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マインドフルネスと猫のいる生活 17

16で、わたしの身にも何か起きるような書き方しましたけど、まあ起きましたね。でもそれを細かく書く勇気はまだないことに、気づきました。(-_-;)

一つだけ言えるのは「死を覚悟した」ということですかね。

とはいえ、今から思えば、自分の人生の中で一番おだやかな時期でした。だって、じたばたしたってしょうがないし、細かいことは考えず、一日一日を大切に生きてました。不思議なことに、不安はなかったです。瞑想こそしていなかったものの、今から思えば、正にマインドフルな生活を無意識に行っていたからなのでしょう。

で、全快しました。理由は分かりません。お医者さんたちも、驚いていました。

そしたら、また俗な悩みが戻ってきたのです。( ゚Д゚) 本が売れない。先行きが不安。記憶力が落ちて来た。人の名前が出てこない。腰痛が治らない。両親がボケて来たのでは?……等々。いわゆる、熟年うつってやつです。年取って、知力も体力も落ちて、同世代の人間がばたばた死に始めますから、これはほとんどの中高年が、多かれ少なかれ、罹患しているような病気です。

死ぬかもしれなかった時は、寝起きに問題はなかったのですが、死が現実から遠ざかっていくと、朝方、得も言われぬ不安に苛まれることが多くなりました。

うつ状態が強まるにつれ、嫌な記憶が事あるごとに蘇るようになったのです。人から馬鹿にされたとか、大勢の前で恥をかかされたとか、すでに忘れてしまったと思っていた記憶が、ひょっこり顔を出しては、わたしを苦しめるようになりました。

予断ですが、嫌な記憶はすぐに思い出すのに、楽しい記憶は頭の奥の方で眠ったままになっている、というのはいったいどういうことなのでしょう?

テストで百点取ったとか、就職決まったとか、新人賞取ったとか、楽しいことはいろいろあったはずなのに、今一リアルな感覚で蘇らないのです。皆さんはどうですか?

短気にもなりましたね。年食うと前頭前野がいかれてきて、怒りを抑えられなくなると聞きましたが、正にそれです。おまけに、怒りを引きずるようになりました。最悪ですね。

で、ある日、気づきました。

自分がエゴイストだったってことを。

これはまあ、職業柄、しょうがないのかもしれません。自分の内へ内へと入って行くのが仕事ですから。リーマン時代のような、グループワークや、各種の調整、根回しなんてものとは無縁の生活をずっと送っていました。だから、他人のことを考えている余裕などなかったのです。

家族(わたしは結婚していないので両親)や友人のことを、ほとんど気にかけず、自分のことだけで手いっぱいだったわたしには、人間としてのバランスが欠けていました。

だからネコを飼い始めたのかもしれません。見出し写真のみ―ちゃん(♀ 一歳)です。小さい頃、金魚を飼ったくらいしか、ペット経験がないわたしでしたから、かなり大きな決断でした。

ネコは可愛くて好きだけど、果たして自分に育てられるんだろうか?

いやいや、……子どもを十人産んでも、立派に育てている人だっているんだから、ネコ一匹にたじろぐなんて情けないぞ。(; ・`д・´)

ということで、みーちゃん、我が家にやってきました。実はこの子、凄い咬みつきネコだったんです。もちろん、本人(本猫)は遊んでるつもりでしょうが、手加減知らないから、咬まれたり引っ掻かれたりすれば、結構いたい。たちまち、手足が血だらけになってしまいました。

わたしはともかく、八十代の年老いた両親は、大丈夫だろうかと危惧しましたが、二人とも、血まみれになってもみーちゃんを受け入れてくれました。普段は強面の父も、ネコの前ではデレデレと眉尻を下げています。こんな父を見るのは初めてでした。

床の上でお腹を丸見えにして、無防備に眠っていたりすると、思わず抱きしめたくなりますね。わたしたち人間の家族に、全幅の信頼を寄せてくれていたのです。

だから避妊手術をするかどうか、悩みました。人間のエゴで、そんなことをしていいのか? とはいえ、みーちゃんが身ごもったら、子猫の面倒まで見られる自信はなかったのです。(-_-;)

だから、手術を決行しました。お腹に大きな縫合痕をつけて帰って来たみーちゃんを目の当たりにし、この子は絶対に幸せにすると、天に誓いました。

コロナ禍で、ペット需要が増したという報道を耳にしましたが、「天使だと思ったら悪魔だった」とか「しつけがなってないので、返品したい」とか、自分勝手な理由で、引き取りを要求する人たちがいるようです。悲しいことですね。

そんな折、父が脳梗塞で倒れました。

続きは次回。( `ー´)ノ





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