覆ワイン、ボトルに返らず
昔英語の教科書で「覆水盆に返らず」は「It's no use crying over spilt milk.」と習いました。こぼれたミルクを嘆いても仕方がない。
そうさ。こぼれたワインを嘆いたって仕方がないのだ。
酔っぱらっているんだか何なんだか、盛大にワインをこぼした。
その様子がこの記事のトップ写真でございます。
美味しくいただかれるべき運命だったはずのワインは酔っ払いのせいでグラスに注がれることなく机の上にこぼれ落ち、ただただティッシュで拭かれて捨てられるだけのごみと化してしまった。
ワインさんごめんなさい。ワインを作ってくれた人ごめんなさい。
・・・こういうこぼれたワインみたいな日常の出来事って結構あるような。
たったさっきまで素晴らしいものだったのに、誰かしょうもないやつのせいで一瞬のうちに普通を通り越してごみのように扱われてしまうもの。
「覆水盆に返らず。」とかいって、済んだことは嘆いたって仕方ない!とか言われても、「水」を作った側の何とも言えない悔しさ、怒り、悲しみ、そんな負の感情は消えないもんですよね。
自分なりにこれぞ完璧!という手書きスケッチを上司や同僚に見せたら盛大に赤書きされて原型はどこぞへとなったり。
せっかく出来上がった砂のお城を走り込んできたパーリーピーポーに誤って蹴散らされたり。
なんてことをしてくれるんじゃーーー!!!ってなるわけですね。作り手は。
でも、どちらも済んでしまったことは確かに「仕方ない」。
けど同じ仕方ないなら前者の例のようなものの方がいいですね。
後者の方のパーリーピーポーは、「ごめん☆テヘペロ☆」みたいなこと言ってきっと反省もせず、去っていく。まさに芸術が塵と化す瞬間。
だけど前者は成果物が一旦塵になっても昇華してより素晴らしいものになる可能性がある。
そして本当にそうなった時、作り手は晴れやかな気持ちになって、過去の塵と化した成果物を思い起こし、「済んだことは仕方なかったな!」って思えるんじゃなかろうか。
覆水だって報われたもんだ。
仕事をしていると結構な確率で私はこういった事態に直面している気がする。覆水を盆に返してやることはできなくても、より良きものを作るための糧にしてやれるようにしなきゃ。または、そういう風になるように後輩とか同僚にアドバイスしてあげられるようにならなきゃな。
それでは何杯目かわからんワインを注ぐべくいざキッチンへ。
おわり。
~読み返すとまるで上司をしょうもないやつと言っているように見えるけど決して思ってません。~
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