アイドルコンプレックス
アイドルは、偶像という意味を持つ言葉の意味が変化して現在の意味に至るそうだ。
人々からの憧れや崇拝の眼差しを向けられる彼ら彼女らには至極真っ当な語源である。
仮面ライダー、プリキュア、スーパー戦隊、プリティーシリーズ、アイカツ。小さな頃に憧れた数々のヒーロー。
いつの日か日曜日の朝にテレビ朝日を、木曜日の夕方にテレビ東京を、選ばなくなっていくのが大抵だろう。
しかし私は幼い頃見たアニメ「アイカツ」「プリキュア」をそうして選ばなくなることなく、ずっと心の中心に彼女らがいるまま今の年齢を迎えた。
同級生には何度もバカにされてきたし、親にだって心配されてきた。
小学校高学年になっても私は真剣にアイドルになりたかったし、その頃の自分にメタ認知は存在しなかったため、卒業文集や二分の一成人式の未来の自分へのメッセージにもしっかりと「私はアイドルになります。なぜなら星宮いちご(アイカツの主人公)が私の心の光だからです。」と明記されている。
自分の見た目やキャラクターを理解して立ち位置や能力が客観視できる中学生になってようやく「私はあっち側ではない」という感覚を持ち始めていた。
アイドルはアニメのように、志し、諦めなければ誰でもなれるものでは無いとこれだけ時間をかけてようやくわかったのだ。
まず私の家はオーディションを受けることも許してくれず、アイドルなんてなれないと現実を突きつけてくるような環境であったため、尚夢は遠ざかった。
そうして今の年齢を迎え、私は見事に「アイドルコンプレックス」を患った悲しいモンスターとなった。
小さい頃かわいいかわいいと育てられてきた(実際本当にかわいかったし、子役じゃないのに全国流通の写真館のハガキのモデルになったこともあった)のにかわいいの象徴であるアイドルにはなれないのかと、彼女たちのように華奢な体にはなれないのかと、かわいくて高い歌声は出せないのかと、毎日毎日理想との乖離に頭を抱えている。
今やアイドルになりたいだなんて誰にも言えない。もう自分の立場を、見た目を、理解してしまったから。
だからせめて、かわいいだけは諦めたくないのだ。誰に何を言われようともまだ私はフリルやリボンやピンクを身につける。
各所大手アイドルがオーディションを開催して自分より年下の子が新メンバーに選ばれたのを見た時の絶望は共有できる人が少ないだろうが、この苦しみとは一生付き合っていくことになるのだろうと思う。
アイドルになることでしか解消されないアイドルコンプレックス。
勇気をだしてオーディションを受けるかこのまま抱えて生きるか、私は今その分岐点にいるのかもしれない。