父親目線の[小児がん闘病記]「僕は君を守れるか」のネタバレ
↑のネタバレと言うのは、この[note]で僕が書いている「僕は君を守れるか」と言うタイトルの三部作(マガジン)のネタバレと言う意味です。
この「僕は君を守れるか」は、今から20年以上も前の、
当時4歳4ヶ月で小児がんを発症した娘の入院生活
〜「序章_元疾患編」
その4年後に再発した白血病を兄妹間の骨髄移植で切り抜け
〜「破章_骨髄移植編 」
にもかかわらず、その15年後に三たびおとずれた生命の危機を乗り越えた
〜「急章_生体肺移植編」
の家族の物語です。
あっ、先に断っておきますと、
「ネタ」と言うのは
娘の生存のことではありません。娘は今も生きてます。(笑)
では、何か?と言うと、
それは、この三部作を貫いているタイトルの「僕は君を守れるか」と言う疑問への答えです。
ここからは本当にネタバレになってしまうので、
ここで書いてしまって良いものかどうか迷うのですが、、、
結論を言ってしまえば、
その疑問は、まったくもって、僕の独りよがりの愚問であった
、、、と言うことに、最後の最後で僕は気づくのです。
どう言う事かと言いますと
そうですね、
「男女共同参画社会」みたいな事が言われてもう久しい訳で
例えば職種(職場)における男女差別を無くすとか、対等性みたいな事が叫ばれても
いざ父親が育児教室なんかに参加すると、何かにつけて「お母さん」前提で
「お父さん?えっ・・・」みたいな現象が起きてると思うんです。
これが、小児医療だとより鮮明にあって、
「普段のお子さんの様子は~」みたいな事を聞かれるのもだいたい母親で、
父親は透明化してしまう。
しかも、小児がんみたいな究極的なシーンでは、それが顕著にあると思うのです。
とは言え、24時間看護が求められる小児科病棟の現場で、
「男女共同参画」みたいなことを言い出しても、現場は混乱するだけだと思うし、
どうしたって男女差はある訳で、父親、母親の役割分担もしかりです。
(その方が効率的だし、患児への負担も少ないと思います。)
そんな時、男はやっぱり一歩下がるしかない訳なんだけど、
けして、我が子を思う気持ちにも男女差は無いはずです。
そんなギャップと言うか、ストレスは
僕の場合、安っぽい疎外感、無力感となり、
逆に妙な気負いになっていたんですね。
この「僕は君を守れるか」の
特に、1章.2章辺りは
そう言う、自己承認欲求みたいなのがすごく、出てます。(笑)
でも、その13年後の、第3章のシーンでは、
ホントに本当に、沢山の人に支えられたと、心から感じる事ができました。
もしかしたら、成長したのは、娘ではなく僕自身なのかも知れません。
さて、
小児がん闘病記・・・と言うと
もしかしたら、ネガティブ? 重い?
そんな、閉鎖空間をイメージされしまうかもしれませんが
例えば、
インスタにどんなに華やかな写真を上げていようと、
その人が必ずしも幸せとは限らない様に
小児がん、闘病・・・と言っても
そこには、みなさんと同じ様に、
成長や発見、幸せを噛みしめる瞬間があるのです。
それはきっと、生を授かり、死が訪れるその日まで
どんな人にも公平に味わうものだと思うのです。
困難を乗り越えた、一つの家族の物語。
そんな風に読んでもらえたら嬉しいです。
僕は君を守れるか_序章_元疾患編 indexはこちら
僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編 indexはこちら
僕は君を守れるか_急章_生体肺移植編 indexはこちら
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