2020年に選ぶ映画たち -never give up your beautiful life-
今年はだいたい70本ほどの映画を観ました。
私は基本的に観た映画についてはtwitterで短く感想を書いています。毎年その年々のベスト10を選ぶのが年末の楽しみだったりするのですが、今年は一年を通してずっとぼんやりしていて記憶も曖昧だったりするので例年通りにベスト10を選ぶのは難しいかなと思っていました。が、観た時のぼんやりとした記憶と、filmarksに転載したtwitter感想を頼りに今年も選んでみようと思います。いつもはtwitterでタイトルだけを発表するのですが、今年はnoteを使って当時の感想を引用しつつ紹介していこうと思います。あまりに感じるものが多かった作品は個別にnoteを書いています。
2020年に選んだ10本、次点作、そしてランク外だけど印象的だったインパクト作をお送りします。年の瀬のネトフリアマプラユーネクスト鑑賞のご参考になれば幸いです。
2020年に選んだ10本
1. 燃ゆる女の肖像
目をそらすことができない数々の、海の間際にいて怯むことのない後ろ姿、発光する輪郭、蝋燭に照らされる彼女の横顔、陽炎の隙間を突き抜けてくる視線、全てが炎、一夜明けてなお私は燃やされている 冬の軋む冷気の中、彼女たちから分け与えられた炎で私は今なお燃えている ああ、奇跡のような映画。
炎が命を燃やし炎が命を生へ向かわせる。その炎、潮騒の世界で燃え上がる炎。どんなに言葉を尽くしても全てを陳腐に突き落とされてしまう。ただ、観るしかないのです、出会うしかないのです。あの炎はあの映画にしか存在せず、燃え移ったその炎を大事に燃やし続けるしかないのです。
2. シカゴ7裁判
真実は絶えざる問いの果てに見出され、人はそれを最適解を以って組み立て、編集し、あまねく方向から光が当たるよう世界に示す義務がある。
ハイテンポ法廷劇の行き先は常に予想外、なのに辿り着く答え、真実の妙。配信なのが勿体無いくらい、体の芯まで震えるラスト。完璧な脚本!
ものは言いようというのは悪口ではないし、話の組み立て方次第で歴史はどちらにも振れるという真理を見事に突いている。全てを白日の下に示すまで、問うて、問うて、問い続ける彼らの姿勢はまさに今観られるべき物語。歴史が変動する瞬間に立ち会うその時、私たちの目は機能しなければならないのだ。
もう気分悪すぎてひっくり返りそうになる判事、そいつが回すクソみたいな法廷にあの手この手でやってくるまさかの助っ人やヒントが痛烈に冴え渡る。解を導き出すための問答がこんなに知的好奇心を刺激し、興奮するものだとは。映画館鑑賞だけど、立ち上がらずにはいられないほどの高揚感。超、完璧!
3. レ・ミゼラブル
かつて名作の舞台であった街は退廃と差別に満ちている。
格差の隙間で子供たちは何もできない。彼らを導く大人はいない警察ですら彼らを救わない。
荒んだ街のコミュニティの軋轢、
暴力を殺すのもまた別の暴力。
小さな体に宿る憎悪が火炎瓶を静かに燃やす。
ここは怒りに満ちている。
ドキュメンタリーと見紛う現実感と没入感。少年の飛ばすドローンが捉える街の全景は息を呑む映像。
大人に顧みられない子供たちは自分の尺度の倫理しか持たない。
誰のせいなのか、この街を「こう」した責任はどこにあるのか、なけなしの良心は届くのか。
最後に映るユゴーの一節が重く心臓を押し潰す。
物語を進める警官3人は本当にこの街に「いそう」な3人だし、彼らが犯した失態もまた「あり得そう」むしろいずれ必ず起こるだろうと思わせられる。そしてこのエンドもまた「これしかない」のだと思った。大人たちの、悪意ある暴力に心を砕かれたイッサの歪んだ無表情がいつまでも目に焼き付いている。
4. ロニートとエスティ 彼女たちの選択
激しく揺さぶられた。コミュニティの中で傷ついた痛みや孤独、喪失感は決して此処だけのものじゃない。自由への希求、神への祈り、父への愛、性的指向は全部矛盾しない。ロニート、エスティ、ドヴィッドそれぞれの選択が平等に胸に迫って、誰のことも否定したくない絶対に。
自由なはずなのに解放を許されない感覚、神を信じ善き人でありたくても緩く首を絞められていく感覚。再会したふたりの「体に血が通っていく」のを目の当たりにして、抑圧の強さに打ち拉がれる。決して他人事じゃない。わたしも知っているよ、分かるよ、とふたりに強く言いたくて、今、涙が滲んでいる。
超正統派ユダヤコミュニティが舞台の物語だけど、信仰とセクシュアリティのジレンマだけじゃなく本当に心から、自分のパーソナルな部分で怒りを覚えたり悲しくなりながら観た。なぜ町に居ないと責められるの、なぜ結婚と出産は当然で独身は不幸なの、なぜそんなに全部押し付けられなくてはならないの。
5. ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語
果てしなく「わたしの物語」で、少女時代が終わる寂しさや一心同体だった姉妹が各々の人生を歩み始める切なさや別れの悲しみ、それでもこれは女が女の矜持を手放さず自立し幸福な存在であるための物語で、誰の選択も否定されてはならない誇りに満ちた物語だった。
女性に限らず人生にはお金の問題が常につきまとう。結婚は女の幸せなんて言葉で誤魔化さないで、結婚は経済活動なのだと言い切ってくれた姉妹たち(グレタ)に胸がすく思いで、けど女の幸せが結婚だけなんて絶対に間違ってるとも訴えてくれたジョーに涙が溢れた。女性の価値は結婚では決まらないんだ。
でも、女の幸せは結婚だけって絶対間違ってるけど、だけどそれでは孤独なんだって、常に思っていることで誰かに言って欲しかったずっと誰かと共有したかった気持ちを映画の中の人が言ってくれるの、本当に奇跡みたいだと思った。
今すぐジョーに駆け寄ってその腕を取りたい。言ってくれてありがとう。
6. 行き止まりの世界に生まれて
スケボーに乗っている時の彼らはどこまでも自由で、解放されて、眩しさに目を細めた。でも眩しさだけでは生きられなくて、うず高いDV貧困失業の上に彼らは立ち、時には喘ぎ生きている。自己責任なんて言葉すら意味を失う場所、けれど皆、どうぞ生きて、生きてください。
長い期間をかけて撮り溜められてきた映像たちが彼らの成長を鮮やかに語り、この地で大人になってきたことを確かに証明している。そして改めて自らの来し方や家族について、自分の言葉で語り直すことで見えてくるものがある。後悔怒り悲しみ、でもその中に、心から愛していたものもまた、あったこと。
最果てのような街だった。皆、何らかの暴力とともに生き抜いてきた。
けれどこの街で新しい命も誕生し、彼もまた成長していく。彼の背が伸びる頃には、彼がスケボーを手にする頃には、もしかするとここはほんの少し良くなっているかもしれない。そんな希望や祈りもそっと差し込まれている映画だった。
7. ダンサー そして私たちは踊った
恋を知って世界が色づく、まさに花開く感性の圧倒的瑞々しさに言葉が消える。恋の美しさに満ち、愛を受け取り、孤独ではないと理解して、彼は自由の意味を知る。エンドのダンスは「彼」の証明。その背中を押すように音楽は続く。ささやかな拍手と涙は愛が溢れる餞。
ダンサーたちの私服や街並み、集合住宅の色鮮やかさ、そして陽光に満ちたあたたかい画面だった。彼らの他愛ない会話、地べたに座り込んで煙草を吸う姿はただ愛おしい。ダンサーの将来の厳しさ、兄の「ジョージアに未来はない」という言葉、それでもこの映画はそんなジョージアの未来を深く祈っている。
とにかく主演のレヴァンくんの豊かな表情としなやか身体性に目を奪われてしまう。彼の目は恋を、兄への思いを、ダンスへの情熱をフィルター無しで映す。恋を知った彼の目はかくもはっきりと、世界の彩度が上がったことを示す。そうだ、これが恋だった。忘れていたよ、それがこんなに美しかったことを。
8. ジョジョ・ラビット
子どもの空想の力を、それは彼と、彼の世界を絶対に変えられるのだと信じ抜いた映画。空想には権力を信じ込ませる力もあればお化けの彼女をそっと思いやる力もある。愛され守られていたきみが一歩踏み出す日。きみの世界はその日のために、きみの靴は、その世界で踊るために。
戦争末期が舞台だからか芯からナチである人もおらず(あるいは洗脳から脱していたか)空想と現実織り交ぜた世界であろうと誰もが子どもに優しく、子どもはみんな子どもとして振る舞っていたのが胸にきた。こうでなくては、たとえ虚構でも、子どもが子どもでいて良くて、笑って抱き合える世界でなくては。
とにかくスカヨハの服と靴が可愛くてあの靴どこ行ったら買えるのかなとか今もずっと考えてる。息子を決して否定せずに愛を、生きる素晴らしさを表現できるお母さん。勝負色の口紅で立ち向かっていく背中は自然と息子を導いていく。人として善き方へ、こうであれと願う世界へ。ナチス映画の新しい傑作。
9. ソワレ
世界から消えた存在だった、どこにも行けない世界だった。こんな形で出会わなければきっと生涯交わらなかったであろう幼いふたりの隠れんぼ、夜明け、さざなみ、夢うつつ。
消えたと思っていたわたし、見つけてくれたあなた。わたしを心に残してくれたあなたに贈る、つらいときはこうやって。
和歌山の田舎の風景も、夜明けのさざなみも、市内のゆるい喧騒とゆるい和歌山の言葉もすっと体に入ってきて美しく溶けた。その世界の中で身を寄り添い隠れて逃げて離れてまた出会うふたりをずっと見ていたかった。まだ青くて苦い果実のようなふたりだった。だからこれからきっとゆっくり熟れていく。
例によって虹くん目当てで観たのですが芋生悠さんに目が釘付けになってしまった。目に宿るものがすごい。本当に清姫伝説を思わせる存在感。あの満面の笑顔は当分忘れないだろうと思う。そして村上虹郎さんもまた止まらない開花という感じで、清々しいのだった。爆発していくふたりだ〜好きだ〜!
10. 星の子
予想以上に原作を丁寧に掬い取って、きめ細やかに編集された映画だった。
物心ついた時からそこにあった新興宗教、人からは嘲笑されても両親が自分を心から愛してくれたのはちひろにとってはただ一つ本当のこと。
彼女の未来を思う。改めて『星の子』というタイトルの深みが胸に沈んでいく。
今村夏子の書く人の悪意、不穏もそうだけど、新興宗教にハマる親の存在は抜きにしてちひろにはちひろを理解する友達がちゃんといること、その優しさも、対等に描かれているのがよかった。「親が新興宗教にハマった不幸な少女の物語」と言う安直な枠組みにはめ込まないでいてくれてとても安心した。
岡田将生の浅薄で露悪的な演技が良い。ああ〜小説から出てきた人〜って思う。今村夏子が書く人の悪意を上手に汲んだと思う。
あとまーちゃん役の人がとてもよかった。すごくまーちゃんだった。親を宗教にハメたのはちひろの存在だって思いながらもちひろを可愛く思ってくれたまーちゃんだった…
次点 ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー
大親友ふたりの、うちら高校生活遊んでなくね?からの飛び込みパーティーは同級生みんなそれぞれイケてて、本当は恋も友情も普通にあった。もっと早くに気付きたかったけど、でも私たちだって、やっぱり最高&最強だったじゃん!ていう帰結が最高。いつも、ずっと、私たちは最高。
個性爆発コンビが互いに「あんたは最高にクールで美しい女なんだよ!」と時にはビンタつきで言い合える力強さ。互いの恋には突き飛ばす勢いで背中を押せる力強さ。こんなにパワフルな信頼関係があれば、離れても何があっても、あんたが今日も生きてるなら私だって元気に生きてるよと思えるだろうな。
同級生もみんなバカばっかと思ってたけど蓋を開けてみればみんなエキセントリックで楽しい人たち。
この映画のいいところは、ふたりが決してふたりの世界に閉じこもることなく同級生たちのことも対等に見られるようになる変化も描かれていること。
人を、世界を知るのは楽しいことだと描いていること。
インパクト作
1. レディ・マクベス
日々の単調と他者からの無関心に抑圧された少女の変貌と復讐。
同じカメラワークの中で、皮が一枚一枚剥がれていくように彼女は変わっていく。彼女は無敵を手に入れて怪物になる。カウチに座る彼女がこちらを見つめるとき、私を見つめるのは少女なのか、殺人鬼なのか、悪魔なのか。
『ミッドサマー』『ストーリー・オブ・マイライフ』以前の若きフローレンス・ピューの怪物ぶりには、そりゃあこの人と映画を撮りたくなるでしょうねと納得しかない。
ただあどけなかった低い声がドスの効いた冷酷な声に変わっていく。あらゆる表情が怖い。特に、誰にも中を見通せないその無表情が。
やはり食卓のシーンは印象的。アングルは変わらないままで彼女が豹変していく過程が映える。不満、孤独、抑圧、怒り、あらゆる負を抱え込んで彼女の表情は消え、存在そのものが悪意と化していく。彼女こそは無敵の女主人でもあり底なしの悪魔、美しきフローレンス・ピューだった。見れてよかった。
2. ルース・エドガー
成績良し性格良し家庭環境良しな高校生ルースがロッカーとその自我に隠したもの。「優等生」「サバイバー」「黒人の見本」あらゆる形にはめ込もうとする大人たちとそれを笑顔で受け止めるルース。消えた花火、パーティーの噂、壁の落書き、彼を取り囲んでは滅んでいく大人たち。
脚本が良い。ルース本人、彼を取り巻く大人たちにそれぞれ誰にも知り得ない余白があり、余白にこそ何かがあると確信するもののその余白に触れる梯子がどこにもない。ルースにも同級生にも大人にも嘘がある、その境界を見破れない。ルースを手放しに褒めそやす大人たちが見せるエゴの醜さに背中が凍る。
中でも不完全な母親役では右に出るものがいないナオミ・ワッツと怪演としか言いようがないオクタヴィア・スペンサーが素晴らしかった。ここまで人物像を作り込んでおきながら地獄に突き落とすように梯子を外す脚本に二人は完全にマッチしている。行き先が違っただけの、共に慈悲深い悪魔という二面性。
3. リトル・ジョー
部屋を暖かくして、毎日水やりをして、毎日愛すること。真っ赤に美しいリトル・ジョーの「ハッピー」な香り。
ハッピーは人を変えていく。ハッピーは体に食い込んでいく。人の中から不安や病理が取り除かれ、「幸せ」に埋め尽くされたとき、そこにいるのはかつてのその人だろうか。
人間は多面的、両義的なところに「その人」がいる。健康だけど病んでいる、仕事が好きだけど息子も愛している、でも顧みてやれない。花がそのあらゆるジレンマを無効化するとき、その人をその人たらしめていた多面性もまた消失する。
誰もが求めるハッピー、自分を塗りつぶしてでも欲しいハッピー?
軽い目眩を覚えるようなカメラワークや、カラフルでポップな衣装、甲高く響く雅楽、そしてリトル・ジョーのデザイン、全て時代や文化に文脈がなくどこか地に足がつかない浮遊感。
「人を幸せにする花」というお伽話のようなモチーフを据えつつも、人間の病理に切り込む映画。
真っ赤な幸せ、単色の幸せ。
以上、14作をお送りしました。
個人的にはやはり『燃ゆる女の肖像』が群を抜いていましたが、改めて記録を読み返してみると今年は女性を愛し祝福する映画、慣習からの自由を求めて歩き出す映画、現代社会を見事に切り取ったフィクションやドキュメンタリー、そして優れた脚本、俳優を最高に生かした良作が揃った年でもあったように思います。(ちなみに『ジョジョ・ラビット』は私の母が深く愛した映画でした)
特にテーマ立てて選んだわけではないけれど、並べた作品を見ていると今年の10本+次点作には「人生の美しさを諦めない」という言葉が浮かびました。インパクト作はその名の通りインパクト賞です。一度観ただけで強烈かつ鮮烈な印象、そして一度観ただけでは拭いきれない違和感や、自然ともう一度観たくなるような感覚を持たせるような映画3本を選びました。
コロナ禍にあっても、自分はめげずに映画館に通っていたんだなあと、記録を辿りながら感じていました。今年は流石に配信で観る映画も多かったですが、やっぱり映画館という場所の、閉ざされた暗闇、視界いっぱいに広がる画面と音響、その一体感や高揚感、そしてどこか、行き場のない孤独を包み込んでくれるようなあの優しさを愛していました。映画館という場所も、映画という作品媒体も、これからもずっと愛するだろうと思います。映画を愛する人生をまっすぐに歩いていくのだろうと、改めて感じた一年間でした。
来年も良い作品が映画館に訪れますように。
▼他にも色々書きました