211030
自分の人生の価値は自分で決めたい。
しかし人と比べた自分の意見を言うことだって時にはある。
そうでないと自分の言いたいことが上手く伝えられないのであればそれは致し方ないことだ。
比較しないと説明出来ない物事は沢山ある。
これは自分が思っているより沢山あった。
自分で自分の価値を決めるって
いったいどういうことなんだろう?
少なからずそこには"ロジック"が不可欠だし
"差別化"の意識もどうしたって完全には切り離せないはず。
たしかに"差別化"というのはしょせん処世術で
"相対的"な価値観から生まれるもの。
でも自分の"絶対的"な価値を高める手段としても
機能することだって十分にあるはずだ。
昨日は親戚同士で白熱した。
お互いの価値観を認めつつもそれでもなお
お互いに価値観をぶつけ合った。
自分の絶対的な価値観を誤解なく相手に説明するためいくつか"相対的"な価値観に沿って意見をぶつけてみた。
でもそれによって
自分の価値観が相対的な価値観から生まれたものだと誤解された瞬間もあった。
誤解されてしまうのも無理はないと思う。
でもそれを放っておけば今この自分かその意見を言う意味がほとんど無くなってしまう気もする。
「自分の価値を決めるのはあくまでも他人」
昨日そう言われた時には悔しかった。
いや悔しいと言うか、なんて言うんだろうなあ。
社会に出ればそれはもちろんその通りだと思う。
でもだからこそ今僕は毎日少しずつ自分の内面を磨いているのであって。
今の自分の行いや習慣はたしかに地味だと思う。
でもかといって今後もそういった行動を続けるだけのつもりなんぞ端から毛頭無い。
それを改めて言われてもいったいどう受け取ればいいのか。
相手の言いたいことと自分の言いたいことが
違っていたわけじゃない。
でも大人たちの具体的な行動に対する助言に昨日の僕は撃沈した。
もちろんその中には具体的な学びが山ほどあった。
でも今案の定、昨日のことを引きずっている。
あれだけ時間があったのに自分の言いたいことの本質部分が上手く伝わらなかったその悔しさがあるからだ。
でもその"引きずり方"すら
もっと時間をかけて自分のものにしていきたいと思った。
先人から学べる部分は確実に己に蓄えていきながら。