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D.D.G. -Hope to Live, Want to Kill- (Director's Cut ed.)

「う、ぐっ……」
 少女絡生まといはスラムの路地裏で、廃墟に見下ろされながら蹴られた痛みに蹲っていた。彼女の横には、アタッシュケースを持つトレンチコート姿の男2人。彼らは自身の首筋に刺さった記憶端子メモリバスを抜く。一瞬、非人間的な接続口が見えるが、すぐに肌色の蓋で閉じられた。
下層エラーのゴミが」
 端子をケースへ仕舞いながら、男は持ち合わせの侮蔑全てを少女に吐き捨てる。
上層インテグラに楯突くからだ、屑め!」
 再び絡生の横腹を蹴る。軋む音が少女の体内に響く。激痛の衝撃で息が上手くできない。
 その惨状の遥か上空を、物資高速輸送モノレール『トランスポーター』が無関心に通り過ぎていく。上層インテグラ中層アダプタのみを繋ぐカーボンナノチューブを伝うそれは、『下層民は死ね』と言っているかのようだ。
「酷えもんですなぁ。こんな汚くちゃそそられもしない」
「全くだ」
 下卑た笑い声が絡生の鼓膜を打ち鳴らす。
 そんな彼女の頭には今、過去の記憶が駆け巡っていた。

 ――酷い人生になってしまった。
 元々中層アダプタで程々の暮らしをして、両親とも仲良く過ごしていたのに。
 両親は報道記者だった。他者の悪を暴いて飯の種にする仕事。彼らは上層インテグラに属する基盤政府マザーボードの悪事を暴く危険な仕事を始めた。自らの首の接続口から電脳線ニューロケーブルを経由し、基盤政府マザーボードネットワークに潜入ダイブ――『暗号化電子データ体』となって調査をするのだ。
 今は情報社会――情報が価値を持つ社会。高価値の情報を持たぬ者は生活はおろか身分すらも差別される――そんな『情報格差データキャズム』が其処彼処にある。その社会で良い暮らしをするには、高価値の情報を得るしかない。両親にとってそれは『上層インテグラ』の情報だった。
 だけど、命の危険を冒してまでご飯を食べさせられたくはなかった。ただ両親と生きて、一緒に笑って暮らしたかったのに。

 生きてこその人生だ。
 死んだら、如何なる情報も更新されなくなる。

 ……両親は調査開始から数日後、コードを首に接続したまま机に突っ伏して動かなくなった。政府によるウイルス感染で精神破壊されての発狂死だった。
 その体は、冷凍睡眠コールドスリープしたかの様だった。
 その後は急坂を転がるが如く――付け焼き刃の擬装技術で関門ファイアウォールを抜け、情報を持てぬ弱者の溜り場下層エラーに辛うじて逃げ込めた。
 そこまでは良かったが、その先に待ち受けた生活は苦痛だった。情報を持てない彼らは、物を奪う。命を奪う。平然と、或いは心を殺して奪わねば生き長らえられない。
 私には無理だった。罪悪感と後悔に苛まれるばかりで、慣れようにも慣れなかった。
 そんな生活から抜け出すべく、上層インテグラの人間を襲って高い情報を奪おうとしたのに、当然の如く返り討ちに遭ってこの有様。

 ――走馬燈ウォークスルーが終わり、絡生は思う。
 殺されるのかな。
 殺されるだろうな。
 でも、それは嫌だ。死んでも嫌ではなく、死ぬのが嫌だ。
 ここから逃げたい。生きたい。無様でも何でも、生きてこその人生だ。
 両親みたいに「死んででもの人生」なんて、真平御免被る。
 生きたい。生きていたい――!

そんなに生きてェか

 ……絡生は、とうとう自分の頭が可笑しくなったと思った。
 男2人とも違う声で、しかも男達には聴こえていない様子だったから、単なる幻聴だと思ったのだ。
 だが。
おいおい、目の前にいるだろ?
 声は続く。いよいよ自分は終わりだと思いつつ目の前を見る。
 何かの拍子に落ちたと思しき1本の記憶端子メモリバス
 ……まさか。
そう、そこにいる
 記憶端子メモリバスが、喋っている!?
 そんな馬鹿な。やはりこれは幻聴――!
混乱してる場合か!
 記憶端子メモリバスからの声に、苛立ちが混じっていく。そして、

生きてェのか! 嬲られて穢されて死にてェのか! どっちなんだ、お前は!!

 その言葉で、絡生はハッと我に返った。
 ……絡生の答えは、決まっている。
「……き、たい」
 指で地面を掴む。匍匐する。謎の、喋る記憶端子メモリバスに手を伸ばす!

「生き、たいっ!」

 その叫びに漸く男達が気づく。何事かという怪訝な表情は、絡生が掴んだ記憶端子メモリバスを見て一気に血相が変わる。
「テメェ! それを返せ!」
構うな、俺様をお前の首に差し込め!
 絡生にはもう選択の余地は無い。幻聴でも何でも知ったことか。自分の首筋に触れる。肌色の蓋が開く。接続口だ。
「なっ……! 下層エラーの人間が何故接続口を持ってやがる!」
 そりゃ、元々中層アダプタの人間だもの。
 心の中でだけ答え、記憶端子メモリバスを突き刺した。中に詰まった情報が流れ込む。薬剤が血管を巡る様に神経回路を通り、脊髄を経て脳へ。脳内データが、強制的に更新される。
 刹那。
 がくり、と絡生の顔が項垂れた。体が痙攣して手足が変哲な動きをし始める。
 しかし、より強烈な変化が起こる。
 髪が――あれだけ黒かった髪が、徐々に赤く染まっていく。男2人の口端は引き攣り、対する絡生の口元は異様なまでに吊り上がる。
「――は」
 そして。


「ぎゃっははははははははははははははは!!!」

 下品な哄笑。先程の少女とまるで別人のそれを聞き、男2人は明らかに青褪めた。
「最悪、だ……!」
 現実を受け入れたくなくて、1歩、2歩と退がってしまう。
「目醒めちまった! 最低最悪の悪魔がっ!!」
 対する絡生――否、絡生の中に入ったナニカは男達の狼狽に目もくれず、こつこつと自らの首に刺さった記憶端子メモリバスを突く。
「ぎゃは、ぎゃははっ! まんまとくれちゃってよォ! 俺様が正義の味方だとでも思ってくれたかァ!? 縋る藁はよく見た方が良いぜェ!」
 にしても、とナニカは続ける。
「久々の外だ! どのくらい経った?」
 懐かしさからか、空を抱き締める様に両手を広げる。ちっぽけな人間に広大な空は抱えきれない。その青空を『トランスポーター』が横切ると、ナニカは舌打ちをして中指を立てる。
「クソみてェなモノレールハエが空にあるってことは、まだそんなに経ってねえな」
 ま、と漸く男2人に、殺意で煌々ギラギラ光る目を向けた。
「クソみてェな人間共を殺せる機会があるなら、何でもいいかァ!」
「――戦闘準備!」
 男達はケースから記憶端子メモリバスを取り出す。各々、世界王者級のボクサーの経験と、念動力系超能力者のデータが入っている。首に刺して情報を取り込めば、忽ち即席プロボクサーとエスパーの完成、という訳だ。
 2対1ならば、相手が殺人鬼と言えど流石に――。

「遅ェよ」

 ナニカは、1人の男の記憶端子メモリバスを持つ手を掴む。驚く間も与えずそのまま握力をかけて記憶端子メモリバスごと骨を砕き割った。
「が、ああああああっ!?」
「ぎゃは」
 手を抱えて膝をつく男の頭に、思い切り横蹴り。首の骨の折れる嫌な音が鳴って、地面に横たわったきり動かなくなった。
 殺しが完了したのを見て、ナニカはまた笑う。
「ぎゃははははっ! コイツで何人目だ? 多分1100は超えたかァ!? 記念すべき1100人目の死亡者ですおめでとう、ってなァ!」
 もう1人の男は距離をとり、記憶端子メモリバスを首に差し込む。全身にプロボクサーの経験が染み渡り、数秒後には歴戦のボクサーの構えを取った。
 ナニカはぎゃはっと嘲る。
「ンだよ、プロボクサーの物真似かァ?」
「……黙れ、元死刑囚」
「『剰報刑』で俺様を満足に発狂死させられなかったテメェらが何言ってんだ」
 ナニカは人差し指と中指を並べて、くいと自らの方へ折り曲げた。
 来いよ――言外の挑発。
「望むところッ!」
 男は近づいた。先手必勝、殺す気で行かねば殺されるのはこちらだ!
 ナニカは口笛を吹く。
「やるねェ――ちったァ戦い辛え体だが、こっちもやってやろうじゃねェか!」
 赤髪を揺らし接近、互いの有効距離に入り込む。男が拳をナニカの顔面に伸ばす。男の目は義眼なのか、何かのデータが網膜と角膜を行き来している。チートめ、と舌打ちしつつ簡単にいなし、体勢を瞬時に低くして男にアッパーカット。が、これも容易く避けられる。再び距離を取られると、ナニカは笑って言う。
「乙女の顔に何しようとしやがる!」
「乙女なものか、犯罪野郎!」
 殴打。殴打。殴打。殴打。
 静かな拳の振り合いが続く。男の方は義眼の援けもあってか、攻守一体を司る本物のプロボクサー宛ら。対するナニカはプロの動きではないが、現場対応力で攻守を実現。
 右ストレート。回避、カウンター左ストレート。防御、後退、接近の上ワンツー。防御、ボディーブロー。掠り、顔面カウンター。掠り、距離を取る。

 ジリジリ迫る勝負は、ここで一気に展開する。

 ナニカがストレートを決めた途端、男がその腕を掴む。逃げられなくなったナニカの腹を、思い切り蹴り上げた。
「がっ……!」
 ナニカは空気を吐き出す。男はこの瞬間勝利を確信する。
(元死刑囚のコイツを殺せば、ここで起きたことは全て無かったことにできる! 俺の責任は問われなくなる!)
 今後の保身に悩む必要もなくなる――!

 その隙が、全ての終わりだった。

「……ボクシングに蹴りは反則だろうがよォ」
 ぞくり。男の体が総毛立つ。目の前には獰猛な笑みを浮かべる少女の顔。義眼が警告を鳴らすが、それより早くナニカが動く。
「まァ、端からルールを守るつもりもねェが。そっちが先に破ったんなら容赦はしねェ!」
 急接近。男は回避行動を取るが間に合わない。
 ナニカは、手刀で男の頚椎神経を一撃。
 それだけで呆気なく男は気絶した。ナニカは支えることもしなかったため、そのまま地面に激突して鼻柱が破砕。止めに後頭部を踏みつける――頭蓋の砕かれる音が弾けた。
「……成程な」
 殺しを全て終えた途端、ナニカは呟く。
「意識を乗っ取れる時間には限度があるってことか」
 その瞬間、再び首が項垂れる。髪が逆再生の如く、赤から黒に戻っていく。
 そして。
「……っ、え、あれ」
 絡生の意識が覚醒する。状況を呑み込めずに困惑しているが、目の前の2人の死体を見て「ひっ」と息を呑む。
「そ、そうだ! これの、せいでっ……!」
 漸く思い出したかのように、自ら首筋に刺した記憶端子メモリバスを抜き去り投げ捨てた。接続口は肌色の蓋で即座に閉じられる。
「っ、は、はっ……!」
 絡生は、混乱していた。盗みどころではない。
 私は、殺した。殺してしまったのか。
 人を。
 幾ら何でも、命まで奪ったことはただの一度もないのに――!
おい、今まで散々奪っといて今更かァ?
 脳内に声が響く。
 目の前には、中肉中背のコートを着た赤髪の男。彼は現実には存在しない――絡生の脳内データが現実世界に像を結んだ幻覚だ。
 ……巫山戯るな。科学の発展した世の中で、そんなファンタジーじみたことがあって堪るか。
 悪態をつく絡生に対し、幻覚上の男はぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。
しかし、良かったなァ。生きられたじゃねェか
「なに、が」
 何が「良かった」だ。全然生きている心地がしないというのに、どこをどう見たら良いと言えるんだ――。
 抗議しようとする絡生の肩を、幻覚上の男が叩く。

さ、これでお前は政府のお尋ね者だ

 彼の言葉に、絡生は肝も背筋も冷え切った。
俺様は既に死刑執行された凶悪犯。お前はそのデータを盗み、基盤政府マザーボードの人間2人を殺した重罪の共犯者。監視網の張り巡らされた中じゃ逃げる場所なんざどこにもねェ。このままじゃ殺されて犬死にだ
 殺される。死ぬ。
 その言葉が、重く、絡生にのしかかる。
だから、お前は生きる為に殺し続けなくちゃならねェ――大丈夫だ、俺様がそこんとこは代行してやるよ
 そういう問題じゃない。そう思っても手遅れだと絡生には分かっていた。

 ――ただ平和に生きられれば良いのに、どうしてこんなことに。

俺様の目的は、俺様を殺した基盤政府マザーボードを全員殺すことだ――それ以外も殺すけどな
 それでも絡生には、
さて、自己紹介といこうか――
 生きると願うならば、

俺様は報炉ムクロ。1000人は殺した殺人鬼だ。よろしく頼むぜ――マトイちゃん

 この殺人鬼の亡霊データ運命共同体となる情報共有をする以外の選択肢など、残されていない。

 『トランスポーター』がまた上空を通過する。その瞬間少女の居場所に影が出来た。

Not to be continued.


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