ナマケる生き方、人生楽だらけ〜! 其の四「雑について考える」
世の中には「雑」がつく言葉たちがたくさんある。
雑談
雑念
雑学
雑音
雑務
雑魚
雑事
雑木
雑用
これら「雑」たちに共通するのは、規定の経済的効率から外れてしまったものである。
あまり役にも立ちそうにない会話、雑談。
集中したい時にかぎって入りこんんでくる邪魔なもの、雑念。
専門的でない一見役には立ちそうにない、雑学。
洗練された音楽や耳を傾けたくないような、雑音。
生産活動にはあまり関係しない、雑務や雑用。
漁師や漁業協同組合の人たちからすれば収入に結びつきにくい、雑魚(ざつぎょ、ざこ)。
建築資材として流通させることが困難な、雑木(ざつぼく、ぞうき)。
これら現代の資本主義社会においては無駄なものとして、無意味なものとして、外に追いやられてしまいそうな存在にはこの「雑」が冠される。
でもね、ちょっと待った!
これらの「雑」たちと付き合っている時って、生産的でないけど楽しかったりしない?
意味のないような雑談なんて、超たのしい!
話し相手が誰であろうと、そこには笑いがあり、ほのぼのとしていて、それでいて話し終わった時にはなぁーんにも残っていない。
残っているのは「あぁ、たのしかった!」という感情くらい。
勉強しようとしていると、ついつい関係のない本を読みたくなったり、彼氏や彼女のことを思い浮かべてしまったり、とにかく本流から離れてしまう誘惑はどんなときにも次から次へと襲ってくるものだ。
営業職だった頃、全く売り上げにはつながらないような仕事とも遊びとも取れないような「雑用」「雑事」をしている時の時間って、とっても充実している。
時間に追われることもないし、いくら利益を上げろ!とも言われない。
人生においてこの「雑」がなくなってしまったら、本当に窮屈で、あくせくしていて、ゆとりがなくって、苦しいものになってしまうんじゃないかと思う。
そんな人生が楽しいわけがない。
もちろんお金もけが悪いわけではないけど、今の世の中「時は金なり!」「働かざる者食うべからず」という価値観だけが先行してしまって、とにかく溺れてしまわぬように必死で泳ぎ続けている、洗脳された人たちのいかに多いことか?
効率的、コスパがいい、無駄がない--これらは言い換えると、時間に余裕がなくって、お金にも余裕がなく、生活にゆとりがない状態を指す同義語ではないかと思える。
一日、仕事もしないで、朝から庭の雑草を取り、川に出かけて雑魚を釣り、その魚を塩焼きにして近所の人と雑談にふけり、「明日、悪いけどちょっと手伝ってくれる?」と雑用をお願いされたお礼にオバチャンお手製の煮物をもらって一杯やる。
悪くない生活だと思わない?