ナマケる生き方、人生楽だらけ〜! 其の八
うちの息子がこう言っていた。
「寝ているときが一番しあわせ」だと。
たしかに寝ているときは怖い夢や嫌な夢を見ない限りは、平和そのものである。
だれかに文句を言われることもない。
早く〜〜しなさい。とも言われない。
他人の目を気にして行動しなくてもいい。
時間の進み方だって、いやいや勉強しているときよりも圧倒的に早く時間が経過してしまうので、楽しいことをしているときのようだ。
親である私も含め、世間の大人たちはよく子どもたちにこう言う。
「人のためになるような仕事をしなさい。」
たしかに人間は社会的動物でもあるので、他人のために役に立つ、つまり社会の中での存在意義のようなものに喜びを感じる動物であることは、脳科学の立場からも間違いないとされている。
ただ、おしなべて全員がそう考えるかどうかは、大いに疑問である。
そんなふうに考えない人間だっていて当然である。
それを悪いことだと断罪なんてできっこない。
ただ、社会通念がそうさせてこなかっただけだ。
たとえば日本は法治国家で、法の下の平等を保証されている。
幸福を追求する権利もある。
その幸福が「寝る」ことであるなら、それは日本においては保証された権利であると言っても間違いではないだろう。
社会は「〜のために役に立つ」という一見プラスのベクトルに対しては、概ね高評価を与えてきた。
経済的に有効であることに似ている。右肩上がりの成長を当たり前とし、プラスのベクトルに向かう経済こそが真の成長だと信じてきた。
お金が増えるわけではないが、「役に立つ」という一見何かが増えるわけではなさそうな概念も、同じように社会にとってのプラスであると感がている。
ただ、なぜ「役に立たない」ことを切り捨ててしまおうとするのだろうか?
「寝る」ことに幸福を感じるのであれば、それが生産活動に参加しないことであっても、社会とのつながりをシャットダウンしたような行為であっても、決して否定されるべきものではないのだ。
必要最低限の収入があれば、寝て暮らすことを良しとするライフスタイルがあってもいいだろう。
ミニマムに生きるという幸福があってのいいのだ。