スヤスヤ
本を読んで感じた脳内で衝突した思考をつらつらと書き起こすだけのノート。忘れないように。触れた知性への感謝と感じた喜びを。文字を言葉を紡いでいくだけの作業ノートです。 きっと、10年後にまた読んだら、違う感想になってしまうから。「記録」ではなく、「記憶」。
とある縁で、とある書店のフェアで、本書を知った。 最近、積読の量がヒドいので、少しでも1冊読み切ろうという思いから、ボリュームもそれほど多くなく、小説の本書に手をつけた。 『美しい距離』(文春文庫 2020年1月発行) 本書は、端的にいうと、妻の末期がんを宣告された夫視点で語られる夫婦の物語。 「あー、よくあるよねー。ドラマ化されやすい医療モノの物語ねー。」的なことで片付けられないのが本書のすごいところ。少なくとも、僕の脳には刺激的だった。 はじめはストーリーに入り込み
僕は、幼少期から祖父母と一緒に暮らしていたいわゆる二世帯住宅の昭和的な家族構成だった。そんな祖母と僕の家族との話。 同居していたことと両親が共働きだったこともあり、僕は、祖母によく懐き、いわゆるおばあちゃんっ子というやつだった。病気がちだった幼少期は祖母に手を引かれ、病院行ったのを覚えている。 幼稚園の送り迎えでも、 「あの、お母様は?」 「あ、(今日は仕事で)いないんです。」 「あ…すみません。大変ですね。」 「???」 なんて会話があったそうだ。 学校から帰ってきたあと
ここ1〜2年の間で、「多様性」という言葉を色々な場面で目にするようになったと思う。でも、僕の中で思う「多様性」って言葉から連想されるのは、植物や昆虫の種の多さや生態のような生物多様性なニュアンス。多様性って自然発生的なもので、認めるもなにも無いんじゃないだろうか?と勝手に思っている。 そんなことはどうでも良いのだけれど、たまたま書店で表紙が見える形で陳列されていて、タイトル見て、思わず「何が?」とツッコミを入れてしまい、負けた気がしたので、購入。 「昆虫はすごい」(光文社
ここ1〜2年(2019年-2020年)は、テレビやネットSNSに限らず、職場や友人を含めた色々な人とのコミュニケーションの場で、「この人なんでこんなこと言うんだろう?」とか、「え?どうしたの?大丈夫?」と思う言動を目にする機会が増えたなー。と思う。 そんな、最近の世相に対して、ドリンクバーで原液が切れてしまったコーラみたいにうっすい感想を抱きながら、書店で出会った本がこちら。 『バカの研究』(亜紀書房) 何が驚いたかって、このテーマで研究している人がいるの!?というのに
たまには、自由度を制限して本を読んでみようと、「読書の秋2020」の企画に乗っかって本を選んでみることにした。約1ヶ月半あるんだし、いくら仕事が忙しいとはいえ、2冊くらいいけるだろうと。 気になる本があるとジャンルを問わずについ買ってしまうので、こうやって絞られているのはとてもありがたい。しかもジャンルが問わないのも最高だ。 久しく小説やフィクションの物語に没入するタイプのものを読んでいなかったので、対象書籍をスマホで見ながら、書店をフラフラ。ちょうど発行間もないころで、
Podcastの「いんよう!」をきっかけで本書を買うことになった。定期的にサンキューたつおさんが出演されるようになり、きっと、頭の片隅に残っていたのだろう。 実際のところ、著者のサンキューたつおさんは元々知っていた。『落語』という話芸に関しては、アニメの「落語心中」、「超入門!落語 THE MOVIE」あたりから興味を持ちはじめていて、「渋谷らくご」に行きたいなぁーと思っていたからだ。ナマで落語を聞く敷居をグッとさげている活動と個人的には思う。 (残念ながら日程が合わず、1
本を読んで感じとったことの記憶と記録を兼ねて、好き勝手に置いていこうと、コッソリ「下書き」に書き溜めていた矢先、「読書感想文」企画を発見し、選書を試みる。 すでに下書きに書き途中ものを出せばよいけれど、せっかくなので、候補書籍から選んでみた。特に理由はなく、選んで購入。強いて言うなら、すでに積読がいっぱいだから、文庫か新書で期限までに読んで、書ききれそうな書籍という、何ともうしろ向きな理由から。 しかしながら、選書した『目の見えない人はどう世界を見ているのか』(光文社新書
読んだ本と、自分の中で感じた思いと考え(思考)の衝突を忘れないための、外部記憶装置の記録ノートです。 本を読んで感じた脳内で衝突した思考をつらつらと書き起こそう。忘れないように。触れた知性への感謝と感じた喜びを。文字を言葉を紡いでいくだけの作業。 きっと、10年後にまた読んだら、違う感想になってしまうから。 今年は、新型コロナウイルスの影響もあり、TV報道をはじめとする、各種メディアで死亡者数や著名人がなくなったなど、「死」について取り上げられることがものすごく増えたと思う