チャック・イェーガー　音速を超えた男

チャック・イェーガーをご存知だろうか？彼は「限界」という概念そのものを蹴り飛ばし、自由への扉を開いた人間だ。

アメリカ空軍のヒーロー、それとも音速を突破した伝説のパイロット、いや、彼を語るとき、それ以上の何かが必要だ。イェーガーはただ「空を飛んだ」だけの男ではない。
今回は、彼の生涯を追ってみよう。

ウェストバージニアの少年 すべての始まり

1923年2月13日、ウェストバージニア州の小さな町ミロで一人の少年が誕生した。チャールズ・エルウッド・イェーガー、後に「チャック・イェーガー」として世界にその名を轟かせることになる男だ。この町は炭鉱の街として知られていたが、そこに生まれた少年には何か特別なオーラがあったわけではない。どこにでもいる田舎の子供。朝は学校に通い、午後には川で釣りをし、森を駆け回る。そんな普通の少年時代だった。しかし、この「普通」の中に、後の彼の偉業を支えるいくつかのピースがすでに揃っていたのかもしれない。

チャックの家族は決して裕福ではなかった。父親は炭鉱夫、母親は家庭を切り盛りするかたわらで子供たちの世話をしていた。両親はチャックに特別な教育や機会を与えたわけではないが、彼らの暮らしぶりがチャックの性格に大きな影響を与えた。特に父親からは、仕事に対する責任感や困難に立ち向かう姿勢を学んだと言われている。

「ウェストバージニアの田舎で育ったことが、俺の基礎を作ったんだ。」晩年のインタビューでそう語ったイェーガー。その田舎の自然の中で、彼は「観察力」と「判断力」を養っていった。森での狩猟では、ほんの小さな物音や動きを見逃さず、次の行動を瞬時に決める必要があった。川釣りでは忍耐と状況判断が求められる。後に空を駆け抜けるエースパイロットとなるための能力は、すでにこの頃から磨かれていたのだろう。

そんな自然に親しむ日々の中で、彼が特別に目立った点があったとすれば、それは「目の良さ」だった。後に空軍で活躍することになる視力は、子供の頃から周囲を驚かせるほどだったらしい。遠くの標的を正確に撃ち抜く腕前は、一緒に狩りをしていた大人たちを感嘆させたという。「チャックの目はまるで鷹のようだ」と周囲が評するほどだった。だが彼自身はそんなことに特に自信を持つわけでもなく、ただ「楽しいからやっていた」だけだったというのが面白い。

一方で、ウェストバージニアの田舎町での暮らしは楽しいことばかりではなかった。生活は質素で、労働が日常の一部だった。子供たちも家計を助けるために働くのが当たり前で、チャックも例外ではなかった。だが、この厳しい環境が彼に「逆境を乗り越える力」を与えた。炭鉱の暗闇を恐れるのではなく、それをどうやって乗り切るかを考える。この精神こそが、後に彼を音速突破という人類の壁に挑む場面で支えることになる。

そしてもう一つ、彼を形作る重要な要素は「好奇心」だった。山の頂上に登っては地平線の向こうを見つめ、「あそこには何があるんだろう？」と考える。父親の古い工具を使って壊れた道具を修理し、「これをもっと良くする方法はないかな？」と思いを巡らせる。その好奇心は、彼が空という未知の世界に足を踏み入れるきっかけとなっただけでなく、彼を常に新しい挑戦へと駆り立て続けた。

ウェストバージニアでの幼少期。そこには華やかな冒険やドラマチックな瞬間はなかったかもしれない。しかし、その平凡さこそがイェーガーを作った。彼は後に「ウェストバージニアの小さな町で育った俺が、どうして世界の注目を浴びるようなことができるようになったのかは分からない。でも一つだけ言えるのは、俺はただ自分にできることを精一杯やってきたってことだ」と語っている。

平凡な環境の中で生まれ育った少年が、世界の「限界」を突破する男になる――その物語は、まさに「どこにでもいる普通の人が、非凡なことを成し遂げる可能性」を体現しているのではないだろうか。

その才能が頭角を現したのは18歳、陸軍航空軍に入隊してからだ。彼は視力が抜群に良く、ものすごい空間認識能力を持っていた。いわゆる「天才的パイロット」だったわけだが、彼自身はそんなことに無頓着だったらしい。後に彼はこう語っている。

「俺はただ、飛ぶのが楽しかったんだ」

戦場の空を駆け抜ける　エースパイロットへの道

第二次世界大戦が勃発したとき、チャック・イェーガーはまだ18歳の少年だった。1941年、アメリカ陸軍航空軍に入隊した彼は、最初から空を飛ぶことを夢見ていたわけではなかった。実のところ、彼が入隊した理由は「安定した仕事が欲しかった」という実にシンプルなものだった。だが、その平凡な志望動機の裏で、彼の中に秘められた飛躍への種は着実に芽を出し始めていた。

最初のうちは整備士として地上勤務をこなしていた彼だが、偶然のきっかけで飛行訓練プログラムに参加することになる。実はこの訓練に応募した時点では、彼に飛行機の操縦に対する明確な情熱があったわけではない。それどころか、「自分がパイロットに向いているなんて思ってもいなかった」と彼自身が後に語っている。だが、初めて空に上がった瞬間、その感覚は一変する。「地上にいるのとは全く違う自由がそこにあった」と彼は回想している。