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もう一度、基礎に戻って、世界を見つめて生きたいのだ。

わたしは人が好きなんだと思う。
子供の頃、父の実家は「海の家」的な民宿を夏になるとしていた。

海から歩いて50メートルあるかどうか、くらいだったと思う。
3年前に故郷に帰って訪れたら、広く見えた道路は狭くて、遠く感じてた海は目と鼻の先だった。
私が小さかったんだと認識した。

あ、話がズレる💦

父の実家は、夏になると、大きめの部屋を開放して、大阪やら京都から来た海水浴の観光客を泊めていた。
私は普段は静かな家が夏になると賑やかになるのが好きだった。

子供だった私は、お手伝いが好きだった。
コップや瓶ビール、コーラや栓抜きを運ぶのを手伝った。
大阪のおっちゃんたち(たぶん若者だったのだと思うが)と、なんやかんや話をする。

運びに行った私が戻ってこないので、母や姉や叔母が様子を見に来る。
「また話しとったわー!」
と、大人たちは呆れたように言う。

その頃から?元から?ずっと人が好きだった。
犬や猫も好きだが、いちばんは人間が楽しいと思う。
話せばレスポンスが返ってくる。
ポンポン弾むボールみたいな会話が好きで、小学校のときは夏を父の実家で過ごしていた。

成長するにつれて、言葉には刃がある事も知った。

故郷を出てからは方言を封印した。
関西弁っぽいけど何処か違う私の福井の若狭地方の訛りを、誰かが「土のついたジャガイモ」と表現した。
若すぎた私は大いに傷つき、標準語を話すように努力したんだった。

今なら、
「土のついたジャガイモは美味しいよぉ。どんな風に調理しても美味しいよ。」って返せるケド、そこに至るには人生経験が必要やった。

わたしは人を信じたい。
今でも、変わらずに。
子供の頃、あっけらかんと純粋に信じていたように、疑いもなく、スコンと人間を信じたい。
青空に向かって青く咲く花のように真っ直ぐな瞳を取り戻していきたい。

取り戻しつつ、
好きは好き、嫌いは嫌い、嫌は嫌、嬉しい、楽しい、哀しい、腹立つ、などの、純粋な感情を、更にリアルに思い出していきたい。

その場所に私の生命力があるはずだから。

ピタリと自分の鋳型にはまった場所から始まって、大人になるにつれてズレて、ズレて、本当の自分を見失って、何が好きか、何が嫌か、ご機嫌な自分すら忘れて、倒れて、起き上がって、いま再び、人が好きで毎日が楽しい自分に戻る。
かなり取り戻してきたと思うが、この先、どこまでピタっとくるかな?

最近は毎日がとても面白くて楽しい。
色々あれど、何もない人など居ないし、生きるって、つまりは、元ある場所に戻るんだ!と感じるから。

私の魂と、私自身が出逢い、合致したとき、たぶん稲光がおきて雷が鳴る。(比喩です)😃⚡️💫

ヒントは好きなことにある。
人の中で、人との対話を通して、人を信じていく。


キヨシローが昔、
ステージの上から、観客に向かって
「愛してるぜ!Baby‼️」
って叫んでたみたいに、

ソウイウモノニワタシハナリタイ。

青空
ベイビーブルーアイズ
(ネモフィラ)
赤ちゃんの純粋な瞳で
この世界を信じ
信頼を持って生きていく。


わたしの父親は、私を無条件に愛してくれた。
トーチャン、ありがとう。
この世界ではもう会えないけど、今でも大好きだよー。
私もいつか空に旅立ったら真っ先に会いにいく。
まだチョイチョイと先だけどね。
その日まで見ててね。😆!

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