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初めての「せんせい」

そう、それはよねお君が中学2年生の頃にまでさかのぼる。

よねお君は小学生のうちは、英才教育を受け、神童、とか、天才、とか呼ばれていた。

自分でも頭がキレるのは解ったが、頭が良いのと勉強が出きるのとは全く別の話で、勉強はというと中の上くらいなもんだった。

ただ、昔から性格なのかこだわりが強く、得意なことはことに、伸ばしたがる正確だった。

当時僕は、私立の小学校に通っていたし、終われば受験塾に通う。身の丈に合わない御三家コースみたいなのに行かされ、行く気もないのについていけないレベルの授業をウケさせられる。

でも、それでも受けていれば人間ある程度は馴染むもので、勉強はそこそこにできて、
地元じゃとりあえず一番の、進学校に進むことができた。

ところがどっこい。
2月の受験シーズンが終わってしまえば頭は空っぽ、
あれほどテレビで見るクイズ問題に出てくるバカバカと社会の人名や知名、理科の実験なんか覚えていたのに

気づいたら中学1年生を終わる頃には英語数学は人並みレベル、理科社会は地の底辺を這ってるような成績だった。

そんなこんなで気にはしない。
だって、遊んでれば学年は上がれるものだったから。

今まで、苦労したことなかった。
そこそこ頭がキレれば勉強量は無くとも、少ない組み合わせの知識やなんかで乗り越えられる「思考型の問題」が多かったからもしれない。

そんなこんなで中学2年生に。

クラス替えをして、新しいクラスメートと顔を合わせる。

そしてまた、去年の続きから始まる、英語すうがく、なんとかかんとか。

当時は部活に明け暮れ、勉強なんてもってのほか。
たまたま知り合いに紹介してもらった英語の家庭教師のおかげで成績はバカみたいに伸びて、常にテストは100点から95点を言ったり来たり。

おかげで耳は鍛えられ、簡単な今でも日常会話くらい、外国人が歯医者に来たら気持ち日本語喋れるくらいなら困らないようになった。

が、困ったのが数学

いかんせん、得意なのに出来ない。
細かいミス、ねらいどころが外れて、ミスする、点が上がらない。

なんか、やばいなぁと思いつつも打開策を得られないまま日が進んだ。

そんなある日のことである
新学期初の授業、

なんか、数学の先生がやってきた、

なんか、シャカシャカしたブルゾンに、メガネ、知的な顔なのに、髪の毛はきっちりまとめてややポンパドール気味(いわゆるちょっとリーゼントみたいなもんよ)

んでもって、コテコテの関西弁

なんだこりゃ、という感じ
情報が渋滞しててよーわからんかったけど
なんか一言で言うと

「怖そうやなぁ」だった

そんなこんなである日、また授業がはじまる。
そのなかで、ちょっと解いてみ、これ。の時間がある。
ちょっとした時間でものの5分くらい。

その間にセンセーは教室を歩き回った

なぜだか知らないけど、たまたま僕が前の休み時間に借りた友達のお姉ちゃんのマンガを鞄に入れてたのに
なぜか、発見されてしまう。

「ほれ、なんやこれ」

あいつ、なんかしたんかと言わんばかりに手が止まって

みんなの注目がしてあつまる

「君のいる町、マンガやない。こーゆーもんはガッコーにもってきてはいけんと習わんかったか~」

後ろから痛い視線
うしろのM山君からかりた
M山君のお姉ちゃんの、マンガだから
(お前、それ没収されたらアネキになんて言うねん)というひしひしと伝わる視線

と、センセーはいう
「あんなぁ、学生っちゅーのは勉強すんねん。それが仕事やからな、ほどほどにしときや」

と。
そのときばかりは、なんと寛大な先生だと思った。
だって、ガッコーの先生って、規則とかにうるさいじゃん、細かいこと。
どーでも良いことに。

でも、この先生は違った
おとなになってからわかる
「分別をつけなさい」ということ

たぶん、この先生は休み時間ゲームしてたって怒らないでしょう。
ちゃんと、授業きいて、集中して人の話を聞く、それが学生の仕事だからそれさえできれば自由時間になにしててもかまへん、みたいなこと言うんじゃ無かろうか。

また日がたった頃、席替え。

そんな何事もない日は移り変わり、
また同じ数学の、授業

なんの日か覚えてないけど、
ふと、名指しされた

「おい、よねお。」

ワイ「ビクッ(いやなんかしたん)」

「お前なにボケボケして授業聞いてんねん、ぼけっとしてんで、ちゃんとしーや。君、ほんとはめちゃくちゃできるんやろ、出来のイイ生徒なんやのに、ちゃんと頑張れや」

一瞬心が固まった

40人くらいの1クラスの中で、突如現れた僕とその先生だけの時間。

たったものの数十秒だけど、他にもボケッと授業聞いてるやつはいるし、出来の悪いやつも居る中で、
この人は僕だけを見ててくれたんや、と

感動した

こんな先生に会ったこと無かったから

僕はずっと、数居る学生の中の1人に違いないと思っていたし、先生だって、何人もいるうちの1人やと思っていた。

でも違ったんや

この人、ワシをみとる。

そう気づいたら頑張らずには居られなかった。

自分のために勉強すんねん。
当たり前だけど、その時には自分ではなく、この見ててくれる人にお返しをしようという一心で勉強した。

そしたらなんか成績は伸びた。
英語と数学は間違いなく学年トップクラス。

こんな素敵な先生もおるんやなぁ、と思ったし、来年もこの先生だったらええな、とか思ってた

が、そううまくはいかない。

学年末になると退任する先生が全校集会で挨拶をする。

の中に、その先生はいた。


「実家が幼稚園やってまして、そろそろ継がんかという話で。兵庫のからたち幼稚園というところですけど、
子供と直接戯れるわけやないですけど、経営とかそっちのほうで、、、」

そこから先はみみに入らなかった

愕然としたの
この人についてこう、とか思った人いなかったからね。

まぁその、時の出来事はあまりにも衝撃的すぎて、
なぜか、どうでもイイ幼稚園の名前はずっと覚えてるし。きっと僕にとってインパクトの強い先生だったんだろうね

その後、なんやかんやあり、数学者になりたいと思った事もあったり
フェルマーの最終定理は美しい、とか物憂げに語ってみたり
かたや、数学の教師をめざしたり
やっぱりこれだけを仕事にするのはキツいわ、とか思ってみたり。

そんなこんなで色々ありましたが、たまにフェイスブックで見かけてはイイネを押してくれたり、お話ししたりします。

見かけによらず、感性が豊かで
謎に、僕が学生の頃から花が好きでした(似合わねーとか思っていたのは内緒)

僕も将来どういう道につくか解りませんが、
どういう形であれ、人に教える仕事をしてみようかなぁと言うのは思っています。

それはもちろん、講師として講演会であったり、あるいは個人に相談にのる形であったり
そう言うのもおもしろいと思うし
僕はそうやって、
多くの人、から、たったひとりの、になれた喜びがあるのでそれを誰かに伝えてみたいですね。

ガッコーの教員なんてどれもこれも同じや

とか思うかもしれませんが、

そういう人が居るのも事実ですが
きっと、一人一人を見てくれる人も居ると思いますよ。

北村努先生へ

気の乗らない表現がありましたら訂正しますので、お申し付けください。

あの時、先生がなにげに放ったかも知れない、
たった一言だったかもしれませんが、僕の人生を変えてくれたのは間違いなくあなたでした。

1年しかご一緒できませんてしたが、ありがとうございます。ぼくにとっては1コマの授業が思い出ですよ。

もし、兵庫県にお住まいの方で、
幼稚園を、お探しでしたらこちらへどうぞ。

良いところか悪いところかはわかりません。
僕が通ったわけではないので。

ただ、僕がお世話になった恩師がいます。
それだけです

ちっちゃなエピソードでしたが
僕には忘れられない10年前の出来事でした。

お後がよろしいようで

からたち幼稚園

https://www.marmalade21.ed.jp/

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