よねお

歯大工の源さんこと、よねおでございます

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最近の記事

お世話になった愉快な院長

歯医者になって、初めて医療でお金を貰ったとき。 ひょんな縁で、研修医の頃から働かせてもらったところである。 院長は、とても愉快で、我が道を行く。だから、それが見ててとても気持ちいい。 自分の信念は曲げないのだ。優柔不断なんかありゃしない。 僕と、ほぼ同じくらいにして大学の同期がそこで一緒に働き始めた。 僕は国浪したので、卒業同期だけど、歯科医師歴は彼の方が1年先輩である。仮にR先生とでもしておこう。 同じ歯医者で働き始めて気づいたことがある。 R先生は、常勤先の医

    • ⑤思い出の歯学部面接伝説 ~昭和大学編~

      旗の台という東京にある駅を降りたところから徒歩5分ちょっとのところにある 昭和大学。 オヤジの姉が昭和大学の医学部出身の医者で、ご親族様用へくる同窓会と入学と寄付のお願いの書類を、受験期だからと送ってきたようで なんと、中には歯学部の願書も入ってる。 全学部入ってるからね、ココは医学部、歯学部、薬学部、保健医療学部の集まる医系総合大学らしい。 昭和大学といえば、あの高須クリニックの高須院長など有名人を輩出しておるらしい。というのも入学してから知った。 なんといっても、

      • ④思い出の歯学部面接伝説 ~神奈川県2私歯大編~

        うーん、これまで日本歯科新潟しかないのは、、、新潟いくしかないのか… という僕 神奈川県民、真っ当な神奈川生まれ神奈川育ちなので、とりあえず地元のを受けてみる その1 神奈川歯科大 当時僕は受験より1時間以上前に会場最寄りについて、松屋で牛カルビ焼丼を食べるのが日課のようになっていた。 が…!しかし! 当日は大雪でまさかの最寄りと隣の駅の間でポイント故障で電車が大幅に遅れている…! これは、、これはまずい、、 が、奇跡的に反対方面だったので地元最寄りで折り返し運

        • ③思い出の歯学部面接伝説(2) ~東京歯科大編~

          そんなこんなで 歯学部受験2弾に突入 その次は私立最難関、東京歯科大学へ。試験はそんなに難しくなかった また恒例の午後面接へ。 面接で云々聞かれた後、日本歯科みたく懇談形式かと思いきや口頭試問がある 面「IPS細胞とはどういうモノでしょうか?」 ワイ「問題にしてくるくらいですから、あなた方の方が詳しいと思いますが。。。 ニュースでやってるくらいの情報しか僕は持っていないのに、細胞の培養したりした経験がある先生方のほうが詳しいと思いますし細胞レベルでのお話になると僕の

        お世話になった愉快な院長

          ③思い出の歯学部面接伝説(1) ~日本歯科大編~

          そうこうしているうちに、 もう医学部受験に前期を捧げていた僕は 滑り込みで歯学部の2期を受けるしかなかった。 選べたのは近くて通える場所へ。 ・日本歯科大 ・東京歯科大 ・神奈川歯科大 ・鶴見大学 ・昭和大学 この5つの歯学部へ。 なんか、なんも勉強も、してないし 医学部の受験は 私立だけど、 1次試験→英数理科2科目適性試験 突破したら 2次試験→面接 という流れだったから、 なーんも準備してないでうける歯学部の受験 なんか歯学部面接その日にあるらしいという

          ③思い出の歯学部面接伝説(1) ~日本歯科大編~

          ②大学受験の僕

          時は遡り、中学3年生 とくにやりたいこともないけど、成績そこそこだった僕は取りあえず東大でもいくかな~ とか呑気なことを考えていた 小学校からの同級生K君 小学生の受験塾から知ってて成績はよかったし、中学に入ってからも部活にさそったらバスケやるって。なんか腐れ縁でよく家にも遊びに行ったし、彼のお父さんはお医者さん。その道だと相当有名で病院長なんかやったり、部長だから、どこかの有名野球チームのエースから監督になった人から手術の際に色紙もらうくらい。 そんな彼はもう目キラ

          ②大学受験の僕

          ①今日にいたるまで。

          こんにちは、よねおです 最近、保険診療を行う歯医者さんになって思うこと 色々目指してきたモノのがあるけど、紆余曲折あってここにいきついた、 歯科医師2年目(1年4ヶ月)に至るまでの僕の行き道を書き記しておこうか。 いつか、後輩歯科医師や、人生の道路に悩むモノへ なにかきっかけになればそれでいいと思う。

          ①今日にいたるまで。

          初めての「せんせい」

          そう、それはよねお君が中学2年生の頃にまでさかのぼる。 よねお君は小学生のうちは、英才教育を受け、神童、とか、天才、とか呼ばれていた。 自分でも頭がキレるのは解ったが、頭が良いのと勉強が出きるのとは全く別の話で、勉強はというと中の上くらいなもんだった。 ただ、昔から性格なのかこだわりが強く、得意なことはことに、伸ばしたがる正確だった。 当時僕は、私立の小学校に通っていたし、終われば受験塾に通う。身の丈に合わない御三家コースみたいなのに行かされ、行く気もないのについてい

          初めての「せんせい」

          魂をうりかけたとある独りの"がんこ"な髭のラーメン屋の話。と僕の出会い

          魂をうりかけたとある独りの髭のラーメン屋の話。と僕の出会い 先に言っておく、 これは僕の中で人生を一番変えたであろうかもしれない人との出逢いである。 ある日、オヤジが言った オヤジ「おう、ラーメン食いに行こうぜ」 お袋「えー、どこどこ」 オヤジ「相模原のー。とりあえず行ってみるか」 当日僕は小学5年生、11才。 この時僕の人生の歯車が狂い出すとは。 およそ20分くらい 車に揺られて親父が手探りで車を進める中 オヤジ「この辺なんだよな~、あーあったあったここじ

          魂をうりかけたとある独りの"がんこ"な髭のラーメン屋の話。と僕の出会い

          とある、街の愛されラーメン屋とそのご夫婦、時々ぼく。の話

          とある、街の愛されラーメン屋とそのご夫婦、時々ぼく。の話。 かれこれ10年くらい前になるだろうか、 僕は高校生。 大半の学生は駅からバスで通う中、 駅まで出る方が遠く、 友達と一緒に自転車で通学していたよねお少年。 その友達T君は変わってた。 ある日、友達はこんなことを言う。 「寄り道しない?」 その一言がとても魅力的だった。 バスで通学する学生は、みんなでマックに行ったりフードコートに行ったりするが、僕らは自転車で家と学校を往復するだけ。 その提案はヒジョーに面

          とある、街の愛されラーメン屋とそのご夫婦、時々ぼく。の話

          とある選手との馴れ初め。

          2020年 舞台は6年越しに平和島に戻された。 賞金王決定戦 かく言う、グランプリ 強い若手のレースを見続け、気づいたらそれをふと負かす一人のいぶし銀レーサーと僕の出会いの物語。 あの日会ったあの時から この人の背中を追い続けてきた。 もう何年も前になる。 ふと、立ち寄った、とある鉄板焼きの店がある。 ひとりでカウンターに座り、焼き物一つにレモンサワーを頼んだ。 たまたまその日に買った舟券の結果が気になってボートレースをみていた。 その結果を元に、翌日の予想をた

          とある選手との馴れ初め。