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やっぱりヤンキーには逆らえない


    ヤンキーには逆らえないのだ。

  僕は、子供の頃は やられたらやり返すことをモットーとしていた。

  聖書の中で「右の頬を打たれたら 左の頬を差し出しなさい」とイエスが言うシーンがある。

  この教えとは真逆のポリシーである。

  おとなしいためいじめの標的になりやすかったので、泣き寝入りしたらなめられるということを徐々に学んでいった。

  理不尽なことをされたら、全力でケンカせねばならない。

  今から思えば爪でひっかいて流血させたり、軽くからかわれるとビンタしたり、ちょっと過剰防衛気味? というところもあったと思うけど。

  右のほほを打たれる前に 相手の両頬をグーでぶん殴れ的なところがあった。「目には目を」ですらない。半沢直樹的と言ってもよい。まあ、実際にグーで殴ったりしたことはないけど。

  大人でこんなことをしたら敬遠される。ていうか捕まる。

  でも、小学生ということもあり 全力でケンカした相手とは その後いじめられなくなっただけではなく、ちょっと仲良くなったということもあった。

  しかし、11、2歳にもなり別の学校に転校したあとは 取っ組み合うようなケンカは一切やらなくなった。

  それはちょっと大人になってきたというのもあるし、クラスで一目置かれる要素が カッコよさとか 面白さとか サッカーのうまさとか そういう洗練されたものになっていったということもある。

 そして攻撃も叩いてくる とか いうわかりやすいものではなく ちくっとすることを言ったり、陰口を言い合ったり、なんとなく仲間はずれにするという陰性のものに変わっていた。  

 もはや全力でケンカしたら わかりあえて 「お前もなかなかやるな」みたいな そういうシンプルな世界ではなくなっていた。

 そういうちょっと大人びてきた世界の中で 僕は

 ちょっと暗めの読書好き 優しいけどちょっと変な子 というキャラクターの中にはめ込まれていった。

 大人びた世界ではあっても 誰かへのアタック自体は 行われており 見えない石つぶてが時々教室を飛び交っているのがわかる。

 時には それが自分に飛んできているのもわかったけど、あからさまに嫌がらせをされてるわけではないので、どんな風にやりかえせばいいのか、仲良くなればいいのかという もやもやが どんどんたまっていった。

 見えない悪意はたちが悪い。

「僕のことが嫌いなら、陰でこそこそ言わずに殴って来いよ」 そう何度も思った。

 ちょうどそのころ父親に家で暴力を振るわれたりしたこともあり、僕はどんどん人が信じられなくなっていった。

 なんか、みんな嫌だな 自分も嫌だな・・・と時々思うようになってきたのだった。

 

 そんなモヤモヤした想いを抱いたまま、小学校を卒業し 中学生になった。

 僕の入学した中学。

 最初はわからなかったが、そこはとんでもない場所だった。

 廊下の窓ガラスの多くが割れていて、修理しようとする様子もない。

 防火扉には女性器の俗称がデカデカとマーカーで殴り書きにされている。が、拭き消そうとする様子もない。

 

 男子トイレは個室と個室の間の扉が破壊されていて、便器がむき出しの状態でただ並んでいる。

 

 そういう破壊されたトイレ、校舎の裏などいたるところで常に 強面の連中がタバコを吸っている。

 が、教師がそれを撲滅しようとする様子もない。

 そう、僕が入学したのは・・・

 京都府下で1,2を争う、おそらくは全国的に見てもトップクラスに荒廃したヤンキー公立中学だったのだ!

 リーゼントの、ブリーチの、茶髪の、龍の刺繍の入った学ランを着た、今では見かけない様々な種類のヤンキーが生息していた。

 まさにそこは古都京都のガラパゴス、ヤンキー特別保護区のような ありさまだった。

 彼らは一般の生徒を特にこれといった理由もなく、なぐったり蹴ったりしていた。

 僕もすれ違いざまいきなりボディブローを入れられたりした。

 抵抗はしなかった。というか、出来なかった。

 彼らはいつも徒党を組んでいる。少しでもやり返せば 全員からボコられるのは目に見えている。

 しかもその攻撃の仕方が、ストーブで焼いた10円玉を背中に入れる・・・などとにかく常軌を逸してた。

 そんな連中に関わり合いになりたくない。

 「爪」とかでかなう相手ではない。タイマン(1対1でケンカする)をはるにしても ためらいなくグーで顔面を殴ってくるような連中だ。

 公立中学なのに教師たちですら放置している気配が濃厚だった。

 なんで? マジにヤンキー保護区なの?

 小学校の時にクラスのリーダー的存在だったみなみ君も、目立つからか ボコられたという噂が伝わってきた。

 ミナミ君はチェロも弾けて、面白くて、スポーツもできたというのに、、、、

 ヤンキーには逆らえないのだ、と僕は思った。

やっぱりヤンキーには逆らえない 

小学校の時、割と仲良くしていた まこと君(通称マコッチ)という友達がいた。

  マコッチの家は母子家庭で、そのせいかどうかは知らないけど ちょっと寂しそうなところもあった。

  でも背が高くて 優しいゴジラのような顔をした 茶目っ気のある子だった。

  そんな彼と 僕は気が合った。

  お互いの家を時々行き来して遊んでいた。

  それはあの恐ろしいヤンキーガラパゴス中学(仮)に入学する前のことだった。  

  僕とマコッチは一緒に学校から帰っていた。

  突然マコッチが言った。

  「クーちゃんは、俺が中学に入ってヤンキーになったら 友達でいてくれる?」

  僕は 「え~~ 絶対嫌や"(-""-)"」と返事した。

  嫌や・・・というよりも何かの冗談だと思った。

  背は高いけど優しい顔をしているマコッチは ヤンキーというイメージとそぐわない。

  冗談だと思ってるから 僕もそっけない返事をした。

  マコッチも僕の返答に特に何も言わなかった。

  

  ところがどうもそれは冗談ではなかった。

  彼とは中学では別のクラスになったが、どうもヤンキーとつるんでいるというような噂が僕の耳にも入ってきた。

  いったいヤンキーたちは どのような過程でヤンキーとなっていたのだろうか。

  彼らの大半は 中学入学時からヤンキーだ。途中デビューの話しは僕は聴いたことがない。

  ということはだ、彼らは 入学する前に 「もう中学は3年間ヤンキーでいく」と決めていたことになる。

  そして同じ志を持つヤンキー仲間と示し合わせ、新入生デビューするのか。

  あるいはすでに中学生のヤンキーから、小学生のヤンキー予備軍にお誘いがかかる、というような上下のつながりもあるのかもしれない。

  もしかすると地域の闇社会との関りもあるのだろうか。

  ヤンキーだったことがない僕には想像するしかない。

  しかし、どうもマコッチは 僕に変な質問をした時には すでに誰かから誘いがかかっていたのかもしれない。

  今となってはそう思う。

  まさか本当に彼がイグアナに・・・じゃなくて、ヤンキーになるとは思ってなかった僕はショックだったと思う。

  というか 意味が分からなかった。

  なんで小学校の時全然 普通だったのに 中学からはヤンキーになんなきゃいけないんだよ・・・。と。

  だいたい、ガラじゃないだろ。

  

  ある日、思わぬところでマコッチと再会することになった。

  中学からの帰り道。雨が降っていた。

  人気のない道を歩いていた時、遠くの方にヤンキーの集団がいるのが見えた。

  彼らは誰かを囲んでいた。囲まれているのはマコッチだった。

  ヤンキーたちは何か言いながら 去っていった。

  恐る恐る近寄ると 雨にずぶぬれで ケガをしている様子のマコッチが座り込んでいた。 

  どんな言葉をかけ 何を話したか覚えていないが ボロボロのマコッチを連れて家に帰った。

  

  とりあえず僕の部屋で、タオルや Tシャツを貸してやり 着替えてもうらうことにした。ケガはそれほどひどくはなさそうだ。

  どうしてこうなったのか、彼は詳しいことは語らなかった。

  でも、僕には彼が 似合わないことをしてるように思えて仕方なかった。

  無理してヤンキーなんかになろうとするから こんなことになるんだよ・・・向いてないんだよ。

  マコッチが僕のCDコレクションを見たがったので、見せると 彼は中島みゆきのCDに注目した。

  中一の僕が中島みゆきのファンだったわけではない。

  ユーミンのCDが欲しいと祖父にねだると、どこをどう間違えたのか 中島みゆきのCDをプレゼントされたのだった。

  僕は 誰やねんこれ!!(知らなかったのでねw) とがっかりして ほとんど聴くこともなく 棚にたてかけていた。

  

マコッチは 「・・・『時代』、聴かない?」と 僕に言った。

  時代??って

  見ると CDの一曲目が『時代』という曲だった。

  言われたとおりに再生ボタンを押す。 

  短いイントロのあと 『今はこぉ~~んな~~に かなぁ~~しくてぇ~~~』とあの歌声が突き上げてきた。

  『そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ

  あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

  だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう・・・

  まわるまわるよ時代はまわる 』

  

  その瞬間

  ぞわぞわぞわーーっという

  何か鳥肌のような 悪寒のようなものを感じた。

  ヤンキーに雨の中ボコられて、友達の部屋で タオルを借りて 悲しそうに着替えてる マコッチ・・・・

  いやいやいや

  この歌とこの情景 フィットしすぎだろ。

  フィットしすぎて 逆に気持ち悪いだろ。 

  このドはまりしすぎる曲を自分でBGMに選曲するマコッチの感性って

  ・・・普通 ちょっと恥ずかしくないか・・

  なんなん? 可哀そうな自分を演出してるのか マコッチよ

  そういう複雑な思いもあったが 選曲が的確過ぎて 彼への同情もまた強くなっていった。

  マコッチは小学生の頃から小田和正の曲とか聴いていて、僕にも編集したテープを貸してくれたことがあった。

  僕も透明な歌声が気に入って よく聞いていた。  

  音楽に詳しかったんだろうと思う。  

  もしあの時 マコッチが 「時代」なんて選曲をしなければ あの日のことも そんなに鮮明に僕の中に残りはしなかっただろう。

  そして今でも『時代』を聴くと 悲しそうに体をふいたり着替えている マコッチを想いだしかねないのも ちょっと悔しいところだ。

  勝手に自分主演のPV作って 僕の心に刷り込んだ感じだからね。

  

  結局彼は中学の3年間ヤンキーを通した。

  中三の時に同じクラスになったけど、お互い住む世界が離れすぎたのか 一緒に遊ぶことも 話すこともあまりなかった。

  ちょっと寂しかった。もう彼と僕は違う世界に住んでいるんだなと思った。

  子供の時は みんな個性があるけど、お互い近い世界に住んでいる。

  お医者さんの子供も サラリーマンの子供も お金のある子も ない子も ひとつの<場>を作れる

  でも大きくなるにつれて みんなそれぞれの世界に生きるようになり、同じところではなく 互いの違いを見つけることが得意になる。

  みんなと違う自分になる というのは成長のために必要なことなのだろう。

  わざわざヤンキーになるという選択をして 僕の住む世界から遠のいた マコッチ。

  中三の修学旅行の写真にも 写真の一番端っこで上目遣いの いわゆるメンチを切る ような表情で写っている。僕とはずいぶん離れて。

  でも、小学校の時のクラス写真に写った あどけない彼の笑顔が 彼の本当の表情だったと僕は思っている。

  

  それでもヤンキーには逆らえない


  中学生の僕にしてみると ヤンキーは是か非かではない。

 それは、ただそこに存在しているものだった。

 インドで牛がそこら辺をうろうろして、電車を止めたりしているけど、かの地ではそれが当たり前の光景だ。  

 それとちょっと似ている。

 あのガラの悪い集団は 入学した時から学校にいたのだ。

 逆に言うと 僕には ヤンキーのいない中学生活はどんなものかということがうまく想像できない。

 街路に牛や 物乞いの人のいないインドをうまく想像できないのと同じだ。

 彼らが最初からずっとそこにいる以上 

 嫌だけど、・・・・まあ、こういうもんだべ!  てな感じだった。

 

 トイレは煙でもくもくしてるものだし、気を抜いて歩いてると すれ違いざま蹴られたりする。

 運悪くつかまると 餃子の王将にぱしらされたりする。

 そういうものなのだ。きっと世界が始まった時から・・・

 

 だからヤンキーなんていなくなればいいのに、、、という発想にはならなかった。

 環境というのは恐ろしいもんだな、と思う。

 慣れるとそれが当たり前になってしまう。 

 彼らが暴力的なことをするのは、人一倍目立ってしまっていたりする生徒に対してだったので、直接的な危険は僕にはなかった。

 それに、彼らは弱いものを陰湿にいじめたり、自殺するほど追い詰めたりすることはなかったようなので、ある意味わかりやすい存在ではあった。

 何しろ 髪がまっきっきだったり ダボダボのズボンをはいてたりして 見た目で危険だとすぐわかる。

 全身で 俺たち かなり やべーぞ! とアピールしてくれている。

 彼らは気に入らなかったら リンチするだけ(しちゃだめだけど)なので 陰でこそこそ悪口を言ったり 無視したり ということはする必要がない。

 まっきっきの集団が廊下の向こうから歩いてきたら 回れ右をすればいい話だ。

 しかし そうはいかない場合もある。 

 ヤンキー集団の中には

 幼稚園の時に 僕をいじめていた ケンタがいた。

 ムラサキ組とミズイロ組の2年間にわたり 意地悪をされていた僕は 卒園式の日に 思いっきり彼の足を踏んでやった。

 二年間いじめられてようやく仕返しができたのは、明日からもう会わないからだ。

 いわゆるイタチのなんとかというやつだが、その時初めて僕は やな奴に「逆らう」ことができた。

 それから11年の時を経て僕らは 再び このガラパゴス中学で相まみえることとなった。 

 

 彼は僕を見るなり 大声で 叫んだ。

 「お前 幼稚園の時 〇◎●(自主規制) 漏らしたやろーーーっ」

 「漏らしてへんわーーーーーーっ」 と僕は反射的に言い返した。

 ったく・・・・なんだこの低レベルの応酬は。

 確かにシャイすぎてトイレに行きたいとも言えず、教室で粗相したのはホントだ。

 でもなぜ11年も前のことで このような辱めを受けねばならぬのか。十分にトラウマになっているというのに。

 しかし ケンタ 

 意地悪そうなのは幼稚園の時からまったく変わってないじゃないか。

 むしろパワーアップしてるぞ。

 やっかいなやつと再会しちゃったな。。。。

 ケンタは時々 僕にちょっかいを出してくるようになった。

 ケンタがまったく理由もなく 僕の股間を蹴り上げてくる。

 そして逃げていく。

 僕は追いかける。「ひゃーひゃっ ひゃっ」と笑いながらケンタは逃げていく。

 逃げていくから 僕は追いかける・・・・どこまでも

 

 ケンタには追い付けず

 だいたい 僕が はあはあと乱れる呼吸と 大事な場所がズキズキしたまま休み時間が終わる。

 こういうことを時々繰り返していた。

 何も面白くない。

 しかしこの不毛なチェイスによって 僕が ヤンキーの集団から狙われることはなかった。

 多分ケンタが 個人的な意地悪心からやっていただけで、ヤンキーの集団は 特に興味がなかったのだろう。

 僕も 一応ヤンキーぽい身なりのケンタを追いかけたりできたのは 彼はただのヤンキーではなく、幼稚園の時から知ってる「宿敵」という認識があったのかもしれない。

 つまり、11年たっても 舞台を変えて 二人とも 園児と同じようなことをしてたという話しだ。

 こういうのをカルマと言うのだろうか。。。

 

 しかし ヤンキーの中には 嫌いじゃないヤンキーもいた。

 

 最初はすべて恐ろしく ヤンキーという集団はオールブラックにも見えた。

 でも彼らがそこにいるのが当たり前になってくると、その黒の中にも 微妙なグラデーションが見えてくる。

 左近クン というヤンキーはなぜか 「クーには そんなことするなよ」 と 他のヤンキーから 僕をかばってくれたことがあった。もちろん、蹴ったり 殴ったりされたこともない。

 なぜかばってくれるのかわからなかったが、そういうことがあると 好感度は急上昇し、左近クンは 黒の中の白に見えてくるものだ。

 

 他に 龍村というヤンキーが同じクラスにいた。

 僕は目が悪くよく目を細めていたからか、「お前目つきわるいんじゃあっ!」 と龍村に恫喝されたことがあった。

 龍村は背が低く、髪をつんつんに立てていて、多分普通にしてたら可愛い感じの、星の王子様がグレたような風情をしていた。

 明らかに何か家庭に事情がありそうな気配を漂わせていた。

 

 恫喝されたけど、僕はあまり龍村を嫌いにはなれなかった。

 

 ある時、他のヤンキーが 2,3人 教室になだれ込んできて 何かわめきながら席についている龍村を連れて行こうとした。

 龍村の何かが彼らの気に障って リンチしようとしてたのかもしれない。

 龍村は 逃げるでも 弁解するでもなく ポケットを両手に突っ込んだ ふてぶてしい態勢のまま前方を睨んでいた。

 そして特に抵抗するでも弁解するでもなく 引き立てられていった。

 何があったのかはよくわからない。

 その様子が 僕にはなにかとても男らしいものに見えた。 

 左近クンや龍村は ヤンキーという「黒」に属してはいるが 黒の中の黒ではない。何か白いところを持っている黒だ。

 中学生の僕はそんな風に認識していたかもしれない。

 そんな風に僕の中学の3年間は すぐ近くにヤンキーがいるのが当たり前の日々だった。

 中三のころ授業中に、社会科の教師とヤンキーが教室の床の上で 上になり下になりの乱闘を始めたこともあった。

 ヤンキーが黒板に板書してる先生にうしろからものを投げたのが原因だった。

 

 授業そっちのけでの取っ組み合いに

 おいおい、とは思ったけど さすがに3年間荒れた学校を見てきたあとでは それほど驚きもしなかった。

 あんなひどい中学に通っていた人はそうそういないと思う。

 でも ヤンキーもタバコの煙もない中学生活を送っていたら、きっとよかったんだろうけど、、、ちょっと物足りない気もする。

 あのどろどろした世界の記憶が ホメオパシーのように 僕の心の免疫を多少は強化してくれた気もするからである。

 しかし 僕が 週刊ジャンプの「ろくでなしブルース」やマガジンの「カメレオン」が あまり好きでなかったのは きっとヤンキーガラパゴス中学に通っていたせいだろう。

 ヤンキーにはリアルで 十分おなかいっぱいになったので 漫画であらためて読みたいとはとても思えなかった。

 

 ヤンキーガラパゴス中学は 現在では ごく普通にクリーンな 公立中学校になっているという。

 イグアナたちが気炎を上げて闊歩していた形跡は もうどこにも見当たらないだろう。


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