グッドデイズ、マイシスター。(完全版)7
7:Pre-Chorus.(1)
それでも、当の『中の人』は自殺しようとしているのだから、設定は設定でしかないし、三次元の世界の闇に呑まれたら、所詮二次元の世界では太刀打ちできないのだと分からせられる。
――そんなことを思いながらも、燻離学生が襲来してから4日。
自身の研究と並行し、私は何だかんだと、自律AIのVアイドルを作成に取り掛かっていた。燻離学生からモデルや設定資料、ボツとなった音声データ、更には自身の割と詳細なライフログ(インタビューでも聞いた家族構成や動機どころか、幼い頃の写真や動画データ、更にはこれまでの人生を綴ったものまで。否が応でも本気だと感じさせられる)などなど、音夢崎すやりのファン(あるいはストーカー)からしたら垂涎の一切の資料を受け取っていた。その中でもまず私は、音声データをAIに食わせ、『音夢崎すやりとしての会話のクセ』というデータを蓄積させている。少なくとも、全て喰わせるのにあと1日はかかるだろう。データを喰わせ終わったら、動作テストだ。アイドルとして恥ずかしくない立振る舞いとなるよう、調整しなくてはならない。
だが、私がやるのはここまでだ。
今も私は、スパイプログラムを埋め込むつもりはなかった。少なくとも、似た様なフェイク技術を埋め込むつもりでいる。
大体あんなモノ、外に出せる訳がない。そんなことをしたら最後、私はおろか、燻離学生までも消されてしまう――人知れずに。
そんなことはもう、絶対に起こしたくない。克己が消えただけでも、相当堪えたのに。
失敗は、教訓を得て同じ失敗を繰り返さないからこそ有意義なのだ。繰り返しては意味が無い。
しかし、ならば――と私は思う。
一体、私は何をしているのだろうか。
無論、自律AI開発を引き受けた目的は明確だ。彼女の自殺を止めるために――ひいては彼女の計画を頓挫させるためにどうするか、考える時間が欲しいからだ。そして、作る素振りどころではなく本当に制作に取り掛かっているのは、何も作っていないと彼女の逆鱗に触れるからに過ぎない。今の私は、彼女に文字通り生殺与奪の権利を握られている。彼女の意に沿わない言動は、そのまま私の破滅に繋がる。
こんな状況で自律AI制作に着手するのは、中々に虚無的な感情を抱かせた。だから思ってしまうのだ――一体何やっているんだろう、と。
そんな私は(半ば燻離学生に押し付けられる形で)音夢崎すやりのアーカイブをながら見していた。これも、自律AIを作る糧とするため――恥ずかしながら、私はアイドルについて何も知らない。だから、知らねばならない。燻離学生が満足のいくアイドルに仕上げる為には。
すやりのチャンネル登録者数は、長期休業が影響しているのか、30万人を切りそうになっていた。だがそんなこと、燻離学生は気にしてないのだろう。後釜に完璧で究極なアイドルが据えられれば、そんな些事は全て解決するのだから、と。
それにしても、アーカイブ内の彼女の活動は目を見張るモノがあった。
まず肝心の歌。燻離学生が来たあの日にもアーカイブで聴いてはいたが、はっきり言って物凄く上手い。
歌に詳しい訳ではないので、どう表現すれば良いか困るのだが、ポップスもロックもそつなくこなす歌い方の引き出しが多い。滑舌もいいのでラップも歌えるし、表現も多彩。実際、それを褒めるコメントが、動画の下にはズラリと並んでいた。
そして彼女は、『グローリンボーイ』という曲のカバーで話題になった――皮肉にも、原曲より有名なるくらい。だがその後も、彼女は胡坐をかくことなく、精力的に活動していく。動画投稿サイト内で開催される『歌ってみたコンテスト』や、有名な作曲家とのコラボ、流行りの曲縛りや昔懐かしの曲縛りといった条件付きの歌生配信など、その幅は広い。
さらに、この歌唱力を武器に、他の歌手ともコラボしていた。すやりは、上手すぎて浮くこともなく、自然にコラボ相手と馴染んでいる。相当な実力者と断ずるに十分だった。
他にも、歌配信や『歌ってみた』動画と並んで多かったのは雑談配信。主に1人で配信を行い、リスナーとワイワイ話すことが多いようだ(ちなみに、有料課金のコミュニティ限定配信、所謂『メン限』では、その傾向が顕著だ。なお、コミュニティ参加の資格は燻離学生直々に無償で解放してくれた)。17歳という設定上なのか、お酒を飲まないということは徹底していた。この配信時、燻離学生は既に20歳を迎えている筈なのだから、大した役者精神だ。
そしてこの雑談、より正確にはエピソードトークが中々面白い。例えば、友人と墓場で肝試しをすることになったすやりが、怒り狂ったお婆さんに追いかけられた恐怖体験だったり(ちなみに墓地の管理人だったらしい。後で謝ったとのこと)。虫嫌いなすやりがバレンタインに虫型チョコを受け取ったため、復讐として唐辛子を煮詰めたカプサイシンエキス入りチョコをホワイトデーに食べさせた話だったり。
あの燻離学生の雰囲気に反し、中々腕白な女性像だ。その元のエピソードの面白さもさることながら、話の緩急の付け方や声の調子の付け方が上手く、引き込まれた。
あとはいわゆる企画モノ。友人のVアイドルなどのコラボで行うことが多く、パーティゲームのバトル配信(罰ゲーム付き)だったり、ただワイワイと流行りゲームを遊んでいるだけのものもあった。どれもこれも楽しそうな彼女の姿が伺える。この企画モノから、歌ってみたのコラボに繋がることもあったようだ。
さらにはショート動画(いわゆる、1分以内の長さの動画)もかなりの頻度で投稿している。過去のコラボ動画の切り抜きもあったが、流行り楽曲に乗った歌唱動画だったり、短い雑談だったり。マンネリ化を防ぐためか、同じテーマがなるべく続かないような配慮を感じる。
このように、バズった後も、上手に勢いに乗って有名になった、という印象を抱かせる。
これらに加えて、ツインテールがチャームポイントの可愛らしい立ち絵。なんでも、有名なイラストレーターに依頼をしたらしい。成程、これでSNS対策までしていれば、確かに登録者数は増えるだろう。
それでも、31万人という数字は中々の異常値だ。普通にやって届く数字ではないことを、慈愛リツの件で学んでいる。しかも恐るべきことに、すやりは事務所に所属していなかった。つまり、登録者数を増やすノウハウを事務所に頼らず独力で見つけ、着実に成果を上げていたということになる。控えめに言って才覚に満ち溢れているし、運を味方にもつけながら、実力を存分に活かすための努力をしていたのだろう。
本当に、頭が下がる。
――正直に言おう。
配信をながら見していて尚、私は徐々に確かに、音夢崎すやりのファンになっていた。深みにハマった訳ではないが、それでも彼女というアイドル性には惹かれたのは事実だ。
しかも、あの『中の人』の実態を知った上で、だ。それでも惹きつけられる努力に基づくスター性が、彼女には――音夢崎すやりには、確かにある。
そんなスターを――『夢の世界の精霊』を、燻離学生は潰さんとしている。私の開発しているスパイプログラムは、そういう可能性を十二分に孕んでいるというのに。
それでも、彼女がスパイプログラムを入れようと考えるきっかけとなった、誹謗中傷。
その実態を最初に目にしたのは、最近の生配信アーカイブのコメント欄。
これが、まさしく地獄の様相を呈していた。
(Seg.)