ワンルームと三月馬鹿
2022.0228Mon
明日は3月1日。就活生にとってはライフルの音が鳴る日だ。4月に大学4年生になる私はというと、今更、髪を染めたくなっていた。3年生になってから、この先にある就活の重々しさを体現するかのように、周りの人たちの髪色がどんどん暗くなっていった。私は「インナーカラーに青緑っぽい色入れたい」と思っていた。
就活に関して何もしていないわけではない。インターンに行ったり説明会を予約したりはした。ただ、私は基本的に、やりたいことしかやりたくない。やりたいことのために必要不可欠な努力なら、たとえ辛くて泣き言を言っても心の底には「やり遂げたる」という気概があるけれど。(eg.卒論 一日一回自分の未熟さに心折れるが自分の好きなことを調べ上げて一つの文章として書き上げるのはめちゃくちゃアドレナリンが出る)
どこかの企業に就職して、働いている姿を想像できない。なぜなら、私は小中高の学校生活で既に社会の歯車(先生から見たとてもとてもいい子)として死にたくなるほど機能し、その反動で、将来は「自分のやりたいこと」を全部やって死ぬのだ、とずっと思っていたからだ。具体的には、本屋さんで働く傍ら詩を書いて、石を拾って、水辺を散歩して、30歳で死ぬ というものだ。成長につれ内容はちょくちょく変わったが、「30歳で死ぬ」という部分は変わらなかった。だが、どうだろう。私はもう21歳。すうすうと息をしていたらあと9年で理想上の寿命がくる。本当にそんなことになるのだろうか。もしかしたら、私はこのまま何もときめきを感じない場所で働き続けてしかも80歳くらいまで生きるのではないだろうか。
本当に嫌だ。人には向き不向きがある。私はやりたくないことをやるには、あまりに向いてないのだ。そういえばこの間、アニメ『平家物語』で徳子がこう言っていた。
「望まぬ運命が、不幸だとは限りません。」
これを聞いて、私は昔お父さんが私と姉について言ったことを思い出していた。
「あなたには、目標に向かってやり続ける能力があって、姉には、行き着いた先でやりがいを見つけ出す能力があるね。」
二人の言葉がじわじわと溶けていった。昔お父さんに言われたこと、その時は嬉しかったけれど今はそれ以外の気持ちもある。(私はこの能天気さで、自分を守るかわりに多くの人を踏み潰してきたのだろうね。) 多分お父さんが言いたかったのは、「行きたいところへ辿り着けず別の道へ進んでも、それなりに幸福は見出せるし悪いことではない」ということだろう。そうだね、そうだと思う
殺した心に、目を背けても?別に、そうしたところで失うことなど本当に何もないのかもしれない。それでも異様に怖いのは、ただ私がわがままで臆病だからでしょうか、そうなのかな、そうだといいな。私の言葉は、失われないままですか?
「英雄的な妄想に取り憑かれないように」
とある人に言われた。図星にも程がある。もはや取り憑かれるどころか侵蝕されて私のアイデンティティの一部だった。今更どうしろと言うのだ。100点を取るのは楽しかった。先生や親に褒められるのは嬉しかった。だからといってやりすぎた。馬鹿丸出しの学生時代を取り戻すかのように自分の中の英雄像に縋って、今は就活を拒否している。
こう書くと本当に馬鹿だな。やりたいことがあればやればいいし、就活が嫌ならまだマシなところだけやっておこう。でも女性ものスーツを着るのが結構嫌なので厳しいかもしれない。それで親に迷惑や心配をかけるのが嫌なら、もうどうにでもすればいいんじゃないか。案外なるようになるし、ならなければ死ねばいいよ。心配いらない。
私には言葉しかない。正確に言うと、私が宇宙(つまりは果てしない外の空間)へ羽ばたく手段は言葉しかない。ただ私の中でぐるぐる回って腐って蒸発していくだけの言葉を外に放出する。ただそれだけで、私の羽が戻ってくるような気がしている。