亡くした色彩
音もなく、光もない。
それは、私の目に夜の帳を下ろされているためであるかもしれず、鼓膜を駆ける鈍痛のためであるかもしれなかった。
もしくは、私のどこも正常であるというのに、世界が密やかにそれらを捨て去ったことを、私が気付かなかったのかもしれなかった。
音のない世界を、私は歩いている。
光のない世界を、私は歩いている。
鎖を巻きつけられたかのように、気だるい重さを纏っていた私の体は、今は軽く、あれほど悩まされた痛みも寒さも飢えもどこかに逃げ去っていた。
そこは、音さえない世界である。光さえない世界である。
それでも私の目は、白く長く続く一本の道を捉えていた。
それは、最果てのない道である。
私の前後に人はいない。ただ私だけが歩いているのだ。
歩を進めるたびに、ないはずの音が私の足を這い上がってくる。
何かを砕き、踏みにじる音である。
きしりと砕け、もしくは私の体の重たさに打ち勝ち足裏を押し返すものもあった。
あるいはすでに粉となり、しっとりとした湿度を伴って私の足を柔らかく包むのだ。
それが何かということに、私は気を払ってはいなかったが、ある時それに足首を強固に掴まれて、ふと視線を道へと落とした。
それらは、人間の骨であった。
道の白さは、骨の白さであった。
無数の骨が道を作り、どこまでも続いている。私はその上をただ歩いていたのである。
叫び、駆けだしたくなるような悲哀が私の胸を掻きむしるのだが、何も動き出すものはない。
何故、私はここにいるのであろう。
この道を行けば、私の眼底におぼろに浮かぶ、遠い故郷に戻ることができるのであろうか。
艶やかに水を含む木々に囲まれた私の故郷は、私を海の向こうへと追いやった。
あの日、誰かが私のために、涙を流していたように思うが、今ではぼやけた仄暗い残像にすぎない。
森が生んだばかりの空気を胸に吸い、柔らかく生命を抱く土を踏みしめ歩いたのは、もう遠い闇の彼方なのだ。
その時、ふいに人の気配を感じ、私は振り返った。
私が歩く道の横に、いつの間にか新たな道が走っており、そのはるか後ろから、誰かが歩いてくる気配がしたのである。
私は歩くことをやめ、目を凝らした。
光のない世界である。
はたしてそれは、見覚えのある顔であった。
その顔を見たとたん、私の目からやっと涙が一筋零れ落ちる。
彼は肩に銃を担いでいた。
彼の服は血と硝煙にまみれて汚れている。
彼の手はねっとりと、誰かの血で濡れていた。もしくは己の血なのかもしれない。
しかし、私の心は落ち着いている。悲哀に満ちた安堵が私を支配する。
私も彼と同じ姿をしているからだ。
涙は先ほどの一粒が最後であった。
私の横を、見知った顔が次々と通り過ぎる。
気がつけば、無数の道が闇の中を、まるで飛び散った血のようにして道がすうるりと浮かんでくるではないか。そこを、見知った顔が無言で、俯いて歩いていく。
骨を砕く音だけが、体に響く世界である。
目の玉の奥に、陽炎のように淡く浮かぶ我々である。
私は来た道を眺めていた。
前にだけ続くこの道は、その後方は闇の中へと消えていた。
戻ることはできない。
歩くべき道がないのである。
そしてこの先歩を進めても、私の脳が恋焦がれる故郷に辿り着くことはないであろうことは、足下の骸骨が物語っていた。
故郷を思う私の心は、私の足を動かし、骨を潰す。
歩くしかないのだ。
私にはもう、その行為しか残されていない。
飢えと苦しみと、悲しみを私から取り去ることと引き換えにした道なのである。
その途切れることのない骸の道を、ただどこまでも歩くほかないのであった。