ある就職超氷河期女子大生の、外資系企業へ新卒就職の挑戦 ー きっかけ編
出身地は自宅から市内最寄駅まで「徒歩90分」且つ路線バス無し、
小中学校も片道30分以上は掛かるという、とてつも無い田舎。
大学生になるまで近隣にコンビニどころか自販機も無く、
一番近いコンビニまでも徒歩20分、スーパーも徒歩1時間、という距離。
バブル期は小中学生時代のため、日本の経済状況なんぞ知らぬ存ぜぬ。
学習塾に積極的に通う程の環境では無く。
大学受験は第二次ベビーブーム世代の後で常に「過去最高」と
ライバルが多い世代。
学生時代、体罰、パワハラ、男尊女卑、当たり前だった時代。
大手証券会社や銀行が経営破綻した時代。
インターネットがまだ家庭で普及する前の時代。
航空会社のリコンファームがまだ必要だった時代。
当時、私は大学1年生の頃から某ホテルのレセプションのアルバイトで
外国人宿泊客とのコミュニケーションから
英会話と接客を実践的に学び始めました。
高校時代に外国語科で英語履修科目が多かったことに加え、
第二外国語で仏語を履修し、英語以上に仏語に魅了されていた時期でした。
仏語と英語が机上だけの世界から実践の場へ学びが移り、
物凄くのめり込んで外国語を履修したことを覚えています。
当時、アルバイト先の社員は所謂半官半民企業で潰れない、
この企業は安泰だ、年功序列は当たり前、と思われていた時代。
学生ながらも「これが日本の企業なのか」「これが社会人なのか」と
自分の思い描く社会人像を悉く潰して下さっていました。
父はサラリーマン経験後に30代で独立、母は2人の子育てをしながら
製造業でフルタイムで働き続けてきた後ろ姿を見てきたせいだろうか、
大企業の雰囲気、良くも悪くも両親が歩んできた社会人像と
乖離していました。
恐らく、真剣に働く両親の姿を尊敬し、自分もそうなりたいという
将来への希望も持っていたからでしょう、
リアルなサラリーマンの実情や会話をアルバイトならがらも4年近く接して
知ると、「働くってこんなもんじゃない!」と
勝手に思い込んでいたのでしょう
(ただ、自分が働くようになってからも、この気持ちは変わりません)。
私自身、大学進学の理由は、教員免許取得⇒英語教員になること。
周囲に教員や公務員がいたことも、当たり前のように影響していました。
しかしながら、当時の大学受験も就職試験も「過去最高、過去最高」と
何をするにも狭き門、教員試験も各教科で数人の物凄く狭き門。
競争して一番を獲るような人間ではない自分が難関突破できるとは思えず、
それ以上に「また他人と競わなければ自分のやりたいことが出来ないのか」
という疲れを20歳くらいから感じていました、苦笑。
転機は大学2年の時の授業と出会い。
大学2-4年生対象の時事英語やディスカッションをメインに行う
選抜授業があり、運良く合格した時にご一緒した先輩方との授業。
20人程度のクラスメイトに留学経験者がほぼゼロにも関わらず、
英語の発音、プレゼン能力、語学検定類を「独学」で取得し、
この授業でどんどん語学力、分析力、プレゼン力を研鑽し、
有名企業やヤリガイあるお仕事に就職を決めていたOBを見てきたこと。
その中にSさんという、物凄く光る女性がいらっしゃいました。
(これまでの人生で幼少期、学生時代、職業人生の殆ど9割以上を
男性だらけの世界に生きてきた者としては、
後にも先にもSさんが私の人生を変えた出会いになっています。)
私と境遇が似ており、物凄いTHE田舎環境のご出身。
留学経験も、駅前留学経験もゼロ、学習塾にも無縁。
ただ、外国語学習が好き、将来は海外で働きたい、という明確な目標を
お持ちでした。
当時、私は短期留学するためにアルバイト代をつぎ込み、
冬休み期間を利用してホームステイに行くために親を説得。
何とか同意を得て諸々の手続きを終えて入金完了後、
最後の最後で父の大反対を受けて泣く泣く断念し、腐っていた頃でした。
当時、新しい授業が始まり、交流が深まった頃に聞いた、
彼女の将来への姿勢と美しさに圧倒されたことを鮮明に覚えています。
留学経験は年単位で行かなければ意味が無い。
ただのホームステイに行くのはもっと意味が無い。
海外へ行きたいならば、バックパッカーで海外周遊も面白い。
そもそも、海外へ行く前に、どれだけの語学力と武器を持っている?
どれだけ準備が出来ている?
自分はこれから何をして、どう生きていくために
今を学び、今を生きている?
この問いかけに、物凄い衝撃を受けました。
確か、飲み会で私を含めた複数の方々に問いかけていました。
この問いかけへの答えは、山猿の私には勿論無く、
このように質問されたことも、私の人生で初めてでした。
半年後、Sさんは新卒で多国籍の外資系航空会社の海外勤務で就職内定。
凄い!留学経験も英会話学校にも通わず、語学力と異文化理解を習得し、
超難関企業にコネ無しで、自分の実力で合格を勝ち取ったのです。
元々その方は大変優秀で容姿端麗、身長も高くてモデルさんのようでした。
確か、某局ラジオのアナウンサー職を蹴って某国へ旅立ちました。
当日、成田空港へお見送りの際、物凄く自信と喜び満ちた姿に感化され、
「私も絶対Sさんのようになる!」と興奮気味に
空港から自宅までの4時間の帰り道を心の底からのやる気と
将来へのワクワクで、学習計画と就職活動の準備を始めた、
大学2年の終わりでした。
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