映画「ドラミちゃん アララ・少年山賊団!」のつくることと食べること
ハライチのターンで映画「ドラミちゃん アララ・少年山賊団!」の話がでてきて面白そうだったので見てみた。ドラえもんの映画を見たのは初めてだったけど、こんな良かったのかと思ってびっくりした。映画は、看板建築と電信柱のいわゆる昭和の街並の奥にそびえる新宿都庁らしきビルの風景から始まるのだけれど、これが1991年の思う22世紀だったのかと思うとそれだけで少し泣けてくる。調べると都庁は1990年12月に竣工したようだから、当時は完成したてのまさに最新鋭のビルの象徴だったんだろうなと。ブレードランナーじゃないけれど、どしゃぶりの雨に烟る未来都市の東京で、ドラミちゃんが「雨か……」ってつぶやいて始まるのも渋い。表現主義建築みたいな地下鉄も、フリッツラングのメトロポリスみたいなディストピアっぽい雰囲気も良すぎる。もはや時代が追いついてしまって、こういうレトロフューチャーな世界観ってこれからつくることはできないんだろうなあと思うと残念すぎる。
話の筋としては、未来ののび太が、自分の先祖(戦国時代ののび太)の知的レベルが低い(!)から、当時の世界にドラミちゃんを派遣してレベルアップを図ることでその後の自分のレベルの底上げをしようとする、という今だったら問題視されそうな?内容。でも実際にタイムスリップしてみると、ジャイアン(の先祖)たち農民が、スネ夫の親(の先祖)の取り立てる年貢によって貧困にあえいでおり、食うに困って山賊になっていた……というような結構ぶっ飛んだ話だった。しかもジャイアンたちも山賊といいながら「俺らはここで自分たちで野菜を育てて、助け合って暮らしてるんだ」っていうほとんどヒッピーのコミュニティみたいな状況で。またこの山の中の隠れ家の描写が素晴らしい。
最後の方で、ジャイアンたちが川魚を焼いて「うまいうまい」と泣きながら食べているときに、誤ってジャイアンの隠れ家に連れてこられてしまったスネ夫が、やせ我慢でそんなの食べたくない、と言い放つのだけれど、それに対してジャイアンがこんなうまいものを食べないなんてお前はなんて可哀想なやつだ、と言うシーンがあって、まだ当時は作り手側にも高度経済成長期前の貧しかった頃の日本の記憶をもっている人間がいたのかな、と考えたりする。さらに素晴らしいのが、そんな素直になれないスネ夫を見かねたドラミちゃんが、食事が終わったらみんなで農園づくりをしよう、と呼びかけるところ。スネ夫を叱るでも仲間はずれにするでもなく、自分たちが食べるものを自分たちでつくる、そうした共同作業によって人が救われることをドラミちゃんは知っている。
初めの方のシーンで、お金はありながらも忙しい両親からネグレクトされ「一人で食べてもおいしくない」と寂しさ故にわがまま放題だったスネ夫が、こうしてジャイアンたちと一緒に野菜を育てるうちに変わっていくさまは見ていて泣けた。一番感動的だったのは、もともと農民を搾取する側で、自宅の豪邸で供される贅沢な食べ物も無駄にしていたスネ夫が、最後に自分たちで育てたトマトを食べて「おいしい」と言うところ。ラストシーンは当然、スネ夫の親も心を入れ替えて、年貢を減らしてみんなお腹いっぱいご飯が食べられるようになったとさ……という典型的なもの。
笑ったのは、ひみつ道具を使って村の洪水を止めたドラミちゃんの存在が村の言い伝えとして残って、それ以来大雨になると村ではドラミちゃんのてるてる坊主を吊るすようになりました……っていう日本昔ばなしみたいなオチのエピソード。最後、22世紀に戻ってきたドラミちゃんが、高層ビルの部屋でのび太のために七輪で川魚を焼いてあげるというのも、あまりにも素朴で可愛すぎた(おそらくこれは映画の最初でドラミちゃんが過去に行く際に、のび太に「お肉だけじゃなくてお魚も食べなきゃだめよ」と伝えるのだけれど、その後のび太は適当なレトルトのご飯を食べているというのを受けている)。
1991年はまだこんなにも健全で、まっすぐで、優しい世界観だったのかと愕然とする。世界がどんどん複雑化するなかで、勧善懲悪みたいなことは忌避される傾向にあるけれど、むしろ今一番求められていることってこれなんじゃないかなと思わざるを得なかった。食べることとつくることが生きることの原点であること、あるいは自分だけが勝ち抜けるのではなくて、みんなで助け合って生きよう、搾取する主体には立ち向かおう、欲深い人間はいつか罰されるのだから、という。たとえそれがいくら非現実的なものに映ったとしても。
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