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鳳暁生、またの名を空っぽな王子様と脱出するシスターフッド

 この記事は少女革命ウテナを一週間で全話見たオタクのパッションによって書かれており、情報の出典が曖昧な点があります。ネタバレも含みます。

少女革命ウテナの簡単なあらすじ
天堂ウテナは幼い頃に王子様に救われて、自身も王子様になると決めた男装の女子中学生。彼女は姫宮アンシーという同級生が薔薇の花嫁という名のトロフィーワイフとして決闘で奪い合う対象にされているのを知る。決闘に勝ち、薔薇の花嫁とエンゲージしたものは世界を革命する力を手に入れられるという。ひょんなことから生徒会役員との決闘に参加した彼女はアンシーとエンゲージすることになり、薔薇の花嫁をかけた決闘に巻き込まれることになる。

⚠️ここからネタバレ⚠️










 ウテナを鑑賞して最も印象に残ったのが鳳暁生というキャラクターだった。理事長代理として学園を表と裏から牛耳り、デュエリスト同士に決闘をさせるよう仕組んで薔薇の花嫁を奪い合わせた張本人であり、薔薇の花嫁ことアンシーの実の兄でもある。
 登場する女性キャラクターに対して徹底的にプレイボーイとして振る舞う彼は、婚約者の母親と寝ることで学園での立場を手に入れた、つまるところ性的魅力で権力を手にした男なのだ。
 ウテナに従順なお姫様であることを求める暁生は、自身が従属すべき王子様を求める妹アンシーの鏡でもある。暁生は完璧な王子様を求める世間の重荷に、自分が何をしても許すアンシーを重ねて苦しんでいる。アンシーを苦しめながら、苦しみを受け入れるアンシーに「魔女め」と吐き捨てる彼は世間の圧力に苦しみながらも、その権力構造から抜け出そうとはしない。自身が権力を手に入れ、大人の狡智で子供の懸命な闘いを冷笑する側に回ることで、真の自由と力を得ようとする。
 利害関係と支配関係だけを信じる彼は誰のことも好きにはならない。誰ひとり信じようとせず友情を嘲笑う彼は、作中の人物の誰よりも孤独だ。
 空っぽの元王子様、鳳暁生は自身がそうされたように他者を踏み躙る。王子様として民衆に奉仕し続け搾取された結果としてディオスであった時代の人間性は死に、誰一人心に許さず愛さないことに決めた、乏しくつまらない人間。彼は「世界の果て」、お姫様と王子様のシステムを再生産し続ける機構と成り果ててしまった。
 それゆえに棺の中から出られず、世界の殻を破ることもできない。トラウマを再演するかのようにあの日閉じ込められた城に閉じこもる、ちっぽけな子供の世界の支配者に過ぎない。世界の限界を知らない少年時代の気高さ・ひたむきさの象徴であるディオスの力に執着し続け、アンシーに依存しながら搾取している彼は学園という箱庭の中で生まれずして死ぬしかない運命の持ち主だ。

 暁生とアンシーの兄妹は信じる価値観、見えている世界観を同じくする二人だった。すなわち、鳳学園を支配している王子様とお姫様が結ばれる寓話であり、家父長制のシステムだ。その世界では王子様と王子様、お姫様とお姫様は決して結ばれることはない。
 だがかつての王子様はすでに失われ、世界の果てに成り果てている。おとぎ話はすでに破綻している世界で、お姫様になれなかったアンシーは魔女として扱われる。
 暁生が他者を支配し搾取する関係しか築けないように、アンシーもまた支配され搾取される関係しか他人と築けなかった。彼女は犯した罪の罰として薔薇の花嫁として人形のように生きることを受け入れ、自身の人生をすでに諦めていたからだ。アンシーに近づく人間はみな勝手な幻想を彼女に投影しては恋焦がれ、利用し、悪意を向けた。彼女は所有者の願望を映し出す鏡でしかなかった。アンシーは他人の思惑をよくよく熟知している利口な人間だが、苦役を己に課すことを決めたその瞳に常に浮かんでいるのは絶望に近い諦念ばかりだった。誰も本当の彼女を知ろうとはしなかったから気づかなかっただけだ。過ちを繰り返さないためには自分からはなにも話さず、心を開かず自己主張をせずに生きるのが賢いやり方だとアンシーは信じていた。「好きな人のためなら、それ以外の人への感情なんか問題じゃない。自分なんていくらでもごまかせますから」と言う彼女は自身の立場に疑問を抱くこともなかったのだろう。暁生に支配され依存しながらも、彼は自分が愛したころのひたむきだった彼ではない。鳥籠のような温室で薔薇を育てながら、暁生と同じように不信と孤独の最中にあった彼女がなぜ最終話で世界を革命することができたのか。

 前述したようにディオスの剣(世界を革命する力)は大人になる前の気高さとひたむきさ、ヒロイックな自己犠牲の力を象徴している。アンシーや暁生が鼻で笑うような力だが、アンシーが愛していたのはまさしくディオスのそんな姿だった。暁生は幼かりし時代の恥ずべき自分をとうに脱ぎ捨てて大人の強大さと冷酷さを手に入れたと思い込んでいるが、アンシーが暁生と違ったのは、自分がかつて大切に愛したものを忘れていなかった点ではないだろうか。人間に期待しない彼女はペットの動物にだけは心を開き慈しんでいるように見える。それもまた彼女が暁生と違い、人を愛することを忘れていない証拠かもしれない。

 そもそも世界を革命する力は、アンシーの中に元々あったのだ。ただ、薔薇の花嫁がそれを使うことは許されていないと彼女自身が思い込み堰き止めていただけだった。彼女が彼女の力を、意志を信じることで生まれる力。それを引き出したのは鏡合わせの空っぽな王子様ではなく、同じ女性であるウテナの信頼と友情だった。女性である、ということはこの世界で本来王子様になる資格を持たないことを意味する。ディオスはウテナに「彼女を救えるのは彼女が信じる王子様だけだ」と言った。アンシーが心から信じられる存在が王子様だけだとするならば、はたしてウテナは王子様になれたのだろうか。
 最終話の局面でウテナはアンシーを救えなかった、王子様にはなれなかったと悔やむが、一方でアンシーの世界は革命された。「守ってやるから俺の女になれ」と一方的に庇護し支配下におく王子様とは違うやり方で、ウテナはアンシーの世界を救ったのだ。アンシーはウテナを信じた。それは連帯と友情のなしえるわざだった。
 アンシーは、ウテナが必死で手を伸ばす姿に勇気づけられ、ウテナが信じてくれたように自分を信じることで棺から脱出する勇気を持つことができた。鳳学園を出た彼女は、兄の手の届かない、未知の危険や死の喪失を伴う自由な人生を手に入れたのだ。

 一方で棺の中に置き去りにされた暁生はどうなったのだろうか。ウテナの他の登場人物はやがて学園を卒業していくだろうが、彼だけは幾年を経てもそれができないのだろう。なぜなら何が救いなのかもわからない蒙昧な世界に囚われているから。彼が救われるには、まずなにが救いなのかを知る必要があるのだと思う。人を信じるという危険な橋を渡らなければ手に入らないものがあると知ること。喧嘩をして傷つけあっても、10年後にお茶を飲んで笑い合うような友情があること。ウテナとアンシーが既に知っている尊いものたちを彼は知らない。それゆえに地位と権力に取り憑かれて、今もあの理事長室にかつてのように閉じ込められ、閉じこもっているのだろう。

 私は暁生のように孤独な人間が安心できる居場所と安らげる愛(性愛に限らず)を知って人間性を回復させる物語が好きだ。少女革命ウテナの放送から二十年が経った。鳳暁生は今でも大人になれずに鳳学園に閉じこもっているのかもしれない。いつかは彼もその傷から卒業できることを祈る。

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