演劇の本質を考えてみる
こんにちは。この度、所属するミュージカルサークルEMでオンライン公演を打つ運びとなったそらです。詳しくはこちら。
オンライン演劇とは、物理的な劇場が存在しない演劇。役者はそれぞれのビデオ電話の画面の中だけで演技をする。観客は好きな場所で好きなように観劇をできる。完全リモート。
今回の記事では、ここ数日で思案した(ツッコミどころの余地は大いに残っている極めて暫定的な)私なりの演劇論を語っていこうと思う。これはある種の個人的な哲学であり、根拠は私の主観に依るところが大きいことをあらかじめ明示しておく。しかし、実際にオンライン演劇を観て、私と同じように感じる方がいるとしたら、それはつまり私の目指す演劇とあなたの目指す演劇は近い、ということなのかもしれない。機会があればいつか共に舞台を作ろう。
オンライン演劇を見る前
私はかなり映像に抵抗があった。と言いつつなぜ抵抗があるのか深く考えたことはなかった。よってまず最初に、従来の演劇と映像の関係性について、二つの観点からその違いを考察してみた。
**演劇とテレビドラマの違い**
・編集があるか否か
→カメラカットの問題(舞台なら観客は、常に全体を俯瞰できる。映像なら観客は、製作者側が意図を持って切り取ったところのみを観る。)、ノーカットで一続きに役者が演じるのか否か
・役者と観客が対面か否か
・見立て芝居があるか否か(リアルか否か)
→同じ空間で違う場所を表現できる、兼ね役が可能である、パントマイム表現ができる...etc.
・観客に見せるのは、リアルタイムのものか、既に出来上がったものなのか
**演劇とテレビで放送される演劇**
上記のうちクリアしているものは見立て芝居があるというところのみ
私は上記の中で「対面であること」は演劇にとって必須だと考えていたため、オンライン演劇を認めることができなかった。
なぜなら対面でないと、客と役者の相互作用、圧、臨場感(これなどは息遣い一つで変わると思う)は実現できない考えていたからだ。
オンライン演劇を見て
私は一瞬にして先ほどの見解を変えることになる。
対面でなくても、客と役者の相互作用、圧、臨場感は実現できる。
従来通りの客と役者の相互作用は生まれないが、YouTubeLiveのチャット機能を用いたオンライン演劇はかなり一体感を生み、バーチャル劇場のように思えた。
そして臨場感や圧は役者のうまさに決まる(これは従来の演劇をやっていても同じである気がする)。間の取り方、話し方、勢い、役者同士で統一された基礎テンション...etc.
オンライン演劇は物理的な距離は詰められなくても精神的な距離を詰めることは可能である
と私は思う(主観)。
また、とあるオンライン演劇が配信環境のトラブルで中断を余儀なくされたことがあった。その際に少しだけ作っている側の状況を覗かせてもらったりもしたが、再開した時は少しだけ役者のテンションが落ちていた。それにより生でやっている感が逆に伝わってよかった。そのことを踏まえて
臨場感や圧は、対面であることだけでなくリアルタイムであることにも依存するのではないか
と結論づけることができた(何度でもいうけど主観)。
なんの編集も入らないリアルタイムで作り上げられていく芸術を見る(見せる)ことができる、リアルタイムだからこそ生まれる臨場感を体験できることこそが演劇なのではないだろうか。演劇を観ている時に起きるカタルシスは、自分はこの世に初めて生まれていくものを目にすることができる限られた人間なのだ、という優越感から生まれるものなのかもしれない。
という私なりの演劇論が完成された。
もちろん、オンライン演劇には編集込みのものを上演しているところもある。編集を取り入れると表現の幅は広がってエンターテイメントとして面白い。編集の表現の幅、リアルタイムである故の臨場感、どちらもいい所どりした作品を作れないだろうか...私のオンライン演劇への挑戦は始まったばかりだ。