グッドデイズ、マイシスター。(完全版)10
10:Pre-Chorus.(4)
國義と会った翌日。
「あ、ようやく戻って来ましたね」
授業を終えた講義室の外。生徒の往来がいつもより少しだけ盛んな廊下で、燻離学生が私に声をかけてきた。彼女は、この前会った時よりも明らかに痩せ細り、自殺する前に衰弱死してしまいそうだった。
……万が一にでも、彼女が何らかの要因で自殺を思い止まってくれたらとは望んだが、果たして彼女が口にしたのは進捗確認だった。
「お時間ありますか? 研究についてお伺いしたいことが」
「……研究室に来なさい」
私に言えるのはこのくらいだった。
彼女を研究室へと連れてゆき、扉を閉じ鍵をかけた。間違って別の人が入って来ては困るからだ。
「で、どうですか?」
「……まあまあ、順調に進んでいるよ」
そう言いながら、私はPCを起動する。そこには合歓垣燻離という一個人のライフログを喰らい尽くしたアバター――音夢崎すやりが現れた。
起動。パチリと目を開け、微笑みを湛え、私たちに手を振ってくる。
そして。
『こんすや〜! えーっと……2人、かな? 今日は私に会いに来てくれてありがとうっ!』
挨拶をしてくれた。
配信ではお約束となった『こんすや』で。
「2人だよ」私はすやりに答える。「まずは自己紹介かな。私は――」
『ううん。あなたのことは流石に分かるよ〜、思態感惑准教授! だって、私の開発者だもん!』
私の言葉を遮り、すやりは答える。
『で、そっちは――燻離、さん。だよね? あはは、なんか変な感じするね〜』
「……」
すやりに呼びかけられた燻離学生は。
「……お、おい」
私が思わず声を上げてしまうほど、明確に涙を流していた。
「大丈夫か?」
「え、あ……」燻離はそこでようやく涙を流していると気付いたかのように、ゴシゴシと乱暴に涙を拭う。「……大丈夫です。ただ、すごくて感動していただけで」
『えー! 涙まで流して貰えるなんて感激だよー! 私も泣いちゃいそう!』
すやりという自律AIは、まるで人間のように、ごく自然に会話に入り込んでくる。進捗報告としてはこれで十分だろう。
「では」
と私はここで一旦、すやりをシャットダウンさせることにした。今の彼女は、深層学習で何でも吸収してしまう。
ここから先の話については、なんとなく、すやりには学習して欲しくなかった。
「また起動するまで、ゆっくり休んでてくれ」
『え〜』とすやりは画面の中で頬を膨らませる。燻離学生の渡してくれた3Dモデルの出来が良かったためにできる芸当だ。『もっとお話したかったのに!』
「すまないね」
すやりは、寂しそうな顔を浮かべた。この表情の豊かさが、彼女の魅力の1つだ――アーカイブを見てファンになった自身の下した評価を、ふと思い出す。
『……でも、分かった! じゃあ、またお話しようね、感惑准教授、燻離さん!』
「ああ、また」
私はそうしてすやりをシャットダウンした。
その横で、燻離学生はまだ泣いていて、涙が止まっていなかった。
「……本当に、大丈夫か?」
「正直言えば、大丈夫じゃ、ないです」燻離学生は袖で拭いながら言う。「なんか、変な感覚はしますし。でもこれで、すやりは自分の手を離れても元気に生きていけそうな気がすると思って、安心しちゃって」
……すごい思い入れようだ。
それはそうだろう。何せ、登録者が31万人という莫大な数字になるまで、がむしゃらに配信者人生を駆け抜けた、いわば伴走者とも言える存在なのだ。それこそ分身――いや、妹とも呼べる存在に違いない。
「コレって、どこまで完成しているものなんですか?」
燻離学生は尋ねてきた。
私は思わず真実を話してしまうところだった。私の作品で心が動いてくれたのが、何より嬉しかったからかもしれない。しかし、油断しきることなく、そっけなく答える。
「まだまだ30〜40%といったところだ。結構データは食わせてはいるが、まだ対話のデータが足りないし、何よりスパイプログラムについても未完成で実装できていないからな」
「充分、完成しているように見えましたけど」
「さっきみたいな簡単な会話であればできる、というだけだ。より複雑かつ大量の会話になると、処理に改善の余地がある。ここに、かなりの時間がかかる」
時間がかかる、というのは嘘だ。
実はベース部分の多くは、かつて『慈愛リツ』として動かしていたAIプログラムを用いている。つまり、あらゆる人間に関する膨大なデータを食わせたことによる文脈分析、感情表現――すなわち文脈と表情・言動の相関であったり、対話の元となる単語・熟語や翻訳機能など、既に実装が完了しているものは多い。伊達に長らく自律AIの開発をしていた訳ではないのだ。
そこに、合歓垣燻離(または音夢崎すやり)という個人格のデータを食わせて接合・融合させれば、かなり素早く完成に近づける。あとは配信者特有の、大量のコメントの取捨選択や処理をする機能については確かに未実装だが、そんなに時間がかかるようなものではない。
そもそも、進捗そのものを遅らせれば良いのでは――という意見はごもっともではある。だがそれだけは、私の研究者としての魂が許さなかった。
……本当に私は、一体何をしているのだろうか。
「それにまだ、あのスパイプログラムができていないからな。それについては開発に時間がかかるから、完成は当面先だ」
というより――と。
私は、しつこく燻離学生に諭すことにする。
「私は、自律AIはさておき、スパイプログラムを入れることはおすすめしない」
完全否定ではなく、譲歩をまじえながら。
「この数日間、アーカイブを数々拝見させてもらったが、このスパイプログラムは、音夢崎すやりという存在や人格を破壊しかねない。君も、この前の私の授業を聞いたなら分かるはずだ。このスパイプログラムを、自律AIであるすやりの中に入れるということが、どういうことか」
――人間の脳味噌を弄るに等しいことを、分かってくれるはずだ。
「それに、手段はスパイプログラムだけではない。最終目標ではないにしろ、目標の1つに、誹謗中傷者に報いを受けさせるのがあるなら、『開示請求』という手段もある。これで、法律に則って、正しく悪者を裁くことはできる。……そんなことをしても、君の心の傷は治らないだろうが、それでも幾らかマシだろう。私も、ここまで関わったのだから、開示請求に協力する意向はある。もしするのであれば、ぜひ申し出てくれ」
今回は説得の仕方が良かったのか、「そうですね」と特に反抗せずに頷いた。
「感惑准教授のおっしゃる通りだと思います。きっと、スパイプログラムなんて入れない方が、オリジナルに極限まで近いでしょうし、開示請求の方がより真っ当な手段でしょう」
「ならば――」
「それでも」
燻離学生は、やはり自論を曲げなかった。
「私は、すやりに毅然としたアイドルになって欲しい。完璧で究極のアイドルであるためには、誹謗中傷に屈さない、スパイプログラムという力が必要なんです。だから、必ず入れて貰います」
それに、と。
悪い笑みを浮かべながら、燻離学生は近づく。
「スパイプログラム、あと1ヶ月くらいで出来るのでしょう?」
「っ!」
……流石の私も、顔に出さない、ということはできなかった。
「図星ですか」
笑っていない目を寄越しながら、燻離学生は言う。私には、頷くことしかできなかった。
「……どこで、その情報を」
「あなたの鞄に、盗聴器を」
この前来た時、こっそり入れておいたんです、と。何の悪気もなく燻離学生は言った。鞄の中を漁ってみると、確かに見覚えのない器械が放り込まれていたのが分かった。
「私が全財産を失ったから――情報収集の手段を取れないから、もう情報を手にできることはない、とでも思いましたか?」
心臓を刺す様な声で、言う。
「盗聴器くらい、その『使い果たした全財産』の枠内で手にしてますよ。当たり前じゃないですか。それにまだ、私には手札があります。……あまり、舐めないでください。私は本気です。本気ですやりをアイドルにして、本気で誹謗中傷者を潰して――本気で、自殺するつもりです」
その声には、鬼気迫るものが乗っていた。
「あ、それと」
呆然とする私の前で、燻離学生はスマホ画面を何度かフリックし、ある画面を私へ見せる。
それは、SNSの画面。
音夢崎すやりの、久方振りの呟きだった。
「……これ、は」
「そうです。1ヶ月半後――完全な自律AIアイドルになった音夢崎すやりに、ライブをしてもらおうと思ってます。その告知の呟きです」
告知日は昨日の夜22時――つまり、私と國義の会話を聞いてから、投稿したという訳だ。取り消そうにも、久々の人気Vアイドルの呟きだ。PV数はとんでもない数になっており、いいねも拡散も大量にされていた。
……目の前が真っ暗になりそうだった。いや、いっそのこと、真っ暗になりたかった。
1ヶ月半。
その間に私は、スパイプログラムを完成させ、それをすやりに実装し、テストをしてちゃんと動くかを試し、更にはライブステージに立たせなければならない。
無論、不可能ではない。が、そういう問題ではない。
「立たせられなかったら――無論、分かっていますよね?」
――告発。
私を吊し上げ、社会的に殺す。
……いっそのこと、先手をとって彼女を消すか? 1度は自分で否定したその考えが、私の頭の中で首をもたげてくる。
しかし。
「私を消そうったって無駄です」想定済み、と言わんばかりに燻離学生は微笑む。「既に情報は、懇意にしているとある記者に渡しています。今も定期的に連絡を取っていますので、もし私に何かが起きて連絡がつかなくなった瞬間、その記者が告発することになっています」
……完全に、後手に回った。
そう実感させるのに充分すぎる手際だった。
私はとうとう立っていられなくなり、椅子に尻餅をつく。
「……ああ、それと」
そんな無様な私に、燻離学生は続けた。
「開示請求、でしたっけ? もうやりましたよ。でもダメだった。だからここに居るんです」
……ダメだった?
その意味を図りかねる私だったが、燻離学生は構わず、こう吐き捨てた。
「次、嘘をつくか、約束を守れなければ、告発します。ゆめゆめ、忘れないよう」
そうして彼女は背を向け、研究室から出て行った。
私は、その場で暫く動けなかった。
重い静寂が、私にのしかかっているようだった。
(Pre-Chorus END.)
(Seg.)