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音楽の本質を捉える「才能」が払った犠牲とは

ジャズ・ファンの間でことし話題になった本の一つにこれがあるのではないでしょうか?
『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(ドナルド・L・マギン著、村上春樹訳、新潮社刊)。

ジャズ・ファンで知られる村上春樹さんの訳ですし、何よりスタン・ゲッツ(ts)の生涯をここまで赤裸々に描いた著作が出たという衝撃が大きかったと思います。本文は2段組みで550ページほど。かなり分厚く、読むのに時間がかかりましたが年末の追い込みで何とか読了しました。

正直、ゲッツの人生で大きな部分を占めるクスリとアルコール中毒、それに伴う暴力の描写には辛いものがあります。人格的にも落ち着いているときと荒れたときの振れ幅が大きく、相当「やっかいな」人であったことは間違いないです。

それでも、音楽に関してはずっと真摯であったことは間違いありません。同時代の音楽に関してアンテナを張り巡らせ、全くスタイルが違うジョン・コルトレーン(ts)のことを意識していたというエピソードは意外なものでした。

また、ゲッツをジャズ・ファン以外にも知らしめ、ポップ・チャートに顔を出すまでにしたボサノヴァの演奏も、最初は純粋に音楽的な動機から始まっていました。ギタリストのチャーリー・バードからの勧めでボサノヴァを聴いて、ゲッツは「即座にその音楽に参ってしまった」というのです。

ゲッツにボサノヴァの企画を持ちかけられたプロデューサーのクリード・テイラーは当初、「商業的な価値はあまりない」と思ったそうです。ゲッツの音楽的な勘の良さが結果的に大ヒットを招き寄せたことになります。

そんなゲッツが50代にして、より自分の主張を強く打ち出した時期があります。1980年代に入るまでにゲッツはメジャー・レーベルの仕事を多くこなし商業的な作品も制作しているのですが、その中には不満が残るものがありました。そこで、小さな独立系レーベルで「純粋なジャズ」に熱心なコンコードと組むことにしたのです。

そこで生まれたのが「ピュア・ゲッツ」という作品でした。ここでのゲッツは本当に「ピュア」な気持ちで演奏に臨んだということが音から伝わってきます。そこには共演したジム・マクニーリー(p)やマーク・ジョンソン(b)といった若手の存在も大きかったのだと思います。ピアノトリオ+ワンホーンという典型的なカルテット編成でありながら、非常に刺激的で濃密な音楽世界が展開されています。

「ピュア・ゲッツ」が制作された当時のAP通信での記事でゲッツは次のように語っています。

長い間ずっと同じことをやっていると、だんだん飽きてきて、自分が進歩していないみたいに思えてくる。それがもっと続くと、退屈で不幸な気持ちになる。ところがそのあとに状況が急に上向いて、前にいたところをひょいと飛び越えていくんだ。
音楽をやっていて良かったと思うのは、そういうときだね。それはなんていうか、フィジカルな感覚なんだよ。さして苦労もなく無駄もなく、出し抜けにより豊かなフォームが、ロジックが、内容が、勝手に出来上がっていくんだ。

(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』442ページより引用)

まさに、この言葉にあるような「突き抜けた」ゲッツの音世界を聴いてみましょう。

1982年1月サンフランシスコ、同年2月ニューヨークでの録音。

Stan Getz(ts)  James McNeely(p)  Marc Johnson(b)
Victor Lewis(ds)※NYセッション参加 
Billy Hart(ds)※サンフランシスコ・セッション参加

①On The Up And Up
ジム・マクニーリーのオリジナル。ピアノ・トリオによるイントロの躍動感が80年代らしく、「新しいゲッツが聴けそう」という予感をもたらしてくれます。ゲッツのテナーがメロディを歌い上げたところからリズムにボサノヴァの要素が加わりますが、曲全体としてはやや複雑な構造とスピード感があり、「以前の焼き直し」であることが最初から放棄されていることが分かります。ゲッツのソロは伸びやかで勢いにあふれており、スイスイと思い通りに歌っているように聴こえます。「フィジカルな感覚」とはこういうことかと思えるのですが、こうしたプレイが実現するにあたり、マクニーリーがバックでつける挑戦的で生きのいいコードが貢献していることは間違いないでしょう。続くマクニーリーのソロは、来るべき時代にふさわしいというか非常にリズミックで、クリアな眩しいサウンドを持っています。彼がもたらした新しい音がゲッツに火をつけたトラックです。

②Blood Count
ビリー・ストレイホーンによって作曲されたナンバー。ここでの最大の聴きものはゲッツによる渾身のバラッド・プレイです。実はここではずっとメロディが演奏され、ソロが取られていません。先に書いたようにゲッツはかなり困難な人生を歩んできたわけですが、そこで噛みしめた人生の「酸いも甘いも」このメロディに全て注ぎ込んでいるかのように聴こえてきます。冒頭からゲッツのテナーが穏やかに、抒情的な響きで歌い上げます。ゆっくりと奏でられるメロディにやがてダイナミックな音が加えられ、哀感がピークに達するかと思える瞬間が来るのですが、すぐに波が引くように小さな音が入り、その流れが繰り返されます。少しでも間違えば全てが壊れてしまいそうな微妙なバランスをゲッツは完璧にこなして最後まで吹ききっています。メロディを吹くだけでこれだけの「解釈」を引き出してしまう能力、恐るべしです。

③Very Early
ピアニストのビル・エヴァンスの作曲で知られるナンバー。メロディでのリリカルなゲッツのプレイも素晴らしいですが、続くマーク・ジョンソンのよく歌うベース・ソロも素晴らしい。ジョンソンはエヴァンスのトリオを経てこのグループに参加しており、エヴァンスとのインタープレイで培った要素が現れていると思います。マクニーリーの構成がピシッと決まったソロの後にゲッツが得意の浮遊感あふれるソロを取ってくれるのもうれしい。②の後にリラックスしたこの曲が配されているのも分かる気がします。

ミュージシャンが自分の音楽に「ピュア」に向き合ったとしても、支持が得られる保証はありません。しかし、ゲッツは生涯にわたってファンとミュージシャンを魅了したことが今回の本からよく伝わってきます。

おそらく、「音楽の本質」をとらえることができる才能のなせる技なのでしょうが、ゲッツの場合はハードな音楽追求の日々と幼少時の経験から中毒に溺れ、私生活で多くの犠牲を払ってしまいました。

ゲッツ自身も穏やかな暮らしに憧れていたことが本書から分かるだけに、
才能と人間の持つ「業」の関係という、永遠に解決しないテーマに、
何とも言えない感慨をもった年末となりました。


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