統合失調症で閉鎖病棟に入院した時を振り返る
統合失調症を発症した後、精神病院の閉鎖病棟に入院した。期間は約2ヶ月。入院に至るまでの話は、前の記事に書いた。
入院当時の自分にはまだ病識がなかった。そして、自分がなぜ入院するのかがよくわからないまま入院生活が始まった。
入院する前の最後の通院時には、主治医に「入院してもしなくてもどっちでもいいんだよ」と言ってもらっていたが、入院して入ったのは閉鎖病棟だった(精神病院には開放病棟と閉鎖病棟がある)。
主治医は気を遣ってそう言ってくれたのかもしれないが、実際にはあまり選択の余地のない状態だったのかもしれない(任意入院を断っていたら、強制入院だったかも)。
そうして始まった約2ヶ月の入院。起こった出来事や詳細は伏せて、自分の内面の変化を中心に振り返って記録を書こうと思う。
※ 私は一応任意入院だったので、はじめから外出制限はなく、持ち物に関しても危険物以外は使用OKだった。
1、 入院して最初の不安
入院してすぐの頃は、自分がなぜ入院しているのかわからなかった。周りの人と比べて、自分はここにいる資格がないのではないかと思えてしまい、不安だった。まだ妄想が残っていたので、病院の部屋の中を監視カメラで見られているのではと思ったりもした(後々この妄想はなくなった)。精神病院や、閉鎖病棟がどういうところなのか、他の患者の人たちがどういった人なのかもわからず、緊張していた。
そもそも病院に入院した経験がなかったので、いきなり集団生活が始まったこともストレスだった。私の症状と性格から、個室じゃないと気が休まらないだろうということで、集団の部屋ではなく個室を選んで入院できたことがとてもありがたかった。
はじめは一日の流れもわからないし、知らない人たちと同じ建物の中で生活すること自体に慣れるまでが大変だった。誰かに細かく教えてもらえるわけでもなかったので、とにかく自分から看護師の方に聞くしかなかった。それでも看護師さんはいつも忙しそうで声をかけづらかった。一、二週間経ってようやく慣れてきて、大きな声で声をかけられるようになった。
他にも暗黙の了解が多く、食堂の席も座る場所が決まっているわけではないけれど、なんとなくこの席はあの人が座るというのが決まっていたりして難しかった。最初は見知らぬ人の隣で食べるのが気まずかった。だから、食事も個室に持って行って食べていたが、そのうち空いている席がわかってきて食堂でさっさと食べてしまうようになった。
2、 入院して良かったこと
入院生活は決して楽しいものではなかったが、入院してよかったことを考えてみる。主治医の先生から言われたのは、診察の日の間隔が短いので丁寧に診てもらえることと、薬の調整がしやすいということ。
実際に入院してみて感じた大きなメリットは、自分で用意しなくても栄養バランスの良い食事を出してもらえるところだった(皿も洗わなくていい)。
ジャンクフードや脂っこいものはもちろん食べられないけれど、やはり健康に良い食べ物を三食食べていると、体の調子も良くなっていく気がした。
部屋の掃除やシーツの取り替えなど身の回りに関することも、ほとんどやってもらえる。何もせずに、自分の心身を休めることに集中できるのが入院することのメリットなのだろうなと思った。
外出時間に制限があるなど制限されることが多く窮屈な毎日だったが、できることが少ない分効果的に休養できたとも言える。私は時間があれば何かしていないと落ち着かないタイプなので、もどかしく思う一方で、入院してから症状としての疲れやすさも自覚するようになった。何をしてもすぐ疲れてしまうので、焦ってもたくさんのことができるわけではないことはなんとなくわかっていた。
あとは、入院中は毎日のスケジュールが早寝早起きをすることが前提になっているので、健康的な生活リズムになった。最初はそんな早朝に起きられるわけないと思っていたが、薬の眠気もあって夜にはすぐに眠りに落ちてしまうし、早朝にはちゃんと目が覚めるのが不思議だった。
ただし自宅に外泊した時は、普通に物音が気になって夜はすぐに眠れなかったし、朝は起きられなかった…。たぶん、病院では就寝時間になると建物全体が静かになることも、早寝早起きのために良かったんだと思う。
入院して良かったことをいくつかあげてみたが、これらのおかげなのか、入院して1〜2週間経って被害妄想や監視されているような感覚が薄れたことが一番大きい変化だったと思う。統合失調症のいわゆる陽性症状が入院してからはほぼなくなり、主に音に対する過敏性が残った。音が気になるのもそれなりに大変だったが、妄想に追い込まれていた時期を思い返すと陽性症状が治って本当に良かったと思う。
3、 入院して大変だったこと
逆に入院して一番大変だったことは、やはり集団生活と人間関係だった。私は内向的な性格なので自分の部屋にこもる時間がないと辛いくらいだが、その部屋にさえ毎日他人がノックして入ってくるのだ。
個室内のトイレに入っていても関係ない。こちらから鍵をかけても、看護師の人は鍵を開けられるので鍵を開けて入ってくる。
入院している以上仕方ないとはいえ、いつノックされるかわからずなかなかリラックスできない毎日だった。完全にリラックスできるのはほぼ就寝前の時間だけ。そうはいっても、就寝前でもたまに用事があってノックされることもあった。
そして、部屋を出て廊下を歩き話したことのある他の患者さんにすれ違うと挨拶をする。挨拶をするのは人として当たり前だと思うが、朝目が覚めた瞬間から夜寝るまで、廊下ですれ違うたびに手を振ったり挨拶をするのがだんだん億劫に感じるようになった。自宅だったら人と会わなくて済むが、ずっと外にいる感じがして地味に疲れた。
私は入院してもなるべく人と話さずに休みたいと思っていたが、患者さんの中には他の人と友達のように仲良くして喋ることが当たり前という感じの人たちも多かった。
毎日強制的に人と接することになる状況に気疲れしてしまい、最終的にはなるべく自分からは話しかけず、食事の時以外個室に引きこもるようになった。
これに近い問題で、入浴の方式が銭湯のような感じになっていて、毎日他の人と一緒に入らなくてはいけなかったのも地味に辛かった。だんだん慣れたが、なるべく人の少ない時間帯に入るようにしていた。入浴自体は、温かいお湯を浴びることができてリフレッシュできる時間でもあった。
しかし退院した今になると、もし入院中に本当に誰とも話していなかったら、コミュニケーション不足でそれこそリハビリがもっと必要になっただろうなと思うようになった。だから、話しかけてもらえたのはありがたいことだったなと思い返している。入院中の会話の中で、心が軽くなる言葉をかけてもらったこともあった。人との距離感には悩んだけれど、一ヶ月も経つと顔見知りの人が何人か退院していってしまって少し寂しくなった。
他に大変だったのは、外出できる時間が決まっていることや、刺繍針や爪切りでさえも危険物として預かり制だったこと。声をかけて借りなければ使えないし、不便だった。
また、外から荷物を持ち込む時に危険物がないかどうか、荷物を入念に確認されるのもあまりいい気分ではなかった。他の患者の人と取り違えないよう、細々したものまで名前シールを貼って管理するのは手間がかかった。
それでも、私は任意入院だったので制限が少ない方だったし、保護室には入らず最初から普通の個室に入れたのだから、恵まれている方だと思う。
最後に、他にも色んな症状の人がいたこと。私よりも症状が重そうな人はたくさんいた。その人の症状を詳しく知るわけではないし、その人自身も大変な思いをしているのだろうなと察するものがあったが、どこかから怒っている声や大声が聞こえてくると、不安な気持ちになった。それでも、その人も症状に苦しんでいることがわかるので、複雑な気持ちになった。イヤホンをして音楽を聴いたりしながら、なるべく楽しめることをして暇つぶしをする毎日だった。
振り返ると大変なことの方が多かったように感じるが、そうした日々の中で一つ良かったことと言えるのは、ある程度の “図太さ” を身につけたことだと思う。
元々悪く言えば神経質な性格で、他人の様子や細かいことまで考えて気にしてしまう方だった。だから入院した当初は、音や声を含めて色々なことが気になってしまって辛かった。
そのうちいちいち気にしていても仕方がないと思えるようになった。どうせ一〜二ヶ月病院から出られないのだから、気にしない方が楽に決まっていると思うようになった。廊下で怒っている人がいても、そういう人がいるというだけで自分には関係ないな、とだんだん素通りできるようになった(それは果たして良いことなのか)。
まあ、いちいち共感したり心配する癖は疲れるだけなので、適度に図太さを身につけられたのは良かったなと思う。
5、 日々の過ごし方
最初は本を読むくらいの集中力もなく、眠気も強かったので、とりあえず1日の流れに沿って日々を過ごしていた。
入院する直前は、1日中ベッドで同じ姿勢のまま一点を見つめていた極限状態を経た後、一応日中少しは活動できる程度には回復していた。しかし、すぐに頭が疲れてしまって寝てしまうような生活だった。
入院してからも眠気は強く、食事の時以外はほとんど机で居眠りをしていた(ベッドに寝ていると、看護師さんが入ってきた時気まずいし、夜眠れなくなりそうだなと思って日中は机で寝ていた)。
だんだん回復してきて、作業療法に参加する許可が下りた。入院して数週間の間は、体力が落ちていて(身体面・思考面両方の体力)、作業療法をするだけでもそれなりに疲れていた。発症前の体力が100%とすると、この頃は30〜40%程度には落ちていたと思う。でも作業を続けるうちに、だんだん体力が戻ってきた。元々絵を描いたりするなどの創作活動は好きだったので、塗り絵などができるのは楽しかった。特に、小物などの物作りの作業ができる日が一番楽しかった。
そのうち、だんだん日中も起きて活動できるようになってきて、ちょっと難しめの塗り絵と水彩色鉛筆を買って自分の部屋で塗るようになった。最初は音楽を聴くことでさえ自分が聴いていていいのかと不安に思っていて聴けなかったが、この頃になると音楽を聴きながら作業するようになった。その頃から漫画を読むことから始めて、その後小説を読めるほどに回復した。
日中の時間が暇すぎて、イメージデッサンの本(モルフォ人体デッサン)を毎日模写する習慣を始めた。
あとは、入院中に一つだけクロスステッチの作品を仕上げた。刺繍は初めてだったが、集中力を鍛えるのにちょうど良かった。でも、一つ仕上げた後には絵や物作りの方に興味が移っていたので、刺繍はそれで一区切りということにした。
その頃には、週末は一日だけ家族と出かけて、平日はたまに一人で近所のカフェまで歩いて行ったりするようになっていた。回復してからは毎日暇を持て余すようになり、退院の日を待ち望むようになった。
6、 退院してから思うこと
上で人間関係に関する愚痴を書き綴ったばかりだが、振り返ると、他の患者さんと話すのをそこまで避けなくてもよかったんじゃないかと思うようになった。理由は人と話す機会が極端に減ったことで、声が思うような大きさで出なくなり、滑舌も悪くなったように感じるから。もう一度入院したとしても、たぶん同じように部屋に引きこもるとは思うけれど、人と話すことをそこまで恐れなくてもよかったのかなとは思う。
また、入院中は時間の制限もあったので、外出の許可が降りていても面倒であまり外に出かけなかった。病院内にいても、座って机に向かうだけだったので体力が相当落ちた。毎週何曜日は出かけると決めて、もっと外に出て歩いた方が良かったのかもしれない。外出の制約がある中でもそこそこ外に出ていたほうだとは思うが…。
これから体力を取り戻すために、運動する時間を増やしていきたい。
今まで生きてきた中で、まさか精神病院に入院することになるとは思っても見なかった。しかも閉鎖病棟。入院する前は一体どんな所なんだ…と不安でいっぱいだったが、今振り返って一言で言うならば 「のんびりゆっくり過ごすための場所」 といえるだろうか。患者によって症状も様々だし常に静かだとは言い難いが、一応皆の目的はこれだと思う。それでも慣れるまでは本当に大変だったから、もう一度入院したいとは思えないが……。入院費用も高いし…。
また急性期になって入院することのないように、規則正しい生活リズムを守って健康的な日々を過ごしていきたい。