【57】まだ若い、年をとった #睡沢週報
お盆休みらしいお盆休みを取れるほど零細フリーランスに余裕はない。ただ、三連休は満喫できた。
久しぶりに会う友人とお酒を飲んで、友達の車でスーパー銭湯に行って、親戚とも顔を合わせて。人間と接したい、社会に繋がっていたいという欲求を存分に満たす3日間だったと思う。
一人が好きと言えるほど強くはない。歳を重ねるごとに「ひとり」という言葉の重みはますます強まる。学生時代の「ひとり」はその気になれば話せる相手のいる孤独だったが、社会人になってからはそうもいかない。
そんな中遊ぼうと声をかけて遊べる相手がいるのは本当にありがたいことだし、彼らの余暇もいずれ結婚や育児、出世の過程にコストとして振り分けられていくのだろうなと思うと、身勝手な寂しさがこみ上げる。
『リボルバー・リリー』の衝撃
行定勲監督、綾瀬はるか主演の新作映画『リボルバー・リリー』を見てきた。原作は長浦京の同名小説。大正時代を舞台に引退した元女スパイと秘密を抱えた少年が陸軍相手にドンパチを繰り広げる。
愛・大義・時代。ピストルオペラと呼ぶのがとてもしっくり来る、とてもいい映画だった。
関東大震災から復興しつつある私娼街・玉ノ井を舞台にした「大正モダンの空気感」だけでも堪能する価値がある。もちろんお話としても面白い。
主演の綾瀬はるかが演じるのはかつて凄腕の女スパイとして知られた小曽根百合。その経歴に相応しい、感情を圧し殺した超然的な演技が見事だった。綾瀬はるかのアクションといえば『精霊の守り人』を思い出すが、あそこからさらにブラッシュアップされたようだ。
シシド・カフカ演じる奈加が私としてはかなり好みに刺さるキャラクターだった。馬賊の生まれで、普段は百合が女主人を務めるカフェー「ランブル」で働いているが、その正体は百合に従う凄腕ガンマン。よい。
ラストシーンの匂わせも含めて、邦画版『キングスマン』とでも言うべき奥行きのようなものを感じた。もしシリーズ化すれば近年の邦画では類を見ないヒット作になりうるポテンシャルはあると思う。
邦画のガンアクションはめっきり減った。企画・プロデュースの紀伊宗之がパンフレットでも言及しているとおり、ハリウッドに太刀打ちできるアクションを作るのには予算の困難が立ちはだかる。
だからこそ、本作は近年の邦画でずば抜けて強い印象を残してくれた。演出から美術、衣装まで細部に宿るこだわりがとても心地よい作品だった。
まだ若いと言わないで
年齢で言えば私はまだまだ若い。アラサーは人生の折り返し地点ですらないし、社会ではもっと年上の人々が現役で活動している。そういう人々の前で私が「年をとったなあ」と言えば、お叱りを受けること間違いなしだ。
しかし、それはそれとして私は年を取ったなあと思うし、それを咎める権利は誰にもないはずではないか。
私には私の経験があり、その積み重ねが私を摩耗させている。その結果として今の私は過去の私と隔絶していると感じる。この経験は私の人生が生んだものだ。
つまり、私は私の人生を経て積み上げた様々な経験をもとに「年をとったなあ」と言っているのであって、実年齢が数値的に小さいことはそこまで重要ではない。
私は若くして「年をとったなあ」と言わざるをえないような人生を送ってきたのだ。そこで「まだまだ若いでしょ」と窘められたところで、生まれるのはこの過酷な人生がまだ続くのかという絶望だけ。
年長者の皆様におかれましては、「若いやつが何を言っているんだ」と冷めた目で見るのではなく、もっとよしよしして甘やかしていただきたい。
ひとり若いまま
そういうことが言える程度には私は若い。もう少し年老いたら諦念が強まって、こんなことも言わなくなるのだろうなという予感がある。
友人たちと集まると、彼らが皆順当に経験を積んで社会の構成員としての道を前進していると強く感じる。転職・投資・結婚・介護。政治・野球・宗教と対になるような話題が飛び交う。
彼らが苦労していないというわけではないし(いや、何人かははっきりと私より楽をしていると思っているけれども)、彼らを責める気も毛頭ない。ただ、時折押し寄せる「取り残された」という感覚はひどく苦しい。
大人になるというのは、ただ年齢を重ねるというだけではうまくいかない。相応の経験を積み、内省を繰り返して、少しずつ陶冶されていくものだ。私はどうやらその機会を逃したようだ。
社会の構成員として責任を負うことのできる大人。そういう存在になるための価値観や道徳観を醸成する、そんな経験はどこで買えるだろうか。
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