大企業に入っても幸せじゃなかった
数年間会社員をやってみての感想だ。
新卒で大企業に入社して、3年が経った。
嫌なこと、死ぬほどつまらないこと、そして時々楽しいと思えることを経験したが、
なんというか、思っていたほど自分が幸せではないことに気づいた。
思い返せば、学生の頃は特に行きたい業界や職種が何一つなく、なんとなく「安定してそうだから」という理由で今の会社を受けた。
どうせ無理だと思っていたが、運良く入社することができ、当時はそれなりに嬉しかったし、定年までこの会社で働こうと思った。
しかしながら、入社式の日、なぜか
「あれ、私はここでおばあさんになるまでずっと働くのか…?」と思ってしまった。
予め断っておくが、このnoteを通じて誰かの人生や生き方を否定するつもりは全くない。
やはり大企業は福利厚生やその他諸々の制度が充実しているし、ちょっとやそっとじゃ潰れない(ことが多い)。
だから、生きていくために今の会社で頑張って働き続けることは、私にしてみれば本当に尊敬すべきことだし、大変さをわかっているからこそ、他人がそれをやる分には応援したくなる。
ただ、自分がそれをやり続けたいかと考えた時に、また別問題であることに気づいた。
私はド文系で、数字が苦手だ。
数字の羅列を見るだけで目がチカチカして意識が遠のく。
もちろん、社会人として働くうえで数字は避けて通れないものであり、完全に触れないのは無理だ。
私が最初に配属されたのは、ひたすら給与計算やその他諸々のお金を扱う部署だった。
数字数字数字、数字の連続。
一円でも打ち間違えると、社員にダイレクトに影響を与えてしまう。
何よりも、「出来て当たり前」の部署。
間違えるとクレームがくるが、ミスなくやったところで褒められもしない。
向いている人には向いている仕事だと思う。
(実際に、自分はこの仕事が向いていると言う人もいた。)
ただ、とにかく私には苦痛だった。
毎日嫌な緊張感ばかり感じ、苦手な数字と睨めっこし、たまに発狂しそうになりながら、ミスなく仕事をすることに必死だった。
うちの会社は超昭和的かつケチなことで有名で、数十年前の社内システムを平気で使っている。
そのため、信じられないほどのアナログ作業が多いのもまたしんどかった。
手汗は常にダラダラで、電話、PC、書類にに水滴がつくレベルで、自分が嫌になった。深い呼吸がまともにできず、ずっと息が詰まっていた。
できるだけ業務改善に取り組むようにし、実際に少しは仕事が効率化されたものの、そんなんじゃ足りなかった。
ずっとこんな調子だったものの、私はそういったマイナスの感情を隠すことだけは上手い。
周りからは「そつなく仕事をこなせるやつ」と思われてしまっていた。
「この仕事向いてるよね」と何度も言われた。
全然平気じゃないのに平気なふりをして仕事をし続けていた。
最初は自分が慣れていないだけだと思ったが、いつまで経ってもこの調子だったので、半年に一回ほどある(形だけの)上司との面談の際に、
「私は数字への苦手意識があるので、次は〇〇の部署に異動したいです。」
「今の部署以外だと、勤怠管理のポジションとかになるとまた数字ばかりなので、そのポジション以外ならどこでも大丈夫です」
などと言っていた。
そして数年経ち、念願の異動をすることになった。
なんと、次の仕事は「勤怠管理」だった。
「いや、一応大企業だし、死ぬほど社員いるし、何でピンポイントでその1枠なんだよ」と思い、絶望を通り越して笑いそうになった。
数万人いる社員の勤怠管理を一人でさばく。
考えただけで死にたくなるのでそこだけはやめてほしかった。
会社員は、たとえ不満があろうとも会社からの命令は絶対。
この異動についても、もちろん拒否権はないし、残念ながら適性があると判断されてしまったのだろう。
そこで、ふと入社式の日に感じた
「あれ、私ここでおばあさんになるまでずっと働くのか…?」
という気持ちが再び湧き上がってきた。
同時に、「これ、頑張る意味あるのか?」と思った。
私はこれまでの人生で、「一度決めたら最後までやり抜く」をモットーに、意地でも投げ出さずに取り組んできたのだが、
人生で初めて、「もう頑張れないかも」と思った。
そして、このまま頑張って今の仕事を数年間やり抜いた先には、「給与と勤怠管理に詳しいおばさん」として、どこか地方の事業所にでも配属された自分の姿が目に浮かんだ。
何度もいうが、こういう生き方をすることを否定するつもりはない。ただ、自分がなるのは嫌だった。
まだ20代だが、このままいくと確実にそのキャリアの流れになることは容易に想像できた。
「仕事が辛いのはあたりまえ」という意識が日本では根強いが、1ミリぐらいやりがいを感じられる仕事はないのだろうか。
今こうしている間にも、この世で過ごせる残りの時間は1秒ずつ減っているのに、歯を食いしばって苦手な仕事に耐えるだけの人生は、幸せと呼べるのだろうか。
高望みするなと人生の先輩方に叱られそうだが、一度くらい、高望みしてみたいと思った。
どうせ苦労するなら、本当に自分の望む生き方を模索して苦労したい。
ちなみに、私が所属する人事部門では、他部門への異動がほぼない。希望しても通らない。
ならば転職するしかないという結論に至った。
超昭和的かつ年功序列な会社に嫌気がさし、前々から転職は視野に入れていたが、この異動が最後と一押しとなった。
綺麗事なのは分かっているが、もう少し、世の中に価値を提供できる仕事を探していきたいと思う。
例え仕事中に寝ていても、年上というだけで自分より遥かに多く給料をもらっている社員もいた。
残念ながらやりがいは感じられなかった。
結局のところ、私は大企業に就職しても幸せではなかった。
「いやいや、世の中には給料もろくに貰えない人もいるんだぞ云々かんぬん…」と言いたくなる方もいるかもしれないが、それを言い出したらきりがない。
そう思う人はそうすればいい。私はそう思わないから、そうしないことにした。(とても生意気である。)
守りに入る言葉はもう聞き飽きた。
まだ20代なのだから、周りの大人の期待に応え、優等生でいることに命を懸ける人生はもうやめる。
これだけ長々と書いておきながらまともなオチもなくて申し訳ないが、
私はこれから、レールに乗っていない、初めての意思決定をしようとしている。
自分の人生は自己責任。
ほんの軽い気持ちで、私の行く末を見守っていただけると嬉しい。
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