【53】たくさんの幸せと大好きに喉をつまらせる #睡沢週報
いろんなことを書くつもりの週報だった。実際、これを書いていた週はいろんなことがあった。ちょっと全部吹き飛ぶことがあって、ようやく筆を執れている。
まずはそのことから話していきたい。
緑仙のファーストソロライブを今さら記事にするのはそう、私だ
緑仙のファーストライブがありました。最高でした。
新緑の緑にベガルタ仙台の仙と書いて緑仙、りゅーしぇんと読む。
表現力のある巧みな歌声と親しみやすくも軽快なトーク力で知られる、大人気VTuberだ。JFN系列のラジオで放送されている深夜カルチャーバラエティー番組Audee CONNECTの火曜パーソナリティーも務めている。
私の推しである。頑張りたいけど頑張る気になれないとき、精力的に活動する緑仙の姿を見て「自分も頑張るか」と気合を入れなおしている。
その緑仙のソロライブがあった。諸事情あって現地参戦こそできなかったが、ライブビューイングで楽しめた。最高だった。次回は絶対現地。
仏壇に手を合わせる
そしてファーストライブからしばらく日が空き、最近になって親族を訪ねた。厳密に言えばもう親族ではないのだが、難しい話なのでこれは世に出すことではないかもしれない。
コロナ禍もあり久しぶりの対面、お互い少しだけ緊張していた。もっと話すことがあった気がするのに、当たり障りない会話に終始した。残念でもあり、また会いに行く理由にもなり。
そして仏壇に手を合わせる。その人は戸籍上……何にあたるんだろう。これも説明が難しい。肌感覚では祖父に近かった。
無口な人だった。ヘビースモーカーで、家のゴミ箱は全てラークの空き缶だったほどだ。数えるほどしか遊んだ記憶はないが、彼なりに可愛がってくれたことが今ではわかる。
その仏壇にはもうひとり親族の写真がある。これまた説明が難しい関係だが、おおむね伯母と言ってよいだろう。その人との関係はかなり一方的なもので、顔もほとんど知らなかった。
私が精神をやって寝込んでいたころ、何度か連絡をくれた。調子がいいときに会おうという話もしていた。母の離婚と再婚に伴って物心つく頃には縁の切れていた実父とのつなぎを取ってくれていた。
しかし、私が調子を崩したことで会う話は流れてしまい、その数カ月後に癌で亡くなった。彼女が最後に贈ってくれた音の鳴る誕生日カードはまだ保存してある。
ようやく挨拶ができた。不思議な感覚だった。
結婚式ブームの兆しあり
友人の結婚式に出てきた。カジュアルな式だったし、実質同窓会のようなものだったが、それはそれとしていい式だった。
新郎の友人として招待され、ガチガチに緊張する彼を笑いながらも祝福してきた。一生に一度の式、緊張もするだろう。しかし、最後には幸せそうな笑顔を見せてくれてよかった。
学生時代から彼が人一倍苦労してきたのはよく知っている。時には理不尽な運命に翻弄されていたこともあった。傷の舐め合いと言ってはあれだが、卒業後も連絡を取りあっていたのはそういう応援もあったからだ。
ただ、これがブームの火付け役となったのか、周囲で結婚の兆しがちらほらと……ご祝儀と交通費が馬鹿にならないんだよな。いい感じにバラけて結婚式挙げてくれ。
私には結婚の予定はないから、ご祝儀は出ていく一方ということになる。お祝いの気持ちだし、式や新生活にお金がかかることは承知しているからそれは構わないのだけれど、シンプルに収支がきつい。
人生の節目なのだろうな。いずれ夢追い人ではいられなくなる日が来る。あと80年くらいは諦めないけど。