家の水が出なくなって気づいたこと
この前、山梨の家の水が出なくなりました。
原因は、昨年より雨が少なかったことだと思われます。
山深いところにある家のため、水道に関しては、自然の雨量が直結的に影響してしまうのですね。確かに家の前の川も半年くらい干上がった状態が続いていました。
水道の状態としては、水が少しは出たのですが、エアが入ってしまったり、茶色に濁ったような水が出たりと生活水として使用できないような状態が2カ月ほど続きました。
飲み水は、近く湧き水が出ているところから調達しましたが、さすがにお風呂の水量は運べないため、近隣の温泉へ入って過ごしていました。洗濯も、町外へ出てコインランドリーで洗濯をすることに。最初の頃は、温泉もコインランドリーも非日常的なことでしたので、少しの間は仕方ないと楽しみながらやっていましたが、1ヵ月も続くと、温泉行くのもちょっと疲れたな、コインランドリー行くの大変だな。と疲れてしまいました。。。
こんな生活も、2,3日で元の生活に戻ればなんとも思わなかったのでしょうが、2カ月も水に困る生活が続くと身に染みて、「水のありがたさ」を感じることになりました。水が無いと生活が不便でなりません。そして、今までは蛇口をひねればいつでも水が出ていたことに、自然の恩恵を受けて、そして、それを家に届けるために整備してくれた方々によって、生きていらているのだと改めて考えさせられました。
この経験によって、学んだこと。
まず、水は大切にしなければならない。
そして、当たり前だと思っていることは、当たり前ではない。
ということ。
何が起きるかわからないのが未来です。
ですから、今その瞬間を大切に生きることが重要だと思いました。
日常的に生活をしていると、世の中には、たくさんの当たり前とされていることがたくさんあります。これを俯瞰して、疑問に思ってみることで、また違った視点で生活することができるのではないでしょうか。
この出来事を機会に、日々の生活の当たり前を少しでも気にして生活してみようと思いました。その当たり前がどうして、どのようにして当たり前になったのか、当たり前なことの歴史や背景まで知ることで、これからの新しい時代に役立つ何かのヒントになるかもしれません。そんな気持ちで生活すると平凡な日常も面白くなるのではないでしょうか。
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