「幸せとは何か?」という人類史上究極に哲学的な問いに対して、もう答え方は大体、出揃っているので、パターン分けすれば誰でもそれなりにしっくりする答えが見つかるんじゃないだろうか、という雑な思考実験というか、お遊び。
実はもう既に十分幸せなんだよ派
もう既に十分幸せだということに気づいたほうがいい。ないものを期待するから、不幸であるかのように感じてしまうだけなんだよ、という意見。
いろんな物語とか映画の結末でよく見る気がする。
普遍的で共感が得られやすい一般解の顔をしているが、実際この境地に辿りついている人はどれぐらいいるんだろうか。
個人的には、この意見は真理のように見えて、実感とは乖離がある印象。しっくりこない。人生経験の豊富さというか、ある程度人生を満喫した人の考え方なのではないだろうか。
幸せ=愛 派
人を愛すること、愛されることが幸せだという意見。
ロマンチックで温かい。恋愛映画か、家族愛をテーマにした物語で言われそうなセリフ。
家族・恋人といった人との関係性を、人生において一番重視する人にとっては、これが幸せの真理なのかもしれない。
幸福=現実÷期待 派
期待しすぎるから不幸になる。期待しすぎなければ、幸せなんだよという意見。
冷静で現実的。情緒派の人には受け入れられなさそうだが、ロジカルに考える人にはこれがハマるんじゃないだろうか。
論理的な人の中でも、理想を追い求めるタイプには、合わない考え方かもしれない。「人生に対して期待を下げる」考え方は大人だと思うが、自分の理想を持っている人には受け入れ難いのではないだろうか。
「幸せとは何か?」なんて考えると逆に不幸になる派
余計なこと考えずに生きたほうが幸せ、という意見。
抽象的な話とか哲学的な話には興味がなくて、日常を生きることに幸せを感じられる人には合うと思う。
幸せかどうかは、自分次第!派
自分次第!
不幸のどん底にいる人に同じことが言えるだろうか。例えば、友人、家族、恋人を失ったばかりの人に「幸せなんて、気の持ちようだよ」なんて言葉をかけることは実際ありえないだろう。
「幸せってなんだっけ?」と、ふと疑問に思った人には通用するが、不幸のどん底にいる人には刺さらなそう。
幸せになる必要なんてないのよ派
読んで字の通り、幸せになる必要なんてない、という意見。
個人的には真理だと思う。この言葉を聞いたとき、肩の荷が下りたというか、僕はすごく楽になった。
ただ、これは「自分に対しては」という条件付きだ。幸せになりたいと願う人はいるはずで、その人とどう関わるかが課題だ。仕事でも恋愛でも、家庭でも、この価値観が一致しないとどこかで衝突かすれ違いが起きるだろう。
世捨人っぽい考え方でもある。幸せを目指すことを止めたとき、何をモチベーションに生きるのだろうか。
むしろ不幸こそ必要派
幸せも不幸せも両方あるのが当たり前 派
そもそも幸せになることが目的じゃない派
幸せ=貢献・奉仕 派
幸せ=仕事の充実、達成感派
幸せ=何かに夢中になること派
マーティン・セリグマンという心理学者は幸せの5つの要素として
・達成
・快楽
・没頭
・良好な人間関係
・意味合い(貢献、意義)
を上げている。このモデルに当てはめれば、黒澤監督は特に「没頭」の比重が大きいといえる。
まとめ
僕は、幸せは「目指さなければいけないもの」ではないと思っている。「幸せなんて特別必要ない」という考え方を知ったときに肩の荷が下りた感覚がした。
それがなぜなのかを考えると「幸せになりなさい」「幸せを願っている」「幸せになるべき」という言葉には、「一般的な幸せとはこういうものである」という定義の押しつけが隠されていることがあるからだと思う。
とはいえ、本当に不幸な目に合っている人はこんなことを考える余裕はないはずで、やはり「幸せとは何か?」なんていう問いを考えることができる時点で、そこそこの時間的・精神的ゆとりがあるということの証明で、暇人なんだなとも思った。