何気ない晴れたある日
ひと仕事を終えて、あとは夕方まではフリーの時間。
次男くんと「今日は何する?」と声を掛け合うのだが、お互い何がしたいのか?出かけたいのか、家でのんびりしたいのか?、頭の中にはいろいろな思いがチョロチョロと動き回る鼠の如く、思考はあっち行きこっち息しているが、実際何かを決定できずにいた。
多動性のオレは、やはりこんな晴れてツーリング日和にはバイクでどこかへ出かけたいと思ったけたれども、籠り症の次男くんにはそれが魅惑的なイメージとして脳裏に焼き付くことはなく、結局2人は別行動をとることにした。
私は1時間ほどかけて海辺の誰も来ないような穴場的な岩場に腰をかけて、カバンの片隅に忍ばせてきた本を片手に背中に太陽の日差しを感じるのであった。
何かを達成するような歓喜に満ちた喜びとはかけ離れた、穏やかな潮騒を聴きながら本を読む時間。
何か飲み物でも買って来ればよかったか、あるいはコーヒー道具を持ってくるべきだったかと後悔しかけたが、ただ本を読むと言う時間を楽しむのであれば、それらは余計なものなのかもしれない。
暑ければ松林の木陰に入ることもできるし、誰かの視線を感じることもない。
おそらく海の上を群をなして飛んでいく鳥たちでさえ、オレの存在には気づくこともないだろう。
何かをしなければならないという呪縛から逃れている時の幸福感を味わうことも、人生において一見無駄なことのように思えるが、そもそも無駄こそが人生の醍醐味ではないかと思えてくる。