくたちは対象を認識します。でも本当にそうなのか?それ以外の存在はいないのか?もしかしたらこの認識はバグを持っているかもしれない。「オドラデク」はいかにしてぼくたちの認識を越えていくことができるか?そんな存在のように思えます。
同じようなことを言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールも言語に対してこういっています。

言語は有機化されてもいなければ、自分で死滅することもない。衰えもしなければ成長も しません。そもそも言語に幼年時代とか壮年時代とか老年時代とか、そんなものはありはし ないからです。そして最後に、言語は生まれることさえありません。
前田英樹『沈黙するソシュール』から孫引き

そこからソシュールは言語について通時的(時間の流れ、歴史によって解明していく)ではなく共時的(その場の現象、構造を分析する)立場を取ることになります。言語を通時的に考えるとは、言語について言語によって考えさせられていることを使って分析していくことになります。そうなると自己言及のパラドックスに陥ることになる。そこからパラダイムシフトを起こす必要があると、ソシュールは考えたのでした。
『家長の心配』がまず「オドラデク」の語源がわからないという話から始まり、「オドラデク」が死ぬことはないという話で終わるのは非常に象徴的だと考えます。この宙吊りの存在をどう考えるか、そんな小説でした。

作品に対する参加者の主な意見

  • 「オドラデク」という対象は得体のしれない不安

  • 「家長」は大人の象徴で「オドラデク」は大人には見えない存在(まっくろくろすけ的存在)

次回

次回は8/27(土)の早朝6:00から開催します。
もし興味を持ちましたらぜひご参加ください。

早朝読書会 青空文庫を読む 夏目漱石『夢十夜 第一夜』 https://peatix.com/event/3319029



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