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路地裏のキーティング先生


路地にある、カウンター数席のもつ煮込み屋に行った。店が路地にあると云うより、路地にカウンターがあると云った方が適切かもしれない。


路地の手前にハラハラと揺れる店名の書かれた旗が良い意味で時代錯誤で——昭和なのか大正なのかわからないけれど——路地に入るとともに、とにかく古きに引き込まれていくようだった。


驚くほど元気な老齢のお母さんが1人で切り盛りしているお店で、常連さんたちで既にカウンターは埋まっており、賑わっていた。文字通り賑わっている、という感じだった。


雨が降っていたので、カウンターの上には簡易なビニールの屋根が架けられていた。外界とあの空間だけ隔てられているかのように、賑わいがビニールの内側に篭っているかのように。
カウンターの横に椅子を出してもらい、ビニールの壁を延長して僕達も隔たりの内側に入れてもらった。一見の僕達も内側に入った途端に、賑わいの一部になったように、立ち所に輪の中にいた。


彼らの輪は、とにかく陳腐で素敵だった。一人が、 「お願いがある」 と少し勿体つけて隣に話しかけ、一同が何かと耳を傾ければ、背中を掻いてほしいと云う。なんだそりゃ。以降登場することがあれば、便宜上"痒いお父さん"と呼ばせてもらう。


また別の一人は、あっけらかんと——まるでそこに猫がいた、くらいの話かのようにあっけらかんと——肝臓に癌が発見されたと話しながら、カップ酒をジャブジャブ飲みつつ、キャメルを旨そうに喫んでいた。そして、今もこうして好きなようにしているのだから、悔いなどない、と。まるっきり心からそう言っているようだった。今を生きる、というやつの体現者、一回性の第一人者、いや、"今"の権化というのが適切かもしれない。彼は必ず以降も登場するので、以降は便宜上、キーティング先生と呼ぶ。(映画"いまを生きる"になぞらえて)


僕達は、アンジャッシュの渡部さんの動画でこのお店を知って訪れたのだけれど、
キーティング先生はどうやら営業日はほとんど教鞭を取っているらしく、その日もそこに居たとのことだった。そこから、動画に許可なく映されていたことへの不平(※渡部さんのことではない)や、あんなに綺麗で心根の良い嫁さんもらってトイレ云々というご意見などを述べられた。後者については、よほど腹の虫が治らないご様子で、痒いお父さんの話に被せて、そのご意見一本槍で繰り返し教鞭を振られ、一本槍どころかさながら竹槍訓練だった。

「今おれが話してるの!」と痒いお父さんも、痺れを切らしているご様子だった。痒かったり痺れたりお忙しい。
ちなみに、「今おれが話してるの!」は、幼少期に正月に親戚が集まった時の祖父を彷彿するとともに、この飲み仲間たちの距離感に感服した。


何より素敵だったのは、僕達が少し込み入った話をし始めたら、波が引くように、元の輪の中に縮小して、踏み込んできたりは決してしなかった。これが大人だ。もう一度、感服した。


名前や職業なんかの何者か、みたいな情報は話すことはなかったけれど、いつのまにか輪の中にいるのは、子供が缶蹴りを始めた時に知らん子もまざっているような感覚だ。僕は缶蹴りはしたことないけれど。ACのCMだったかな、"名前なんてあとあと"というコピーを思い出した。(震災の時に狂ったように流れていたコマーシャルな気がするから、当時は鬱陶しく感じていた筈だけれど、こうして刷り込まれているのね)

大人が友達になるのってこういうことなのかな、なんて考えた。深入りしない、けれど、その場を一同が楽しんでいる。あの輪には感服だ。




■エピローグ
キーティング先生がコマイという魚をオススメしてくださり、これが大変おいしかった。
コマイと聞いて、ピンと来なかったけれど、全然関係ないけれど、ミスチルの "1DK狛江のアパートには2羽のインコを飼う" というフレーズを思い出した。


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