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【学び】知的貪欲さを持つ
心理学の学びでお世話になった会社のテキストで、『理想のカウンセラーとは?』という項目があって、そこに『知的貪欲さを持つこと』というのがあった。
カウンセラーは、資格をとっても学会などを通じて専門知識などをアップデートし、一生学び続けるものだと言われている。しかし、カウンセラーに限らず、多くの資格関係ではアップデートをし続けなければ使い物にならないと思っている。
そんなことを思ったのは、先日友人と話をしたことがきっかけだった。彼女は栄養士の資格を持っているけど、自称『ペーパー栄養士』(資格だけ取ってることらしい)だとか。「アップデートしてないんだけどねえ」と苦笑していたが、知識はいくつになっても体に残っているといえる。
それを考えると、私が大学で学んだことは果たして現実社会に通用しているのだろうか――
これは就職活動を初めてした新卒の頃からずっと考えていた。私が就職活動をした頃は超氷河期で、文学部の就職は不利だと言われた。同じ文系でも経済学など社会の役に立ちそうな学部の人に有利で、それ以外の文系はどんなに頑張っても太刀打ちできずに、意図しない就職を選ばざるを得なかった。
しかし、時代は変わって大学で学んだことがそのまま就職に役に立つというのではなかったというのは言うまでもない。どんなに名門大学を出ても介護業界に進んだ人もいるし、超ド文系でも思いもよらぬ企業で働く人もいるのだ。実際、私の友人でも理系で有名大学を出てるけど、現在は専業主夫をしているというのもいる。世間的には「もったいない」と思われてるけど、本人はどこ吹く風だと…?楽しく生きてるからいいじゃないかと思っている。それに転職もあたりまえのようになり、「その仕事についてから3年間はしんどくても我慢しなさい」という時代でもなくなった。
よく考えたら『ガリレオ』シリーズの東野圭吾さんは理系だし、バリバリ文系の人が小説家になってるとは限らない。
それを考えたら、高校のときに悩んだ大学の学部なんて将来のことを考えると大したことではないということだ。
要はそのときにどうやって学び、どうやって活かすことができるかということだ。
知っての通り、私は大学で東洋史(中国史)を専攻していた。しかし、中国の資料は読んでていても中国語は喋れないし、実際に勉強もしていない。人によっては「中国の文化に触れてみたい」「字幕なしで読めるようになりたい」などあるだろうけど、25年たった今も関心度数はそれほど高くない。
そのかわり、昨年の秋から心理学の勉強も始めたし、それが終わって資格試験を受けるのみとなった今は「次は何をやってみようか」と考えているところだ。ネットで転がるwebデザインは思ったほど興味がないし、マーケティングもさっぱりわからない。世の中の流れ的にはAIも知らなきゃいけないだろうけど、どこから手を付けていいのかわからないのだ。
『とりあえず、興味があるものから手を出していこう』
それはよく耳にする。知識として、自分の中の血肉になるものを選んでいけば、少しずつアップデートされるかもしれない。人間は努力しないと前に進めないからだ。
たまにSNSで「考え方が古いなあ」という人を見かける。その価値観は50年前のものなんだろうけど、それを保つことで生きてきたんだろうかって。おそらく親の価値観をそのまま受け継いできたのかもしれないが、現実と合わせていかないとしんどくなるのではないだろうかって思っている。
だから、物事を学ぶにあたっては常に貪欲でなきゃいけないと思っている。それに向けては価値観と現実を合わせていき、学びたいと思ったら素直に学んでいくのがいいのかもしれない。