父が他界した
7/13 水曜日に父が階段から落ちて救急搬送され手術したのに虚しくも、そのまま7/16に息を引き取りました。
70歳でした。
元々脳を患っており、脳出血を4度繰り返しそれでも生きた運の強さだったんですが、打ちどころが悪くて回復の目処が立たなかったようです。
呆気なく急逝した父ですが、どうして死んでから、もっと話せばよかったとかもっとどこかへ出掛けたら良かったとか後悔が先に出てしまうんでしょうかね。
明日も当たり前に生きている保証なんてどこにも無いのに。
でも、オヤジ今幸せですか?なんて恥ずかしくて聞けないし、子供から心配されるなんてプライドが許さなそうだしね。
男ってどうしてこう誇りや見栄が先に出るのか。
昨日無事喪主を務め父を見送りましたが、花の数は100を超え、お寺の本堂まで花の道が出来ていました。この寺始まって以来の数だそうです。
父はいつも朝早くから仕事へ出かけ、夜遅くまで店を開けて頑張ってました。
総合食品の小さな店をやってたんですよね。
地域のみんなからも愛されて、よく町のイベントにも出てましたね。
多くの参列者に見送られ、さぞ幸せだろうと思います。
バタバタして悲しむ暇もありませんでしたが、葬儀を終えほっとした時に尊敬する兄貴分からこんなメッセージが届いた。
「兄弟…
父親の1番嬉しいのは息子の成功だ。
母親の1番嬉しいのは息子の健康だ…。
3度倒れても立ち上がった豪傑なオヤジさんは至極、喜んでいますよ。
最後の最後まで親父さんを重んじた親孝行…お疲れ様でした…。
心から御冥福をお祈り申し上げます」
このメッセージが来た瞬間涙が溢れました。
そして改めてこの言葉に多くの学びがありました。
確かに、男はどうしてか息子の成功を先に期待してしまう。
女性はやはり無事を案じる。
だから女性は子供が心配で、いつまでも長生きするのだな、と。
男の場合、子供が成功するとホッとして安心しちゃうのかもね。
死ぬまで心配するのは女性なんだな、と痛感した。
子供は何歳なっても子供なんだと言うセリフは女性の言葉なのかもしれない。
母もきっと悲しみを抑えられずにいるとは思うんだけど、俺の心配の方が多いんだろう。
それを考えると、母のために健康でいるべきだと改めて思った。
仕事は順調で今はとにかく忙しい毎日だが、休んでいる姿もたまに見せなくてはいけないですね。
しかし人生は儚い。
何を持ってゴールかもわからない人生で、とにかく幸せだとしても、もういいや、なんて言えない。
幸せなら幸せな分、人に分けてあげたくなるし、分けたら幸せが足りなくなってまた頑張ってしまうし。
父は幸せだったのか?
という疑念は今も持ちますが、幸せだったとしても死にたくはなかっただろう。
とにかくあれしてればこれしてれば、とたらればの発想しか出ない。
情け無い…。
生きてるうちに伝えたい事を伝えよう、なんてありふれた言葉があるけども、そんなの絶対無理ですよ。
失って気付くから、多分人は後悔して優しくなれるのかもしれませんね。
恩を返すよりも恩を送る方が人間らしい。
俺も子供を持つ身。
今の子供が笑って楽しく過ごせる毎日をただただ望みたいです。
そしてそれでもやっぱりみんなにこう伝えたい。
「生きてるうちに伝えたいことを伝えてください」
と。