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『ファルコン•レイク』から見出す青春の毒と蜜

夏という季節と青春は強く結ばれている。
照りつける太陽、光を反射して輝く水辺、シャワーのような木漏れ日が差す森、そしていつもより寂しげな夕闇。
夏を象徴する言葉からは細部は違えども皆似たような景色を浮かべているんじゃないだろうか。そしてその景色にいる貴方は今より幼い姿ではないだろうか。
『ファルコン•レイク』はいわば私たちの心の奥底にしまわれた夏の原風景を鮮やかかつ残酷にリペイントしたような映画だ。

ある夏、13歳の少年バスティアンは一家でカナダの避暑地を訪れる。そこで待っていたのは母の友人ルイーズとその娘クロエ。久しぶりに再会した16歳のクロエの姿はバスティアンにとってどうしようもなく魅力的な姿に映る。幽霊が出ると噂の静かな湖畔にて2人の人生で一度きりの忘れられない夏が始まる。

主人公のバスティアンはもうすぐ14歳になる頃という、何というか思春期のトロの中のトロを味わっている年齢だ。
コテージに向かう車内でも1人だけヘッドホンをつけて音楽を聴きながら外の景色に目を向ける。「こういう気取った時期あったなー」なんて感じるバスティアンの所作は一々かわいい。
そういう年頃だからこそクロエ相手にも精一杯の背伸びをする。対するクロエにはその辺りも織り込み済みでバスティアンと接されてるわけだが、バスティアンはどこまでも必死だ。
年齢相応の思考や行動を自然に見せるバスティアンは等身大のティーンと言える。

幼さの残るバスティアンと対照的なのが早熟アンニュイ不良少女のクロエだ。
この作品で最も異彩を放つ、ある意味じゃ1番現実離れしているとも言える彼女の魅力は段違いで、バスティアンが憧れるのも無理ない話だ。
13歳のバスティアンの視点から16歳のクロエの破戒的で破天荒な行動は輝いて見える。
親のワインを盗み飲み、煙草の煙を燻らせる彼女は兎に角バスティアンに都合が良すぎる。
自分に都合が良すぎると頭でわかっていても抗えないんだよ、こういう魔性の女には。覚えがありすぎる。
バスティアンの知らない大人のお兄さん達と仲良く酒を飲み交わし、煙草を分け合うクロエ。居た堪れなくなって先に帰ったバスティアンに追いついて「あんたがいないとつまんない」とさらりと言ったり。
ゲロで汚れたバスティアンの体を洗うために無防備な下着姿で狭いバスタブで体を寄せ合ったり。
バスティアンよりずっと大人に見えたはずのクロエが漏らした最も怖いものが孤独だったり。
大人と子どもの狭間にいる彼女が見せる隙がとにかく良いんだ。俗っぽく言うならギャップ萌えってやつだ。
大人になる過程の2人の紡ぐ不完全な世界は見ていてやきもきするようなそれでいて心地のいい映像なんだ。
大人でも子どもでもない2人の短い夏の日々は甘ったるい氷菓子のような蜜の味だ。

しかしながら、何者かになろうともがく2人の行く道にあるのは甘い蜜だけではない。
過ごす日々が明るけりゃ明るいだけ、そこにできる影も大きくなるのだから。
本作の凄いところはここで、青春の思い出を綺麗な輝きで埋め尽くすだけじゃなく変化に伴う死の匂いもしっかり描いているところなんだ。
バスティアンがクロエに持つ感情は恋と言うには幼すぎ、憧憬として片づけるには綺麗すぎる。
子どもと大人の狭間にこそ芽生える感情は時として危うさも生む。
バスティアンは中途半端な感情を抱えながらもクロエを振り向かせようと立ち回るんだけどそれは例えば、招かれたパーティでビールを飲むことだったりクロエの抱く恐怖に寄り添うことだったり。
年上の彼女に見合う男であろうと背伸びして虚勢を張る姿がいじらしいという話は前述したが、同時に緊張感をもたらす。
一方のクロエは反対に自分を取り巻く周囲の変化に戸惑いと苛立ちを覚えている。男女では精神年齢に差があるなんて話をよく聞くが、背伸びしたバスティアンの振る舞いはクロエと並ぶと実年齢の差よりも大きく見える。
彼女の方がより正確に自分が少女から女へ変わるポイントが今であることを自覚しており、だからこそある意味ではバスティアンの無垢な姿から安心感を得ているような節さえある。
「孤独が怖い」というクロエの言葉にはそういう大人になることへの不安こそが本質なのだろうと私は受け取った。
そんな風にまるで逆方向を向いている2人を結ぶ糸がいつまでも耐えられるはずもなく、夏の終わりにプツリと切れてしまう。
思春期の楽しい思い出はそれからの人生の支えになるが、苦い思い出は呪いのように時折顔を覗かせては心を蝕む。
まだ若く勢いで生きている子ども達は蜜も毒も全力で呷ってしまう。呷った毒も若さ故の過ちと処理できればいいのだが、それでは済まない毒もある。
本作のラスト5分にはそういう青春の再起不能な嫌な部分が最悪な形で凝縮されている。

思い出は得てして美化されてしまうものであるが、『ファルコン•レイク』では個人の綺麗な思い出のみを呼び起こすような映像が詰められている。
観客が綺麗な景色に想いを馳せている一方でその片隅に偏在する確かな危険をも最後の最後でしっかり描く。
梯子外しにも見えるその構成はある意味じゃとても真摯だなと感じた。
湖畔に佇むラストカットの2度と振り向くことのないクロエの背中には、青春の毒と蜜がたっぷりと塗りたくられている。
過ぎ去った日々を思い返す時に私たちが思い浮かべる美しく脚色された景色に目を凝らしてみれば、綺麗なだけでは済まない様々な過去が綯い交ぜになってるかもしれないなと夏の終わりに感じるのであった。

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