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ロリスの今観返したい映画レビュー『ジョーカー・ゲーム』編

日本の実写映画は駄作、という風潮はまだまだ根強い。
気持ちはわかる。
残念ながら原作の媒体が何であろうとも、原作の強みを残した実写映像化は決して多いとは言えない。
それでも日本人はどういうわけか実写映画が好きなのだ。


http://www.eiren.org/toukei/index.html
こちらは日本映画製作者連盟が出している2020年の興行収入10億越えの作品ランキングなのだが、見て頂きたい。
1位の鬼滅の刃の圧倒的なパワーに目がいくが視線をグッと下げてもらい、続く第2位には『今日から俺は! 劇場版』がランクインしている。
その他にもカイジやヲタ恋、屍人荘の殺人などの原作が別媒体の実写映画がランクインしている。
……まあ、身も蓋もない言い方をしてしまえば実写映画は作りやすい上に金になるのだ。
『今日から俺は!』なんかは映画公開以前にテレビドラマも放送されて土台もしっかりしていたので、その作りやすさは更なりだ。
だからこれからも実写映画はポンポン作られるだろうことは想像に難くない。
であれば、我々に必要なものは実写映画の楽しみ方ではないだろうか。
実写映画もそんなに悪いものじゃないよ。
偏見を捨ててもう一度実写映画を信じてみてもいいかもしれないよ。保証はしないけど。
と、実写映画への諦めと期待を綯い交ぜにしてもらったところで今回紹介する作品の話に入らせてもらおうと思う。

『ジョーカー・ゲーム』

簡単なあらすじ紹介。
上官殺しの罪で処刑寸前の主人公は軍内に新設されたスパイ組織「D機関」の結城中佐に助けられる。
結城は主人公の命を助けた代わりにこの組織で働くよう持ちかけ、主人公はそれに応じる。
D機関での過酷な訓練に明け暮れる中、主人公は初の任務を与えられる。
任務の内容は新型爆弾の設計図、通称ブラックノートの奪取。
主人公は嘉藤次郎という偽名を与えられ、ブラックノートを所持するアメリカ大使アーネスト・グラハムと接触するのであった……。

はじめに断っておくと、私自身は本作の原作小説の方のみ読破している。
アニメの方は最初の数話を観た程度なのでアニメと原作小説の違いは把握できていない。
なので本作の比較対象として持ち出す“原作”という言葉は小説『ジョーカー・ゲーム』のことを指している。
その上で本作が原作に忠実かと問われれば「それはない」と一刀両断する。
そもそも原作の『ジョーカー・ゲーム』はいくつかの短編から成るオムニバス形式の短編集だ。
D機関に所属するスパイの任務を描くこともあれば、D機関を目の敵にしている陸軍から見たD機関の姿を描いたエピソードもある。
本作も原作内のエピソードを下敷きにしてストーリーが展開されるのだが、本来は複数の主人公がそれぞれ担当していた任務を主人公の亀梨和也1人にやらせるのだからどうしても継ぎ接ぎじみた展開だという印象は拭えない。
そこで複数の原作エピソードを繋ぐためにオリジナルの縦軸があるわけなのだが、このオリジナルストーリーと原作との食い合わせが非常に悪い。
原作は、『007シリーズ』や『MIPシリーズ』や『キングスマン』などに代表される特殊なアイテムをスタイリッシュに使いこなしながら派手なアクションを繰り広げるいわゆる一般的な「スパイ映画」のイメージとは対極に位置する作品だ。
特殊な機能を備えた秘密道具は出てこないし、派手な戦闘もない。
スパイとは「透明な存在」であるべきだと作中で言われていることもあって、敵対組織との手に汗握る攻防よりも如何に敵対組織を欺き痕跡を残さずに情報を奪うかの心理戦・頭脳戦を主軸に置いたスパイの活躍が描かれているのだ。
それに対して本作のオリジナルストーリーとは、「ブラックノートを巡る英国諜報機関との戦闘、深田恭子演じる女スパイとのラブロマンス」。

本作は「スパイ映画」の対極に位置するって説明しちゃったんですけど……

とはいえ、原作再現を無視して好き勝手やろうと考えてる訳では無いとも思う。
たとえば、原作にもあった印象的なD機関のスパイ考として「スパイにとって殺人および、自決は最悪の選択肢」というものがある。
仮にスパイ行為が敵対組織にバレた時に、殺人あるいは自決を行って自分か敵の死体を出すとそれを必ず警察が調べる。
警察の捜査によってそれまでのスパイ行為の成果が無駄になる可能性を考えると自決も殺人も取るべきではない選択肢である、という考えだ。
本作では短くキャッチーに「死ぬな、殺すな」とまとめられている。
まあ「死ぬな」に関しては当たり前だが守っている。
主人公が死んでしまえばお話は終わってしまうからね。
が、「殺すな」に関してはかなり怪しい。
ブラックノートを探しているところを人に見られたために首を絞めて気絶させたり、敵の基地を脱出する際には火薬庫を爆破して敵の基地を壊滅させたり。
とてもじゃないが「死ぬな殺すなは!?」と画面にツッコミを入れなきゃ観てられないほど、ド派手に暴れている。
余談だが原作ではこれらに次いで「敵との戦闘」も避けるべき事態であるとされているのだが、「殺すな」が怪しいのにそっちが守られるはずもなくガッツリ戦っている。
訓練生の時に優秀な成績を上げていた亀梨くんはどこに行ったんだ。
とはいえ、めちゃくちゃしてるのは何も亀梨くんだけというわけじゃない。
大火力で車を爆破されてもすごい高性能な耐火スーツのお陰でちゃっかり生き延びる小田切と実井。
「このアバズレが!アメリカはすごい国だぞ!」という迷訳文を叩き出すアーネスト・グラハム。
不二子っぽいなと感じてはいたけれど去り際のラストシーンで完璧に不二子になっちゃうルパンの娘ことリン(深田恭子)。
リアルとファンタジーの境界を曖昧にするエッジの効いた描写のお陰か(主に深田恭子の峰不二子ムーブによって)、「これ実写『ジョーカー・ゲーム』というより実写『ルパン三世』じゃない?」と困惑すること間違いなしだ。

そういうわけで出来栄え的にも興行収入的にも実写化成功作とは言えない本作だが、本作内のオリジナルテイストは不思議な魅力を放っている。
「何でそうなるの!?」と実写オリジナルの味付けに興味を持つことができれば、実写映画を楽しむことは簡単だ。
「実写版を観てまで原作の美しい思い出を汚したくない」という考えもよくわかる。
だが、実際に観たわけでもないのに実写映画の全てが駄作であるという偏見だけで視野を狭めるのはいかがなものか。
まずは本作をきっかけに実写映画の楽しみ方を知るのも一興だと私は思う。
保証はしないけど。(2回目)

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