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インサイド・ヘッドが続編を出した理由がわかった気がする

『えみちゃんって、スーパーの店員がイライラしてたら、それを(そのイライラした感情を)もらうことってある?』

ある朝、ママ友にこんな質問をされました

『今はないかなぁ・・』と答えましたが

過去の私を思い返してみると、
そういう状況にちょっとでも遭遇すると

『なんであの人はあんなにイライラしていたんだ?』『もうちょっと気分良くできない?』
とその後何時間もモヤモヤしていたように思います

その質問をしてくれた友人と別れた後、他人の感情にそこまで左右されなくなった今の私と過去の私、どういった変化があったのだろう・・と考えてみました


そもそも、私は『怒っている』人を見るのが本当に苦手でした


怒鳴り散らすその辺のおじさん
急に運転で気が荒くなる当時のデート相手
めっちゃ不機嫌なレジのおばちゃん

怒っている人を見ると、
なんであんなことで怒るの?
もっと相手の気持ちを考えたらいいのに
と、いちいち嫌悪感を抱いていました

では、自分の『怒り』に対してはどうだったか?

くぅ〜!これも許せなかったですね。
イライラして家族に当たることはあるけれど、怒ることができない。怒りを出すとどちらかというと涙になるタイプ。怒りを一旦"ゴクン"と飲み込み、感情的になる。

もう一度言います、イライラは普通にします!

どうも『怒り』という感情が表に出てこない
なぜかな・・とその晩、考えた時に、腑に落ちたのです


『怒ることに自分で許可を出してこなかったんだ』と




これは私の子ども時代からつながっていたことにも気がつきました

『怒ることは誰かを傷つけること』だと自然と小さな頃にインプットされてきた子ども時代

なので、怒りの感情が湧くと罪悪感を抱いたり、感傷的になることが多かった

反抗期と言われる時期に、はちゃめちゃに両親に怒ることもなかった

今振り返ると、『怒り=悪』『怒り=ダメなこと』という私の脳内設定ができてしまっていたのだと思います

そのため、自分の『怒りの感情』に蓋をして、無いことにしてきたのです

つまり、自分が『怒る』感情を抱くことに許可をしていなかったから、他人の『怒り」も許せなかったわけ。

だから、怒っている人を見ると、許せなかった。いやだった。

ようやく『他人の許せないこと』と『自分の許せないこと』はイコールなんだと腑に落ちたんです



先月、家族で『インサイド・ヘッド2』を観に行きました

人間には、喜ぶ感情もあれば怒りの感情もある
すべての感情から『わたし』という人間が形成されていく・・

といった内容。

さすがディズニー。これの内容が20年以上前にやっていても、全人類、まったく理解できていなかったんじゃないかな

そして、続編にも至らなかったかと思います

抑圧され、画一的な世の中から多様的になり

傷がついたことは癒していこう・・
許していこう・・
幸せになろう、平和をもたらそう・・

といった世の中の空気感へと変化してきたからこその作品ですよね


子どもの夏休みで軽い気持ちで観に行ったら
心に響きすぎて・・・もぅ・・!ズルズル鼻水!という大人がわんさかいる(らしい!)のは、大人って自分が思っているより、ずっと傷ついているからなのではないでしょうか。

ふぁぁ・・ディズニーからのメッセージは計り知れないぜ★


改めて、過去私はインサイド・ヘッドでいう『怒り』に蓋をしていた事に気がついたのです

私はここ数年、様々な方法で自分と向き合ってきたように思います

(ジャーナリング、運動、瞑想、読書などがメイン)

自分の『今』湧き上がる感情に無視せず、蓋をせず、過ごしてきました。そうやって、自分を癒やし始めていたんですね。

ピンときたものは、とにかくトライ!海に飛び込みたくなったら、すぐ飛び込む!

何気なくしていたことが積み重なり、気づいた時には過去、自分、家族を許していたのです。よく自分を許せると、他人を許すことができるといわれますが、まさにその通り。

他人が怒る姿を見ても、動じなくなったのは、自分を許すことができたからなのだ、とようやく気付いたのです


人前で怒るひとをけしからん!と思っていた過去の私。それは、人前で怒るなんて絶対にだめ!と自分に暗示をかけていたから。

無愛想な人もいやだった。でもそれは同時に、人前では愛想よくしてないと!と自分で自分のルールを作って、そこに囚われていたから。

他人のイラつくポイントを俯瞰してみると、自分に許可していないことがポロッと出てきます。いやヌメっとか・・



反抗期で悩む、お母さん。たくさんいますよね。私の娘(小1)も、もうすでに立派に反抗するので、やれやれ・・ですが『私はこうしたい!』『私はこれはしたくない!』と自分の世界を確立していく立派な通過儀礼なんだと、自分の過去を振り返って、感じるのです。『怒り』を表に出すことは決してネガティブなことではない。

幼児のイヤイヤ期だって、自分を形成する大切な通過儀礼。(しんどいけど)

今でいう自分軸がはっきりしている人は、過去、親に対する立派な反抗期があったのではないでしょーか。そこをスキップしてしまうと、自分という軸が、もしかすると薄くなってしまうのかもしれませんね。(わたしの体験談)

無意識に蓋をしていたものたくさんあるなぁ。
腑に落ちるまで、長い旅をしているような気分ですがこうして気がつく事で、また随分と生きやすくなった感じがするっっっ


感じがするっっって、めっちゃ大事だと思いませんか。

2024.9.3 emi

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