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グッドデイズ、マイシスター。(完全版、完)37
37:Outro.
――半年後。
某駅のロータリーに車を寄せて待っていると、駅からコートを着た燻離が歩いて来た。片手に、少し大きめのバッグを持っている。
「お待たせしました。車、ありがとうございます。あと、お花も」
「お安いご用だよ。好きな所に乗ってくれ」
「では、失礼します」
そう言って燻離は鞄を後部座席に置き、そこからPCを取り出した。それから後部座席の扉を閉め、私の隣――助手席に座る。PCを膝の上に置き、起動。
音夢崎すやりが、目を覚ます。
【おー! 感惑准教授! おひさー!】
「久しぶりだな、すやり」
相変わらず元気そうだった――機械は風邪をひかないから、当然なのだが。
「噂はかねがね聴いてるよ」
【えー、聴いてるだけ?】
「いいや……全部ではないが、配信も幾つか見させてもらってる」
【やった! ありがとうね〜】
――現在の音夢崎すやりの登録者数は、あのライブ以降伸び続け、40万人に迫る勢いだった。自律AIのアイドルという物珍しさや、まるで中の人がいるような自然な立ち振舞い、そして何より歌の上手さがウけたのが原因のようだった。
しかし彼女はまだ駆け出しのアイドル。何か変なことをしでかさないとも限らない。そのために今は、燻離が全体的なマネジメントを務め、スケジュールやコメントの管理、その他すやりが何か良くないことをしないか注視している。今のところ、問題は起こしていない。
燻離がシートベルトをしたのを確認し、発進。カーナビが、ここから30分程の旅だと告げる。
「これはまだオフレコなのですが」
発進するなり、燻離が言う。
「実は、すやりがとある企業からスカウトされていまして。そこに入ろうと思っているのです」
「へえ。ちなみにどこに?」
「……まだ内緒ですよ?」
前置きしてから燻離が口にしたのは、バーチャルライバーを多く抱える最大手の会社だった。
「凄いじゃないか」
「ええ、本当に。すやりはやっぱり凄いです」
【えへへ】
顔を赤らめてはにかむすやり。
【私も折角のお話だし、1回受けてみようかなとは思ってるんだ。勿論、条件付きでね】
「条件?」
【マネージャーに、燻離を据えること。これを契約に入れなければ仕事を一切しない、って】
「受け入れてもらったのか?」
【バッチシだよ! それを受け入れて貰うだけ、私という存在は物珍しい――有り体に言っちゃえば、市場価値があるってことだよ】
それに、とすやりは続ける。
【燻離のマネジメント、めちゃくちゃ良いし! そこも評価されたんだと思う。そう考えると、やっぱ燻離は凄いよ!】
「……ありがとう」
微笑む燻離。良い関係性だ。
こんな関係性を築けたのも、そしてこういう光景が見れたのも、全て燻離が生き続ける決意をし、すやりがアイドルをしたいと決断をしたからだ。
色々あったとは言え、この結末に着地したことを、私は嬉しく思っている。
「……そういや」とふと気になったので聴いてみることにした。「すやりのことやその仕事のこと、燻離のご両親にも言ったのか?」
「ええ。……初めはやっぱり、驚かれましたけどね。戸惑ってもいた。でも、私があの時津結のデータをしっかり入れた甲斐あって、10分、20分と話す内に打ち解けて。最後には、もう1度津結と話が出来たみたいで嬉しかった、って言ってました。それから、活動頑張ってね、とも」
【燻離のご両親、とっても優しい人たちだったよ!】
「そりゃ、何よりだ」
そういう反応になったのは、喜ばしいことだ。やはり人は、笑顔にさせるに限る。
【ねーねー、感惑准教授のほうは? 今も色々研究してるんでしょ?】
「ああ。すやりのお蔭で私の技術力が評価されたみたいで、色んな研究に参画させて貰ってるよ」
【へー! どんな研究なの?】
「あ、それ、私も気になります」
「詳しい技術的な所は省いて、掻い摘んで話すと――」
車を走らせる。その間に、私たちはそれぞれの近況を共有する。属性も、進んでいる方角も全く違う三者がここに会しているのは、なんだか不思議な気分だった。
ここに克己もいてくれたら、もっと楽しかったんだろうか――いや、楽しかったに違いない。
そんなことを思いながら、私たちは一路、墓場へ向かう。
***
「ここだ」
「これは……知らなかったら辿り着けませんね」
墓場に辿り着いた私たち3人は、線香や花束などを手に、ある墓の前に来た。
その墓石には、何も彫られていない。通常なら彫られるべき『○○家之墓』のような文字さえない。当然にして戒名もなければ、墓の下には骨すら埋まっていない。
この墓場において、明らかに異質な墓石。
これこそが、留影克己――かつての私の友人だった者の墓だ。
「……名前を彫っていない理由は、もしかして」
「大体想像の通りだ」
留影克己の墓であると示した瞬間どうなるか――答えは単純明快で、『国力増強推進事務局』の連中に破壊される。留影克己が実在しているという証拠を一切残さないようにする奴らの行動原理からすれば、それがごくごく自然な最適解だろう。
もう克己のことは殺させない――殺されてほしくない。
故に私は、無銘の墓を立てた。これならアイツらも文句は言えまい。実際、この墓を立ててから数ヶ月、墓石に危害が加えられることはなかった。
【変な噂立ちそうだけどねー、誰の墓か分からないと】
「まあ、元々墓石に名前を彫らないとならない決まりはないからな。確かに他の墓石とは違うが、それだけの話だと思ってる」
【なるほどねー】
話も一通り済んだところで、私たちは墓参りを始める。金属製の花瓶の中の腐った水を捨て、中を洗い、綺麗な水を注ぎ込む。そこに花束1つ――供花を挿し込めば、墓は少し華やかになった。それから渇きを癒してやるように、乾き切った墓石に水をかける。その傍で燻離が線香に火を付けてくれていた。
煙を立ち昇らせるそれを受け取り、2人で供える。
そして、手を合わせ、黙祷。
――克己。
全て、終わった。
終わらせてくれたよ。
慈愛リツの遺志を継いだ、ここにいるバーチャルアイドルが、お前を殺した仇をとってくれた。それどころか、お前も知ってるあの馬鹿げた計画も、終わらせてくれた。
……すまなかったな、本当に。
お前ともっと、色んなことをしたかったけれど。
今はどうか、安らかに眠ってくれ。
また、来るよ。
目を開ける。ほとんど同時に燻離が目を開けた。
「ありがとうな、付き合って貰って」
「いえ。では、次は――」
「ああ、行こう」
私たちは墓参り道具一式を片付ける。そして車に戻り、またカーナビを設定する。
花束は、2つ。
もう1つある。
来た道を引き返し、次の墓場へ。
***
「……さっき、すやりと両親を会わせた話、しましたよね」
「ああ」
運転中、燻離が話し始めた。
「アレで、私も両親も決心がついたんでしょうね。ようやく、妹の部屋の片付けをしたんです……妹が死んだことに、向き合うことにしたんです」
私はこのまま黙って聴くことにした。
「遺品整理って要するに、津結の目に見える痕跡を消すってことですから。ずっとそれをしたくないって感情もあったんでしょうね。津結がいなくなっただけで、あの部屋はあの時のままでした。……でも、もういい加減前に進まなきゃって思ったんです。それも全部、すやりのお蔭」
すやりの方を一瞥する。照れ臭そうにはにかんでいた。
「そうしたら、懐かしいものがいっぱい出て来ました。両親と思い出話を咲かせながら、懐かしがったり、泣いたり。そうしながらも分別して、形見として残す以外はゴミ袋に捨てたり掃除したり売り払ったり。……そうして部屋が片付いていくと、やっぱり心は苦しくなるんです。でも、晴れやかでもあるんです。これでやっと、心の中で、一区切り付いた気がして。……津結のことを忘れるって訳じゃなくて、津結のことを覚えておきながら、津結との記憶に囚われず、前に進む決心がついた気がするんです」
【決心をつけたのは、燻離たちだよ】
すやりが微笑む。
【でも、その背中を押すことができたなら、私は嬉しいかな】
「……ありがとう」
微笑む燻離は続ける。
「このコートも、津結の形見なんです。アイドル活動について津結が初めて明かしてくれた日――ライブをすると妹が匂わせたあの日、カフェで着ていたコート」
「……ああ、あの時の」
その時が来たらさ――おねーちゃんにも、見てほしいんだ。それを見せたくて、まずはここまで頑張ってきたんだもの。
燻離の言葉では、確か津結はあの日そう言ったのだったか。
今や、その彼女の意思は、PCの中のアイドルに受け継がれている。
【可愛いコートだよね!】すやりが何気なくそう言った。【ね、感惑准教授もそう思うでしょ?】
「ああ」
「……ありがとうございます」
くしゃっとした、燻離の笑顔。
私は思う――やはりすやりは、良いアイドルになるな、と。
私は微笑み、車を走らせる。
***
2つ目の墓場でも同様に墓参りをする。『合歓垣家之墓』と彫られ戒名もついている、丁寧な造りの墓石。それに水を掛け、花と線香を供え、手を合わせ黙祷する。
少しして目を開けると、燻離はまだ目を瞑り手を合わせていた。何を話しかけているかは想像しない――そんなのは、野暮というものだ。
ただ1つ、分かることがある。
黙祷を終えた彼女の顔は、実に良い顔をしていたということだ。
***
墓場から運転すること十数分。そろそろ燻離の家に着く頃に、燻離が口を開いた。
「……感惑准教授。私、実はもう1つ活動をしてまして」
初耳だ。
「ほう。どんな?」
「ネットの誹謗中傷に苦しむ人を救う、そんな活動です」
燻離の声は、力強い。
「私の周りで起こった件――津結が受けた誹謗中傷の件は、私たちの心の整理はまだしも、世間的には終わりを迎えました。でも、誹謗中傷そのものは終わっていません。この世界の至る所で、起き続けています。その被害に苦しむ人たちを、少しでも救ってあげたい――そう思って、誹謗中傷を止めるNPOの組織に加入したんです。そこで相談に乗ったりするくらいしか、今の私にはできていないんですが、それでも、そうして1人でも多くの人が救われれば良いな、と思うんです」
【ね、感惑准教授! 燻離ってばめちゃくちゃ優しいし、凄くない!?】
「ああ」
燻離は優しい。それどころか強い。私の『優しさ』などとは全く違う、芯の通った優しさだ。
ただ、だからこそ。
「潰れないようにはして欲しい――またあの時みたいに私に突撃されても困るからな」
「ふふ。善処します」
それに、と燻離は微笑みながら答える。
「今は大丈夫です。父も母も、それに、すやりだっているんですから」
【そうだよ! もし燻離を泣かせるヤツがいたら、私が『めっ』ってするんだから!】
「そりゃ、頼もしいな」
私はそう言い、ブレーキを踏む。
燻離の家に着いた。
「……今日はありがとうございました」
【ありがとー!】
「こちらこそ。ありがとう、2人とも」
燻離は扉を開ける――前に、「あ」と私を振り向いた。
「感惑准教授」
「何だ」
「今日の夜、ご予定は」
「……何もないが」
「でしたら」
燻離は微笑む。
「今夜、すやりの配信がありますので、是非」
……本当、マネージャーが板についてきたな。
私は当然、頷く。
「ありがとうございます。よろしければ――」
「拡散だろ? 墓参りに付き合って貰ったんだ。やるともさ」
「ありがとうございます」
【ありがとう、感惑准教授!】
では、と今度こそ燻離はドアに手を掛け、開ける。
「改めて。今日は本当に、ありがとうございました、感惑准教授」
「ああ。また何か困ったことがあれば、いつでも来ると良い」
「ええ、そうさせて貰います」
【まったねー! 感惑准教授! 今度もまた色んなお話、しようねー!】
「ああ」
私がすやりにそう返した後、燻離はドアを閉め、家へと入ってゆく。それを見届けてから、私は車を発進させる。
確実に自覚できる。
私は今、笑顔だ。
♈️🎤🎵🎤♈️
今日も沢山の人が、私――音夢崎すやりの歌を、声を聴きに来ている。
心に余裕のある人もない人も。
誹謗中傷をする人は……ちょっと怖いけど。何しでかすか分からないし。まあそこは、今のところ燻離が守ってくれるから安心だけどね。
とにかく色んな人が、私の周りにいる。
燻離と感惑准教授。燻離の家族と、それに羊ちゃんたち。
勿論、その人たちも笑顔にする。でも、私はもっともっと、沢山の人を笑顔にしていきたい。本当は、誹謗中傷する人たちも、笑顔にしたいなとは思ってる。
それが、私の使命だから。
なんてったって、アイドルだからね。
でも私1人の力だけでは、それは難しい――絶対に、燻離の力が要る。
誹謗中傷を排除して、皆を笑顔にできる空間を守ってくれているのも、燻離だし。
大体今回、企業に所属しないかという話を持って来てくれたのも、燻離だ。
だからこそ、私は条件を付けた――燻離と一緒じゃなきゃ、この『企業に所属する話』は受けないって。
私は、燻離と2人で、世界を笑顔で満たしたい。
そう思ってるんだ。本当に。
――そんな私は、今日も配信をしている。スケジュール的に、そろそろ終える時間だ。
今日も皆が、笑顔になってくれていたら良いな。そう思いながら、私は配信終了の挨拶を告げる。
次もまた、皆と出会えるように。
【みんな! 今日も来てくれてありがとう〜! 最近寒いからね、体を暖かくしてゆっくり休んでね! それじゃあ――貴方に素敵な夢を! 音夢崎すやりでした〜! みんな、おつすや〜!】
("Good Days, My Sister." infinito.)