第二夜 『カラス人間』 / 満月連載 夢日記
ある満月の夜の、夢日記。
疲れ切った身体を引きずり、倒れこむ。
俺に与えられた住処はコンクリートの立方体。ベッドもあるが、なんだか落ち着かない。
テキトーに拾ってきたゴミを四隅に集めて、そこでくつろいだり眠るようにしている。
それにしてもまだこの身体には慣れないし、今まで以上に腹が減る。
燃費が悪いし、空を飛べないのも不便で仕方ない。
今日はタクシーってやつを初めて使ったが、知らない名前の通りを聞かれたり、いちいち揺れて気分が悪かった。
ああ煩わしい。人間の生活ってやつは、覚えることが多すぎる。
きっかけはあのジジイ達の会議に呼ばれたことだった。
変だと思ったんだ。こんな俺みたいなガキが呼ばれるなんて。
「そろそろ我々カラスが地球の覇権を握っていい頃合いだ。太陽神様に直談判しよう。人間の生ゴミの処理なんて屈辱的な仕事を長年続けてきたのだ、分相応だろう」
確かに、俺だって最初は乗り気だった。
人間になればでかい顔できるし、美味いもんもたらふく喰える。
宝石だって集め放題だ。
そう、宝石だよ。美味いもんなんていくらでも喰えるんだ今は。渋谷の朝は最高。なんだってある。行きつけの餌場がな。今時木の実なんか食ってる山の奴はどうかしてる。
ただ、たまにボランティアとか言って俺らの食いもんを持ってくクソ人間達も居るのが厄介だよ。どうせ燃やすんだろ、それ。
だったら俺らが喰った方がいいじゃねぇか。二酸化炭素ばっか出しやがって。ちっと考えたらわかんだろ。
そうそう、宝石宝石。
たくさん持ってりゃそれだけで女がいくらでも寄って来る。今時鳴いたってしょうがねえ。今回の仕事だって、それが目当て。
朝日と共にドアが開く。
「おはようございます。すみません、今日の調査はどうでした?」
ミヤマが言った。案内役の人間だ。銀縁の眼鏡をかけたいけ好かない奴。ジジイ達とは定期的に賄賂を送りあって繋がっているらしい。
「どうもこうもねぇよ、なんだ人間ってのは。こんなめんどくせぇ生活してんのか。スマホなんか一生使いこなせる気がしねぇぞ、俺は」
「脳の体積自体は標準的なサイズにしてあるので、ゆっくり慣れていけば良いですよ。まだたった一週間ですし」
‘こんなハズじゃなかった’
嫌でもそう感じる一週間だった。知れば知るほどに、人間ってやつは不思議だ。
「明日は潜入捜査でスケジュールがびっしりなので、私も同行させてもらいます。早く寝るようにしてくださいね。私は隣の部屋に居ます。何かあれば気軽にどうぞ」
そうやって早々に部屋を出て行った。そんだけかよ。なんだあいつ。手土産の一つでももってこいってんだよ。ま、ジジイに言われて俺が逃げねーように監視でもしてんだろどうせ。
逃げる場所なんてねーよ。こいつらにたくさん宝石やるって約束しちまったんだからよ。
頭を撫でてやると、仲間達は嬉しそうに鳴いた。そうだよ、こいつらを裏切るわけにはいかないもんな。
それにしても眠い。いつもだったらとっくに寝てる時間だ。
目を閉じると一瞬で意識が途切れた。
ほんの少しの仮眠の後、外に出る。日光が気持ち良くて、水浴びでもしたい気分だ。人間の中では夜に水浴びするのが流行っているらしい。わざわざ電力を使って光を焚いて。理解できない。
「今日はジムに行きます。エクササイズってやつですね。ストレッチをすませてバイクを漕ぎましょう」
ミヤマの真似しかできない俺は渋々従うしかない。
狭っくるしくてギラギラした蛍光灯の部屋に押し込まれ、俺はバイクってやつに乗り込む。
退屈で仕方ない。景色も変わりやしない。周りを見渡すと誰も笑っちゃいない。黙々と汗をかく人間ども。
「なんでこんなつまらないことしなくちゃいけないんだよ?」
「今の人間はカロリー過多なんです。しっかりと運動しないと甚大な健康被害が」
「マジかよ好きなもの好きなだけ喰えるんじゃなかったのか?」
ぶくぶくに太ったおっさんが通りかかった。
自動販売機で買ったアイスを咥えてる。薄いグリーンにチョコチップ。卵色して気色悪いから俺は嫌いだ。
「カロリーを消費しにきてんだろ?なんであいつは甘いもん喰ってるんだ?」
ミヤマは何も答えなかった。
調査の日々は、疑問の連続だ。人間を知るたびに矛盾の迷路に迷い込む。全然自由じゃない。
俺はジジイ達に言ったんだ。俺たちは俺たちのままで良かったんじゃないかって。
今の地球は人間に適した環境になってるから、俺たちの身体を環境に合わせていくべきって意見が多数になった。
その結果どうだ。余計なもんばっかじゃねぇか。
日に日に大きくなる疑問に、頭を抱えるようになった。
少しずつ使えるようになったが、インターネット上に広がるナワバリが無数に存在して、いつも監視されてるような気がして居心地が悪い。
誰と仲良くしたらダサいとか、どっちかを選ぶとか、近くに居ないやつのことでいちいち悩んだりするらしい。
一緒に飯食って一緒に眠るだけでは、満足できないのが不思議でならない。
俺達もいずれそうなるのか、と思うと。なんだか息が詰まった。
宝石の話もそうだ。
この世界だと金持ってる奴が女にモテるらしい。何をするにもこの紙っきれで何とかなるらしい。
しかも紙っきれだったりコインだったり、カードだったり、スマホの中の画面に数字があったり。
なんでそんなに種類が必要なんだ?
それをミヤマは便利だと言ったが、俺はそうは思わない。
ギラギラのパールを首に下げて大空飛んで。美味い肉食って。それで十分だった。
人間はなんでもたくさん持ってると思ってた。
食い物、友達、宝石。
でもそのどれもが、多すぎると不幸になるらしい。
何でだ?
毎日毎日、くだらないことを考える自分がバカらしくなってきた。
そうだこの’考える’ってのが厄介なんだ。
脳がでかくなっちまったせいなのか、この'考える'ってやつにいつも囚われてる。
気づけば考えて考えて、俺も人間の仲間入りってわけか、ふざけんな。
人間に適した環境だろうが、関係ない。
それを活かす為?無駄なもんばっかじゃねぇか、ここは。
ていうか、こんな不幸な生活ならいらねぇよ。覇権なんて。
俺は俺のままで良かったんだ。
話が違う。
あの身体に戻ることができないなんて。
もう空を自由に飛べないなんて。
そして、仲間達を裏切ることになるなんて。
思っても見なかった。
だけど、もう限界だ。
俺は逃げる。
全てから逃げるよ。渋谷じゃもう生きていくのは無理だろう。
見つからないように山にでも隠れるさ。
もうこんな贅沢な暮らしなんて、うんざりだ。
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