あるインディアの民間信仰 Ⅲ ~これもまたVariety~

 言うまでもありません―締めくくりに臨んで―このベンガルの物乞いの歌う宗派を民俗学の何らかの立場から研究する、その訓練もその機会も私はもたなかったと。私は、気が付くことに魅了されたのです、どのように宗教の動向という生きた流れが人々の心の中で働くのか―学識ある者、富裕な者や高貴な生まれの者の社会によって押し付けられた卑しめから彼らを救いつつ―またどのように人の精神が、その妨害物ですらも役に立て、それによって達成へ至るのか、そこへ導かれるのか―聖典の中の教養ある権威たちによるでも、教理に扇動された集団の機械じみた衝動によるでもなく、愛ある魂の、洗練をうけていないあこがれによって。神学の近づきがたい山の峰々の上にはその信条の雪が永遠に堅固に、つめたく、そして純粋なままです。しかし、神のすすぐ雨は謙遜な心の野原に直接降り敷き、そこで様々な経路で流れゆき、行きがかりに土などと混ざりもするのです、その地下の流れ―目には留まらない、だが常に動き続けている―の中へと吸い込まれるにしたがって。

 Jnândâsの一編の詩で私の論説を締めくくること以上の喜びはないと思われます―その中ですべての素朴な精神達の憧れが、とある敬虔な表現に意を得てきた詩なのです。

  歩いてきた 一日中 そして 疲れ果てた―それから私は頭を垂れた 未だ遥かな あなたの王者の宮廷へむけて
その夜は更けた 望みが一つ灼きついた 私の心に
どんな言葉で唄っても その向こうから痛みが泣いた―なにせ
私の歌たちだって 喉がからからだった
「愛する神」よ 愛し神 私のさいわい世界にひとつ

闇に時失せたような頃 あなたの手は笏を放し リュートをとり上げ   その両端の弦たちを弾こうと
―それで私の心が うたいだしたよ
「愛する神」よ 愛し神 私のさいわい世界にひとつ

いったい これは誰 その腕 私を包むのは
そっとしておくべきもの 何であっても そのままにさせておくれ
そして担うべきもの 何であっても 担わせておくれ
あなたを伴に 私を歩ませておくれ それだけ
「愛する神」よ 愛し神 私のさいわい世界にひとつ

くだれ 時には あなたの高い鑑賞の広間から
おりてこい 嬉しさと哀しみのただ中に
ひそめ あらゆる姿に 楽しみに また愛に
そうして私の心では唄え あなたの歌の数々を
「愛する神」よ 愛し神 私のさいわい世界に一つ
(私訳)

原文は Creative Unity  その著者は Rabindranath Tagpreさん