サルバトーレ・シャリーノ『ローエングリン 』
神奈川県民ホール開館50周年記念
休館前最後のオペラ公演
サルバトーレ シャリーノ『ローエングリン 』を観劇
凄まじい体験だった
約一年前、同劇場で開催されたシャリーノ祭りで予習をするほど
楽しみにしていた
…はずが慌ただしい日常に流され
気づいた時には前日
週末の急な予定は困ると家人に咎められ
子にいじけられながら
どうしても、と席をおさえた
そう、どうしても観る必要があったのだ
観劇後
中華街のネオンに光る霧雨も
私のいる世界の演出効果のように感じる
エルザの真似をしてみたくなる
処女性/少女性の中に
自らを閉じ込めた鳥籠
女性なら(と限定もしたくない、現にシャリーノ氏が音で描いている。)
陶酔と嫌悪が入り混じる気が狂いそうなあの世界を
知っているはずだ(とただ女としての実体験として感じる)
母になり、雑多な日常に追われる私には
今一番遠いところ
幻想のような記憶、昔の恋
1人ぼっちの美しい世界
橋本愛さんの口から紡ぎ出される
森羅万象の音、魂を繋ぐような声に導かれて
でも、久々に
そんな密やかな場所に行ってしまった
演出の山崎阿弥さんがパンプレットに記されていた言葉
「本作は、2024年の現在にそのまま上演するのはとても難しい。性別や心情を問わず、多くの人が丁寧に進めてきた時間の針をもどさらないように、エルザが何者で、最後の瞬間に向かって何を起こすのか、「今を生きているわたしたちの答え」が必要だ。そうでなければ、誰かの生の真実を辺縁へとおしやり、芸術を隠れみのにその苦悩を集って盗み見るぐれてすくな時間と空間を、官能と片付けてしまうことになる」
今回の舞台の成功、多くの人の心に届いたのは
シャリーノ氏のー社会と音楽の関係に対する批判的意識ー(沼野雄司)
を徹底した美への追求と同じくらい
丁寧に注意深く扱ったことにあったのではないかと思う
だからこそそれぞれが
橋本愛さんの口から紡ぎ出される
森羅万象の音、魂を繋ぐような声に導かれ
私ごととしてこの舞台世界に裸足を浸らせ
それぞれの深遠な世界に行くことができたのだと
そして明くる朝、の今
子供の運動会の支度をし
洗濯機を回しながら
私もまたこの現実を生きることができているのだと
ー未明の寝室、突然に子が吐いた
熱はなさそうだし原因不明
熱い蒸しタオルで顔を拭きながら
きっと知っていたんだろう
母が少女に戻っていたことを
きっと彼女も知っているんだろう
あの世界を
などと思うー