自分のことは棚に上げてしまうのが人間
人間はみんな、自分のことを棚に置きがちだ。
現代に奴隷制度はないが、低賃金労働者たちが作った食材や衣服、工業製品の恩恵を受けている先進国の国民は、直接的に依頼していないだけで、過酷な労働を彼らに強いている。という話をどこかで読んだことがある。
これを読んだとき、「たしかにそうかもしれないな。ひどい話だな」と思ったが、どこか他人事というか、自分が彼らに過酷な環境での労働を強いているという感覚はあまりなかった。
でもきっと、俺のような人がこの構造の一番の加害者で、そのような人が何人もいるから問題は解決されないのだろうと思う。
思うだけで、また普通にユニクロでシャツを買い、Amazonでいつ使うかわからない格安小型家電を購入してしまう。これが低賃金労働を促してしまっているのかどうかもよくわかっていない。
見て見ぬフリをしている訳ではなくて、本当に自分が加害者だという意識が皆無だという人が、ほとんどだろう。
典型的なパワハラをしている上司も、どこにでもあるような不倫をしている中年女性も、自分は他とは違うと思っているはずだ。パワハラではなく意味ある指導で、不倫ではなく純愛だと主張するかもしれない。
自分を客観視するのはとても難しい。
恵まれない子供達や戦争に苦しむ人たちの映像を見て、「かわいそうに」と無責任につぶやくが、自分がそれの遠因になっている可能性に目を向けることはなかなかできない。
世界が平和になってほしいとは言うものの、今の生活を手放すことはできないし、子供に苦労させることは考えたくもない。この場合、「平和になればいいのに」は、マリー・アントワネットの「ケーキを食べればいいじゃない」と同意だ。
平和の中にいると、平和を本気で願うことは叶わないのかもしれない。
誰か、俺が読むべき本を教えてくれ。