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なぜ、日本のサラリーマンは、12時になったらお昼ご飯へ行くのか?

この1年で私の働き方は変わりました。
noteさんとパーソルさんの「#私らしいはたらき方」キャンペーンを拝見し、自分の想いを書き綴ってみようと、note初投稿となります。
長文で下手くそで、つまらない文章ですが、自分にとって良い振り返りの機会となりました。このような機会をいただいたことに感謝いたします。

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1,はじめに

 まずはじめに、私は、昨年サラリーマンを退職し、今年の1月より、個人事業主として新しい働き方を始めました。スタートアップで何か起業をした訳ではありません。企業や個人事業主の方々のお仕事を業務委託で請け負っています。なんとか半年経過し、スタートラインを半歩踏み出せたような状態です。そんな私のこれまでの社会人としてのこれまでのはたらき方を振り返ってみたいと思います。これから先の「#私らしいはたらき方」、そして「#私たしい生き方」を見つけるために。

2,新卒時代の私のはたらき方

・絶対にやらない職種と決めていた「営業職」に目覚めた
 新入社員で入社した会社は、IT企業で、当時は2000年前半でITブーム真っ盛りの時代でした。そこで、デザイン制作などに興味が強かった私は、クリエイティブの職種を志望しましたが、研修中に営業職の面白さに目覚めました。人間関係や売上をデザインすることも目には見えないがクリエイティブな仕事と感じ、営業職にのめり込んでいくようになりました。

・終電逃してタクシーは当たり前の時代
 新入社員から3年間くらいは、夜遅くまで仕事をすることが当たり前になっていました。当初は実家から通勤していたため、心配した親から会社へ連絡も入り、これ以上心配をかけないようにと一人暮らしを始めました。家が近くなると、それまで以上に遅くなり、終電に間に合うならギリギリ走り込み、間に合わないなら諦めてタクシーで帰る、土日も、家で仕事をしたりと仕事を忘れる時間がほぼないような日々を過ごしていました。 それでも、良き上司や先輩、仲間に恵まれ、新しいことを学び、それを仕事で活かして、成果につながり、評価される喜びを感じていたため、充実した日々だったと思っています。20代で体力もあり、タフな生活にも対応できたのでしょう。

・経験と充実、成長を感じた日々
 新卒ながらすぐに新規開拓の開発チャネル担当させていただき、日本の小売チャネルのさまざまな業種への営業を経験しました。当然、失敗や辛い経験などもありました。若輩ながら各業界のトップの方々との商談にも同席させていただいたりなど、貴重で面白い経験をする機会がありました。 自分にとって、新鮮なことが多く、どんな仕事でも面白がりながら取り組めたことで、充実した日々を送りながら成長することができたのだと感じています。例えば、資料の印刷やファイリングなどの単純作業でも、いかに早く、効率よく、作業できるかを考えながら作業するだけで、単純作業も面白くなります。 その後、新規販路開拓の営業に加え、既存チャネルの営業やEC通販事業のバイヤー職などを経て7年ほど働き、自分にとって、貴重で大切な経験と成長をさせていただきました。

3,はじめての転職、外資系企業の自由なはたらき方

・最初は戸惑った自由なはたらき方
 社会人として営業マンとして、経験を積み、自信がある程度ついたと感じて、2012年頃に2社目の外資系企業に転職しました。ここでは、完全フレックスで、オフィスへの出社義務もなく、自由な働き方のスタイルになりました。転職当初は、よくわからずに、これまでどおり、満員電車で汗だくになりながら、朝8時頃出社していましたが、「あれ。。会社のドアが開いてない。誰もまだ会社に来ていない」なんてことが数回ありました。「この会社は、大丈夫なのかな???」と思い、上司や先輩たちに尋ねましたが、「オフィスにくる必要が無ければこなくて良いよ」「皆、自分のスタイルで、はたらいているよ」と根本的にはたらき方が違うのだと知りました。ここから、自分のはたらきかたや生き方のスタイル作りが本格的にはじまりました。

・時間と場所に縛られないはたらき方
 それからというもの、お客様や取引先、会社、チーム、自分のために、時間を有効に使うことを考えながらはたらき始めました。営業活動としての取引先との商談訪問や出張、社内の事務処理や資料作成、会議など、あらゆる仕事を、可能な限り自分でコントロールしてスケジューリングするようになりました。それにより、心にゆとりもでき、子供も産まれた時期でしたので、家族との時間も大切にするようになりました。

・仕事はどこでもできる
 営業担当は、日本全国でしたので、近郊の営業訪問は、もちろん、日本各地への出張も多く、オフィスに行くことは、週に1回程度。1年の3分の1は出張していたため、家を留守にすることは多く家族には大変な思いをさせたこともありましたが、ビデオ通話などでコミュニケーションを取りながら、生活できたことが良かったと思います。 そんな出張や外出が多い中で、仕事をする場所も、オフィスや自宅以外では、カフェ、ファミレス、ホテル、電車、飛行機、社用車の中(コンビニの駐車場など)とさまざまなところで仕事をするようになりました。当然、良かった場所や悪い場所などありますが、その経験を次に活かせました。PC作業やネット接続はもちろん、電話会議、コピーや荷物の配送受け取りなどなど、オフィスにいなくても困ることなく仕事ができるようになりました。また、車の運転時間も多かったため、運転中は、安全運転には気を付けながら、やるべき仕事を考えて、整理していたことで移動後にPC広げるとスムーズにアウトプットできるようになりました。これにより、自分スタイルの働き方が見えてきたように感じました。

・自分の時間も増やすことができた
 外出や出張が多かったですが、読書や趣味など自分の時間を増やすことができました。特に「食べること=生きること」がモットーの私にとっては、日本各地のご当地グルメや特産品をいただくことは、何よりの楽しみ。各地の居酒屋で皆でワイワイも大好き、一人居酒屋カウンターも大好きで、カウンターの隣の地元のおじさまとそのまま2軒目へ。なんてことも楽しみのひとつでした。これが、仕事のモチベーションUPにつながり、効率良くこなして、空いた時間で自分時間を楽しむことができました。さらにこれにより、日本各地の情報も自然と収集でき各地にいる取引先様やお客様とのコミュニケーションにも大変役に立ちました。
 仕事を一日中遅くまでやりきることより、メリハリつけて、自分の時間を増やすことが結果的に仕事にも良いことがあるのだと感じた時期でした。

4,題名の「なぜ、日本のサラリーマンは、12時になったらお昼ご飯へ行くのか?」について

・12時だお昼行こう!が苦痛
 社会人になった当初から、「なぜ、日本のサラリーマンは、なぜ、12時から皆一斉にお昼ご飯を食べに行くのだろうか?」と疑問に思っていました。12時のチャイムとともに、大半の人々が数人グループとなり、外に繰り出し、レストランや定食屋、カフェなどに行きます。しかも、行列に並んでまでお昼ご飯を食べるのです。せっかくの休憩でお腹を満たして気分良く仕事に戻りたいのに、行列や満席の中で忙しなくお昼ご飯を食べてリフレッシュできるのでしょうか。私の属した企業は、ベンチャーと外資企業のためお昼時間の決まりなかったため、時間をずらしてお昼ご飯に行くか、食べたくない時は食べないようにしていましたが、都合上、12時からお昼ご飯を取らないといけないこともありましたが、その時は、私にとっては、それが苦痛でした。

・教育時代の習慣と変えないルール
 一般企業でも、昼食時間は、所要時間のルールはありますが、どの時間帯に取るかまでの決まりが無く、自由になっているところもあると思いますが、まだまだ12時からお昼休憩という企業は多いように思います。
 私見ではありますが、小学校~大学まで教育において、およそ12時~13時くらいの決まった時間にお昼休憩を取るということが決まっていたことや、官公庁や一般企業などが労働基準法により、特定の時間を休憩時間として、集団で一斉に取ることがルールになっており、そのルールを変えていないことが今日でも「12時だ昼めしだ!みんな行こう!」が発生しているのではないでしょうか。
 学校に通っている頃は、決まった時間割の授業があり、その授業には、先生や大勢の生徒が集まって行うため、必要な時間設定だったことと思います。一方、企業ではどうなのでしょうか。工場や現場作業の一部の業種によっては、物理的にお昼時間を決めて集団行動をとった方が良い業種もあると思いますが、社会人の大半の人が、その必要が無いと思っています。12時(毎日決められた時間)からお昼休憩を取る意味が無いと思います。それよりも、個人が自分の一日のスケジュールや体調などに応じて、予定を考えて決めて行動するように促すことが大切なのではないでしょうか。

・通勤の意味や効率
 お昼休憩以上に苦痛だと思っていたことは、朝の通勤ラッシュ。朝8~9時頃の時間帯に出社するには、通勤ラッシュは避けられません。なぜ、こんな体力的、精神的に負担をしてまで同じ時間帯に出勤しなければならないのか。お昼休憩と同様にルールとして決まっていることが、そのまま変わらずに続いてしまっているのではないでしょうか。フレックス制度が導入されて、以前よりは緩和されているのかもしれませんが、10時出社にするだけでも大分快適に出勤できるようになるのではないでしょうか。そもそも、出勤にかけているリソースを違うことに変換できたら、企業にとっても個人にとっても良いことなのではないでしょうか。

・オフィスに行く必要性が本当にあるかどうか
 この1年でテレワークが増え、ほとんど出勤しないで在宅で仕事ができるようになった方が増えたと思います。それに伴い、出勤が減り、朝の通勤ラッシュが無くなると思っていましたが、最近の都市部の出勤状況を見ると、以前よりは多少は減ったものの、朝の通勤ラッシュは当たり前の状況が続いている様子です。この1年で、全世界的にテレワークが導入促進され生産性が向上し、ワーカーにとっても時間が有効活用できるようになり、良い方向に進んでいるようですが、日本は、他国に比べて非常にテレワークの導入状況が遅いようです。通信設備の問題はあるかもしれませんが、それ以上に、日本特有の問題があるように思えます。

・自分で考えて行動する時代
 「#私らしいはたらきかた」を自分で考える、考えてもらうように促す企業が増えることが大切なのではないでしょうか。
 社会人になると人それぞれ、生活スタイルも変わります。朝食や夕食を取る時間が異なったり、1日3食ではなかったり、人がそれぞれ皆違うように、生活スタイルも似たようなことはあるにしても全く同じということは無いはずです。皆、食事をする時間が違って良いはずです。
また、お昼に同僚の方々とおよそいつも同じメンバーで行くことが多いのではないでしょうか?中には、今日は行きたくないな。いつもいつも面倒だな。付き合いだから仕方ない。と思っている人もいるのではないでしょうか。お昼休憩の時間が自由に取れるようになれば、一人でゆっくりと食べたいものを選んでご飯を食べることができますし、ご飯を食べずに読書をして過ごしても良いですし、時間の使い方の幅が広がります。
 私は、基本的に昼食を食べない方(夕食をより楽しむために)が仕事に集中できるため、一人で過ごすときは極力食べません。決して一人で過ごすことが好きな訳ではなく、先輩や同僚、取引先の方々とコミュニケーションを取りたい時は、一緒に食べに行きます。自分にとって、一番良いタイミングで一番良いものを食べること、そして、自分にとって一番良い時間の使い方をすることが、心と体に良いことなのではないでしょうか。

5,はたらき方を変えること

・独立起業への想い
 2社目の営業職では、新カテゴリの日本市場参入のための新規開拓営業を行いました。前職の経験や知識を活かしながら、営業活動を行い、順調に市場を開拓することに成功しました。一方で、もともと学生の頃から、漠然と生涯サラリーマンで人生を終えることはしたくなく、いつか独立起業をしたいと思っていました。
 1社目の時は、がむしゃらに勉強と思い、日々仕事をしてきましたので、独立の想いは漠然としたまま、2社目の時は、時間に自由度が増しましたので、将来的なことを少しずつ考える時間ができましたが、独立するには「世の中には無い新しいことをやらなければならない」と考えはじめ、アイデアを出すものの、現実的で無いことばかりで、前に進みません。そうなると泥沼で自分の中では「独立=世の中に無い新しい事業」と頭の中で執着してしまったのです。周囲にも将来は独立したいと話すものの、何をするのと聞かれると、それはまだ考え中だからわからないと。結局頭で思っているだけで、何も行動に移せない日々が続きました。

・副業と兼業を思うきっかけ
 私の場合、一つの会社に属すと、そこに一点集中してしまい、そこで充実した日々を送ることに執着してしまいました。2社目に転職して2,3年経過した頃、1社目の時の社長と上司と会食した際に、有難いことに、管理職として戻ってきて欲しいと嬉しい話をいただいた。一方で、2社目の仕事も面白かったため、私は、副業として、手伝わさせていただけないかと返答しました。元上司は、新しいことが大好きな方でしたので、「なるほど、そういう働き方も良いね!」言ってくださいました。しかし、社長からは、2つの仕事をこなすことは困難だと理解は得られませんでした。当時は、現在ほど副業や兼業が浸透していませんので、当然かもしれません。
 これをきっかけに、私の頭の中には、一つの会社に属すだけではなく、複数の企業やビジネスに関わることができたら、仕事をより面白くやりがいあるものにしてける、企業側も、複数企業で働く人材がいることで、有益なのではないかと思い、副業や兼業といった働き方をイメージするようになっていきました。

・環境が変わったことで、考えも変わった。
 2020年春に、2社目の会社より早期退職制度の案内があり、時間が無かったが、直感的にこれをきっかけに働き方を変えていく必要があると思い、退職することにしました。その後、半年ほど知人に紹介いただいた会社で仕事をお手伝いさせていただきました。その半年間は、世の中の生活や働き方のスタイルが急変し、私もリモートワークによる在宅勤務9割、出社1割のような状況で過ごしました。これまでは、営業で全国を駆け回って外で仕事をすることが多くドタバタと過ごしていましたので、働くスタイルが急変しました。自宅にこもって一日パソコンで作業し、必要に応じて電話やzoomで会議してとという日々の繰り返しに最初は慣れずにストレスもたまり大変でしたが、一方で、読書やオンラインセミナーなどからの情報収集や、考える時間が増えました。考えるというより、悩むことも多かったと思います。悩んでいるということは、答えが出ないことなので時間が無駄ということも一つ教訓となりました。その時間のおかげで、「独立=世の中には無い新しいことをやらなければならない」という考えが変わり、「自分が今できることをまずやったら良い」ということに辿り着きました。そして、「独立=今、自分ができることをやる」になったのです。
 自分ができることは、これまでの営業やマーケティング、EC関連の経験や知識を活かした営業支援(代行含む)やコンサルティングを中心に業務委託でまずは仕事をしていくと決めました。
 その後、半年お世話になった会社を退職し、3カ月ほど、休暇しながら準備を行い、今年より個人事業主としての活動を開始しました。

6,これからどうはたらいて(生きて)いくか

・新たな不安と会社員時代の感謝
 個人事業主としての準備や活動を進める中で、収入面の不安などいろいろな不安が出てきました。その中で、オンラインセミナーや読書などを通じて、「未来に悩まない(未来は誰もわからない)」「今できることをやる」この2つの言葉に大変助けられました。それからは、気持ちも楽になり、仕事を楽しみながらやるように心がけました。
 また、個人事業主で始めるときは、理解はしていたものの、会社員の時とは異なり、確定申告や経理などの処理も自分でやらないといけない、最初はわからないことばかりでした。会社に属することのありがたみを改めて感じるきっかけになりました。会社としては、当たり前のことですが、自分の仕事に専念できる環境を与えていただいていたことに感謝です。 

・将来どうなりたいか
 将来、何の事業をやりたいのか?やりたいことはありますが、現時点では、具体的に何かわかりません。これでもよいのだと思いました。それ以上に、これまでの自分を振り返ると、自分にとって幸せなことは「人の笑顔を見ること」だと明確になりました。そのために、まずは今できることをやる。やりきる。それをやりながら、新しい出会いが生まれて新しいことにチャレンジしていく。それが大切なことなのだとこの半年間で学びました。

7,最後に

・今の自分があるのは
 今回の投稿内容を考えている際に、今の自分は、これまでの人生で出会った人や関わった人たちのおかげで存在していることを改めて感じることになりました。家族はもちろん、友人や先生、会社の上司、同僚など、または、実際に合わずしても、ミュージシャンやスポーツ選手、作家さん、著名な起業家の方だったりと多くの方々との出会いが、自分の成型に関わっているのだと改めて理解しました。

・感謝の気持ちを大切に
 当然ながら自分一人だけでは生きてこれなかった。さまざまな人の支えがありましたので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この投稿を書き始めてからは、毎日、感謝することを心がけています。この一年で、これまでは、日常的で当たり前だと思っていたことも、ある瞬間に当たり前ではなくなるということも理解しました。だから、1日1日を大切に感謝しながら生きていきます。

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 1年後、3年後、5年後自分がどうなっているかはわかりません。今を大切にしながら楽しく生きていきます。最後に本音を、人の笑顔や喜んだ姿を想像しながらモノを作っているときが、自分にとって、とても楽しくて幸せを感じる時間なのです。それを探しながら良い旅をしていきたいと思います。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

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