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グッドデイズ、マイシスター。(完全版)2

2:Intro.(2)

 ――瞬間、空気が冷える感覚がした。
 音夢崎すやりのライブアーカイブから響く明るい声が、不気味なまでに研究室内に冴え渡っている。

 自殺。

 確かに彼女は――合歓垣ねむがき燻離くゆり学生はそう言った。聞き違えようがない。
 だが、くだらないと切り捨てることを許さない、想像の斜め上の回答に、思わず聞き返してしまった。
「……何だって?」
 彼女は、私の間抜けな質問に、律儀に丁寧に答えてくれた。
「自殺です、自殺。アイドルの腸に糞便が無い様に、Vアイドルに『中の人』はいない。私は、音夢崎すやりを究極で完璧なアイドルにしたいんです――文字通り、人間を超越した偶像アイドルに」
「……」
 私は、この狂気性に固まりながらも、この時点で大きく2つ、違和感を直感した。
 『中の人』とはすなわち、Vアイドルの歌唱や身体の動きを担当する生身の人間のことだ。その『中の人』さえいなければ――外面だけで自律してしまえば、確かに人間を超越し得る。
 むしろ、人間でなくなる、と言っても良いだろう。
 しかし、あまりに論理が飛躍している。
 何を思って、或いは何を経験してその結論に至ったのか、彼女の言葉から抜け落ちている。
 まあ、彼女の外見――目の下のクマやボサボサの髪の毛、荒れた肌などから、何となく想像はつくのだが。彼女の口から真実が暴かれない限りは、その論理は地に足がつかないまま――まさしく、空論のままだ。
 これが1つ目。そして2つ目は。
 録画アーカイブ内の音夢崎すやりと、目の前の燻離学生とのイメージが、何をどうやっても私の中で一致しない――ということ。一番重要な、声さえも違うように聞こえる。音夢崎すやりより低いし、一度酒やけでも起こしたのかの様に少し掠れ気味だ。
 ……まあ、何にせよ。
 やはりこの依頼は受けられない、と考えていた。流石に、自殺幇助ほうじょの片棒を担がされるなんて御免だ。元々私の抱えていた『制作に協力したくない』という感情が増幅されたに過ぎない。
「帰ってくれ」
 だから私は、突き放すように燻離学生にそう言った。
 だが。
「帰りませんよ」
 燻離学生は、バッサリと私の言葉を切り捨てる。
「良いですか。貴方が答えるべきはただ1つです、感惑かんわく准教授。私の依頼を受ける、ということだけ」
「……答えるとでも」
 私は激昂するフリをして、せめてもの抵抗を試みる。
「自殺幇助を、私がするとでも思っているのか!」
 対する燻離学生は、嫌な笑みを浮かべた。

「思ってようと思ってまいと、そんなの・・・・関係ありません・・・・・・・よ」

「……何だと?」
 思わず聞き返す私に、嫌な笑みを浮かべたまま、燻離学生は続ける。
「言った通りです――貴方なら必ず・・イエスと答えます・・・・・・・・。いえ、答えざるを得ません・・・・・・・・・。かつて、自律AIを作ったことのある、思態感惑准教授」
「……何、を」
 何を。
 この学生。私の何を知っている・・・・・・・・・
 私がかつて、自律AIを作ったことがあるなんて、一言も言っていない!
 どころか、知るはずがないのだ――この世界のほとんど誰も・・・・・・・・・・・・、そんな事実を。
「私の……何を知ってるんだ、君はッ!」
「知りたいですか?」
 そう言って燻離学生は、鞄の中からファイル冊子を取り出した。
 訳も分からず戸惑っていると、燻離学生はファイルの1ページ目を開けた。ヒラヒラしたクリアポケットの中に入っていたのは――とある、1枚の写真。

 料亭に入る私と、もう1人の男の姿・・・・・・・・

 私は、思わずのけ反りそうになった。
 何故、この写真を持っている。
 入手できるはずなど、ないというのに!
「この人、知ってますよね?」
 私の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。それを垂れ流さない様に注意しながら、「……誰だコイツは」とシラを切る。
AA=エーエーイコール株式会社、社長の留影るえい克己かつき。AIで未来を明るくする会社の社長さんですよ。知らないはずないでしょう?」
「……知らない」
 それでも私は白を切る。
 そう。私は彼を――克己を知っている。
 いや。
 世間ではもう私しか・・・、克己を知らないはずだ。
 なのに、何故。
「その顔は知ってる顔ですよ。嘘が下手ですね」
「そちらこそ嘘が下手だな」私は即座に反論した。「今どき、写真なんて偽造できる。フェイク画像ってやつだ」
「必死ですねえ」しかし燻離学生は攻勢を崩さない。「でも、これだけじゃないですよ」
 燻離学生は、ファイルのページを次々繰る。
 そこには、証拠が雁首揃って並んでいた。
 名も知らぬ記者の、取材メモコピー。信憑性に欠けるし何とでも言えるから、これはそれほど驚かなかった。
 だが、問題はそこからだ。次に出て来たのは、あるバーチャル配信者の配信のスクリーンショット。画像内に表示される動画タイトルには、『慈愛リツ』と明確に書かれている。動画の投稿日は、2022年8月14日。その日付は忘れもしない――この配信者の、最後の配信日。そしてこの配信の動画は、もうネット上のどこにも存在していない。
 果ては、部外秘とされた資料の表紙――そこには『完全自律AI開発計画【確定版】』の文字と、慈愛リツのアバター姿、そして私や克己の名前を含む、関係者一同の名前。その名前は、私の記憶と完全に合致していたし、計画書の見た目も、完璧に一致していた。

 全て、私にとって、残骸。
 最早苦い記憶となった欠片かけら達を、燻離学生は突き付けてきた。

「……こんな、もの、どこで」
 私は思わず尋ねた。もう、事実を認めてしまったようなものだ。それでも、私は知りたかった。
 これらは全て、最早手に入る筈のないものだ。なのにどうして、一介の一般人が持っているのか。
「教えません。ただ、有り金を全てはたいたということだけ」
 まだありますよ、と。
 燻離学生は追い討ちをかけてきた。
「有り金を叩いたお蔭で、その先まで知ることができてます。貴方が失墜した経緯も顛末てんまつも――今の貴方が本当は・・・何の研究をしているのかも、全て」
 ……くらり、と眩暈がした。
 怖気さえも。
 一体何が、彼女をここまで突き動かすのか。
 その原動力は恐らく、1つ目の違和感――飛躍した論理の中に隠されているのだろうが、本人が明かしていない以上、私に分かる筈もなかった。
「貴方に拒否権はありません」
 燻離学生は、証拠という何よりの凶器を突きつけ、私に迫る。

「今、ここで。私の自殺を手伝うと答えて下さい」

 ――実質上、詰みであった。
 もし私がここで断れば、彼女は秘密を全てバラすだろう。そうなれば計画は即座に、人知れず中止するしかなくなる――そして私も、今度こそ終わりだ。
 破滅する……だけでは済まないかもしれない。
 殺される。
 それも、どんな殺され方をするか分からないからタチが悪い。
 だが持ち帰って回答を延期する、という道も今閉ざされた。『今、ここで答えろ』との要求は、その意味も内包している。
 ……結局、この時の私にできることはただ一つで。
「……分かった。請け負おう」
 依頼を受け入れることだけだった。
 それでも、私は彼女の依頼を取り下げさせるのを諦めた訳ではなかった。まだこの世から消えたくはないし、自律AIなんてもう作りたくなかったから。
 だが、頓挫させるための方策が浮かばない。
 故に依頼を一旦受け入れ、反撃方法を考える猶予を得たに過ぎない。
 きっと何か、道筋があるはずだと願いながら。

 私は自席に座り、机向かいの椅子を燻離学生に勧める。
「……早速、要件を聞こうじゃないか。君の言う、『完璧で究極なアイドル』を目指す為に」
「ありがとうございます」
 燻離学生は礼を言ってから、地獄めいたファイルを鞄へしまい、席に着く。


(Intro END.)

Seg.)

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