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恋人と暮らして半年、家を出た日。

恋人と一緒に住み始めてからもうそろそろ半年が経つ。
そんな半年の思い出をと思って下書きに書き始めたら、家を出るに至った経緯だけで画面の半分が埋まった。

半年前の4月、正社員になった私は5月に初任給を貰った。
高校を出てすぐに働き始めた、この8年間の中で一番の金額だった。専門学校に行こうと決断して足掻いた三年間が報われる気持ちになった。 
その初任給を母親は「半分は家に入れてくれないと困る。」と言った。

高校を出て働き始めた時から給料の3/4が親のものだった。
専門学校に通い始めても学校と仕事は両立させた、実習が始まると実習の無い木曜日と土曜日だけ仕事に行き、実習の日は深夜バイトをした。
22時に家を出る、疲れて働かない頭でペダルを踏むことだけを考えて自転車を走らせた。
毎日必死に働いても手元に入るのはいつも1〜2万だった。時給換算したら死にたくなりそうだなとよく考えていた。
それもこれも、学校を卒業するまでと何度も言い聞かせて三年間を終えた。

卒業しても何も変わらなかった。

恋人に母親に言われたことをLINEで伝えると
「身一つでいいから私の家に来なよ。住むところならあるから。」と言ってくれた。
どんな時も支えてくれたのは恋人だった。

張り詰めていた糸がプツンと切れ、
ここにいても何も変わらない、もう逃げてしまおう。
と安息の地では無くなった家の一室で「転居届の出し方」を調べた。もう許すことができない、と心の中に黒い感情が渦巻いてた。

家を出ると決めてから、家を出るまでの僅か10日間、母親と一切口を聞かなかった。存在を無視されて過ごした。
こんなはずじゃなかったのになと喉の奥がギュッと閉まる。毎日布団の中でただただ耐え忍んだ。

今にも雨が降り出しそうな5月の終わりに、給料の半分を置いて家を出た。

母親からは怒りのLINEが来た。その通知を見るたび闇に引き戻されるからそのうちブロックした。
こんなはずじゃなかったのにとやっぱり思う。
姉と私、2人ともこんな形で家を出た、母親は何を思うんだろう。

世間で言われるような毒親ではない、異常なほどの金銭の縛りがあっただけ。
少しおかしいなと思いながら過ごしてきたが、家族は小さなカルト、おかしくても私の”普通”はそこで植え付けられた。
職場の上司にこのことを「おかしい」とハッキリと言われ頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
そっか、家族のことを”おかしい”と思っていいんだ。と縛られてた感情から抜け出せるようになった。

それでもここまで育ててもらったことは事実で、本当なら良好な関係を築いていたかった。家を出て行った後も罪悪感は拭えなかった。

恋人と話してる時に「私帰るお家ないのになー!」とふざけて言ったら「ここだよ〜!帰るお家はここだよ!」とハグしてくれた。
帰りたくない場所が出来た私に、恋人は帰ってくる場所を作ってくれた。
恋人と日常を過ごしていくうちに「母親」と「私」を切り離して考えていいんだとようやく思えるようになった。

耳栓をして潜り込む布団の中、自分の心臓の音が気になって眠れなくなった夜も、歩いてるだけで涙が溢れて止まらない散歩道も無くなった。
指先が冷えたまま布団に入る私に「冷たい〜!」と言いながら、恋人は暖かい両手で包んで暖めてくれた。
自分の心臓の音が、恋人の心臓の拍動と混ざり合って気にならなくなった。寝るのが早い恋人の規則的な寝息を聞いていたら私もいつの間にか眠ってる。

恋人はよく私に「zooが眠れてると安心する。」と話した。
まだまだ解消しきれない感情に、何度も引き戻される。それでも隣には恋人がいる。
私が私らしく生きられることを大切にしてくれる恋人と、これからも日常を共有して生きていく。

私の安息の地、ここで半年暮らした。

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