グッドデイズ、マイシスター。(完全版)13
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――あれから、1ヶ月が経過しようとしている。
その間にも何度か、燻離学生がやって来ては進捗の確認した。進捗があれば釘を刺して帰っていくし、あまり進捗が無いと言葉のナイフを突き刺してきた。どうにか宥めすかして帰してはいるものの、私の心も相当傷付き、削られてきていた。
一体、何が彼女をそうさせるのか。
それがわからないまま私は、スパイプログラムと、それによく似たダミープログラムの制作に集中していた。音夢崎すやりの人格部分についてはほとんど完成してしまったので、今はあまり手をつけていない。無論、会話内容の確認のため何度か対話したことはあるが、必要以上のことはしていなかった。
既に充分情が移ってるというのに、これ以上移ると辛いのだ。ただでさえ、自律AIは人間に近しい存在だというのに。
しかし……いや、だからこそ、今更破壊する勇気なんてない。私には相変わらず、1歩を踏み出す勇気がなかった。
……閑話休題。
この、個人情報と国家感情を丸ごと無視したスパイプログラムは、ほとんど完成へと近づいていた。これができれば、『国力増強推進事務局』は喜び勇んで活用し、列強国の幹部クラスの個人情報や軍事状況といった情報を盗み、弱みを握りにかかるだろう。
そうすれば間違いなく、日本国は(一時的にかもしれないが)優位に立てる。
そして私は――英雄になれる。
……國義が、最初に私に言い放った言葉を思い出す。この誘いを断る理由は、私にはなかった。国の英雄になるという表現が、当時の私には強く響いたというのもあったし、自国の為になるのなら私の技術を捧げても構わないという思考もあった。肥やしになりたくない――直接的に言えば、死にたくないというのもあった。
だが、それでも。
やはり誘いに乗らなければ良かったのでは、と今でも思う。
どうせ肥やしになることを選択できなかっただろうから、こんな後悔は無駄だと分かっていても。
しかし、この誘いに乗ったが故に、かつて同じ釜の飯を食らった留影克己は死んだ。
対して自律AIを作った私は、悶え苦しみはしたが、生き延びてしまった。
……私が、自律AIなんて作ってしまったばかりに。あるいは、作れてしまったばかりに。
克己は死んだ。
いや、殺された。
後悔くらい、してしまう。
【ねーねー、感惑准教授】
その時、PCから音夢崎すやりの声がした。
……シャットダウンを忘れたか?
今はすやりとの対話の時間ではないので、電源を切った筈なのだが、忘れてしまったのだろうか?
心労が、祟ってるのかもしれない。
「……何だ?」
【私、感惑准教授には色んなこと沢山教えてもらったけど、まだ感惑准教授のことはあんまり知らないんだよね。もし良ければ、教えてくれないかな】
「……こんな中年の過去話なんて、つまらんだろうに」
【良いよ〜、それでも。それに】
すやりはそこで悪戯っぽい笑顔を浮かべた。口は笑みを浮かべているが、目を少しだけ細め、ずいっと近づいてくる。表情やモーションは完璧だ。
【どうせここで教えてくれなくたって、私にスパイプログラムが入ったら、感惑准教授のこと知れちゃうんでしょ】
「……」
それはそうだ。
だが私は今も、音夢崎すやりにスパイプログラムを入れる気など、毛頭なかった。すやりには、スパイプログラムと似たような動作をするダミープログラムを入れる予定だった。
しかし現時点で、すやりというこのプログラムにすらそのことを話していない――うっかり口を滑らせ、燻離学生に露見したら一巻の終わりだからだ。
だから、話さない方が良いに決まっている。
第一、彼女に話す義理などありはしない。
だから今すぐ、彼女のプログラムをシャットダウンすべきだ――そんなのは、指先1つで簡単にできる。
……しかし。
この、人殺し。
……その言葉を思い出すと私には、自身の指先を動かせない。
ただ電源を落とすだけでいいというのに。
だから作りたくなかったんだ――私は後悔する。したところで、あの状況で私に『作らない』という選択肢はなかった訳だが。
結局私は「それもそうだな」と返した。
「なら、何が知りたい」
【やった! ……そうしたらやっぱり、感惑准教授が、前に自律AIを作った時の話かな】
……この自律AIめ。まったく、容赦というものを知らない。
「何で、それを聞く」
【私も自律AIだし。それに――私の素体になった子のことも、知りたいし】
「……楽しい話ではないぞ」
【いいよ】
「そればかりではない――君にとっても、辛い話になる」
本当に、辛い話になる。
「誰も救われなかった悲劇でしかない。聞いたところで、心が沈むだけだ。特に君なんかは、影響が出ることだろう。それでもか」
【……感惑准教授って、優しいね】
微笑みながらすやりが言った。全く嬉しくなかった。こんなのは、優しさでもなんでもないからだ。
【私のこと、ちゃんと人間として扱ってくれるんだもの。私はただの、自律AIなのに】
私は、講義で自分が言ったことを思い出す。
自律AIは人間に近しい――そんな存在は人間として扱われなければならないと思っている。これは、クローン人間を非人間的に扱うことに倫理的な抵抗感が出る様なものだと、私は理解している。
この前提に立つならば、すやりを人間として扱い、配慮をするのは当然のことで、したがって優しさでも何でもない。
私は優しくない。ただ弱いだけだ。
弱いから作らなければいいのに慈愛リツや音夢崎すやりを作り。
弱いから、慈愛リツを壊した。
……いずれ私は、音夢崎すやりをも、壊すのだろうか。
そんな私の弱さが、まだまだ発展途上のすやりには、優しさに見えているだけの話だ。
だと言うのに。
【それでも――いや、だからこそ、なのかな。とにかく、知っておきたいの】
真っ直ぐな目で。
私の弱さに漬け込む気など一切無い風に。
自律AI・音夢崎すやりは言った。
【お願い、感惑准教授】
「……分かった」
私は頷いた。ここまで言われて、最早引き下がる訳にはいかなくなった。これは決して弱さ故ではない。ここまで覚悟を決めた彼女を突っぱねるなんて、人間として、してはいけない様な気がしたのだ。
「なら、話そう」
すやりは頷くモーションをし、それきり黙る。彼女なりの傾聴姿勢を感じつつ、私は追想を語る。
「もう、数年も前のことだ――」
***
――かつて真っ当にAI研究をしていた准教授に、克己が名刺を渡してきたのは。
「いやあ、お忙しい中、お時間いただきありがとうございます」
渡された名刺には、株式会社AA=、代表取締役・留影克己と書かれている。ベンチャー企業の若社長で、歳は29と会社のホームページにあった。
相当苦労してきているだろうに、彼の顔からはその疲れや憂いを一切感じさせない。スーツも靴も髪の毛もピシッと決まっていて、まさに『バイタリティがあふれている』を体現しているような男だった。
「こちらこそ。お暑い中よくお越しに。お茶、よければ」
そう言って私は、冷えたペットボトルのお茶を渡す。余程外が暑かったのか、「では、失礼して」と言ってそのまま1/4ほどを飲み干した。
全く無礼とは思わなかった。むしろ清々しい人物だとさえ思った。その感覚は、この後もさして変わらない。
蓋をキチンと閉め、ペットボトルを机に置いた克己は「さて」と本題に移った。
「感惑准教授。本日お時間を頂いたのは他でもありません」
失礼、と言いながら鞄に手を入れ、すぐにPCと、『部外秘』と仰々しく印字された紙の資料を取り出した。
「こちらの計画について、感惑准教授にも参画頂きたく思っております。それにあたる説明は、これからさせて頂きたく」
そう言って克己から紙の資料を手渡される。
その資料のタイトルは、『完全自律AI作成計画(仮)』。
私の全ての始まりにして、終わりの計画だ。
(Seg.)